ー明治十三年 堺ー

 大通りから大分外れた裏道に列ができている一軒の老舗茶屋がある。とても年季の入った小さな店であちこちにツルが張り、土壁にはヒビが入っている。並ぶ人たちもそこまでいい格好はしていないものの、この店の菓子は庶民に手が出せる値段はしていない。きっと使いに出された、どこかのお屋敷の使用人たちだろう。店こそ小さくぼろいものの、味は確かなのだ。
 そんなことを考えていると、列の中に目が入った。ならんでいる女性たちの中に店の中を見ながらこそこそ話をしている人がちらほらいる。その目線の先にはいつものように汗をかきながら真剣に小豆を練る、鋭い切れ目に長めの髪をした綺麗な男がいた。そんな姿にうっとりした様子の彼女らを横目に私は女学校へと足を急がせた。

ー定休日。
 私はいつもの店に足を運ばせていた。
「この店そろそろやばいんじゃない?」
私がコンコンと壁を叩くと、
「叩くなよ、崩れる。」
私の幼馴染であり、この店の店主である龍夜が相変わらずの無表情で返す。藍色の着物を襷掛けで纏め、長めの髪の下に鉢巻を巻くと綺麗な切れ目がよく見える。そんな龍夜はいつものように汗だくで小豆を練っている。
崩れると思うなら直せばいいのに。この店絶対儲かってるんだから。と、心の中でツッコんでいると、小豆の匂いがする方から声が聞こえた。
「で、要件は?定休日に来たってことはどうせ親からの使いだろ?」
「あ、そうそう。」
私の家は大商家で、新政府になってからは西洋からの輸入品を国内で売っている。私が今着ている「どれす」とやらも西洋の着物らしい。形や色がかわいらしくてとても気に入っている。髪型もどれすに合わせて変えたくらい。今日はお父様とお母様に頼まれて、この店の新しい茶菓子の材料となる予定の日本ではあまり売っていない西洋の豆を持ってきた。
「はい、これ。」
私が豆の入った袋を渡すと龍夜はお金を店の奥から取り出して、こちらに向かってツカツカと歩いてきた。
「要件はこれだけか?もう用がないなら早く帰るんだな。」
なんて冷たいことを言ってお金を渡し、調理場へ向かっていく龍夜は輝いているように見える。無表情の中に嬉しさが滲み出ていることを感じ、私は頬を緩ませた。

本当、かっこいいなぁ…

 私の初恋は龍夜だ。
 私のおじい様は江戸の人間には珍しく、西洋語を話すことができた。オランダ商館のある出島からオランダの商船に乗って何度も海外に渡り、西洋の商業を直接目で見てまなんでいた。そんなおじい様を私は尊敬していたし、おじい様のおかげで私の家は大きくなったから、すごく感謝していた。でも、世の中はそんなに上手くいかないものなのだ。幕府が一介の商人であるおじい様が西洋に渡ることを許すはずもない。おじい様はずっと幕府から隠れて西洋に渡っていたのだが、ある日それが幕府にバレてしまった。

そして、私たち一族は処罰された。

 それからと言うもの、私は寺子屋でも反幕だの何だの言われて、次第にに居場所をなくしていった。やけになって寺子屋を飛び出し、裏道に入った。そこでとある店の前に座る一人の男の子に出会った。彼は泣いている私をその店の中へ連れて行き、暖かいお茶と茶菓子をくれた。
「おいしい。」
私が言うと、彼はそれは自分が作ったものだということ。自分はこの店を継ぐことが夢だと言うこと。そして、嫌なことがあったならまたここにこればいいということを私に伝えてくれた。
 それから私は、龍夜のことが好きで、その気持ちは今でも変わらずに彼を思い続けている。そして気づけば嫌なことがなくてもここに来るようになっていた。
 後からわかったことなのだが、その店の菓子に使われている材料はほとんど私の家から買っていたそうで。それも今でも変わらず、うちの太客の一人となっている。