ふと『首吊り』という繋がりで、自分自身を振り返ってみた。



 私が生まれる前、いやお袋が小さかった頃、お袋の親父つまり私にとっておじいちゃんだが、風呂場で湯船に浸かろうとして心臓麻痺を起こし亡くなったらしい。



 幼い頃、私は母方のおばあちゃんからそう聞いていた。





 小学校二年生の冬、お袋は俺を捨てて家を出て行った。



 私が二十五歳の時、おばあちゃんが亡くなり密葬をすると聞いたので駆けつけた。



「ねえ、このおばあちゃんの旦那さんって若い頃、自殺したんでしょ?」

「うん、近所には黙っていたけど、そうらしいんだよね」



 その時参加していた人たちが、小さな声で囁いていたのが聞こえた。

 私は密葬が終わるのを待ち、その人たちに聞いてみる事にした。





「あの、すみません……」



「はい、何でしょう?」



「先ほどおばあちゃんの旦那さんが自殺って言ってましたが……」





「ええ、かなり前らしいけど」



「本当に自殺だったんですか?」



「ええ、自分で首を吊って亡くなったらしいわ」







「……」



 ここでも『首吊り』……。





「ちょっと、この子、お孫さんでしょ? 余計な事言わないほうがいいわよ」



 もう一人のおばさんが小声で私に聞こえないよう話をしていた。



 何故おばあちゃんは、生前私に心臓麻痺だなんて誤魔化して言っていたのだろう。

 湯船に浸かって心臓麻痺だなんて、滅多にないはずだ。



 幼いながら不思議にずっと思っていた事でもあった。





 この人たちの噂話を聞き、見た事もない母方のおじいちゃんは首を吊って亡くなったんだと感じる自分がいた。

 思い出せば、おばあちゃんは一度だって私におじいちゃんの生前の写真を見せてくれた事がなかったのだ。



 自分の身内が自殺だなんて、孫に言えなかったのだろう。





 そう思うと、秘密を一人で抱えながら亡くなったおばあちゃんがとても不憫に感じた。





 おばあちゃんが亡くなってから十年以上経つ。

 私は整体を開業し、日々患者さんを施術していた。



 ある日、よく来る常連患者さんと酒を飲む機会があり、色々とお互いの事を話し合った。



 その患者さんは、私よりひと回り上である。

 しかし生活感がまったく感じられなかった。



 ちょうどいい機会だと思い、結婚をしているのか聞いてみた。





「そういえば、波田さんってご結婚されているんですか?」



「あ、私ですか。実は今、独り者なんですよ」





 実は今という言い方が妙に引っ掛かった。



「失礼ですが、離婚されたっていう事でしょうか?」





「……」

 波田さんはそこでしばらく黙ってしまった。



「すみません。失礼な事を聞いてしまって……」





「いえ、実は女房、自殺してしまったんですよ」





「……。そうだったんですか……」



 波田さんは、とても暗い表情になっていた。

 当時を思い出しているのだろうか?



 深い悲しみ。

 それは私がいくら考えても到底及ばない。



 沈んだ瞳は、辛さを物語っていた。





「普通に仕事して帰ってきたら、部屋で首を吊っていたんです……」

 そう言って波田さんは黙々と酒を飲み続けた。





 波田さんと知り合った同時期に、ネット上を通じて知り合いになった小説家がいた。

 その人も偶然な事に波田さんと同じ年で、私よりひと回り年上である。



 価値観が合うというか性格が似ているので、よくお互いの近況を話し合った。



 不思議に思ったのが、奥さんの話がまったく出てこない点である。

 失礼を承知で聞いたが、波田さん同様過去に奥さんが首を吊って亡くなったと、その小説家は静かに言った。





 同時期に知り合ったひと回り年上の二人。

 その二人とも、奥さんが首を吊って亡くなったという事実。





 私はここまで書いて『首吊り』というキーワードが繋がっていくのが怖くなった。





『ブランコで首を吊った男』。

 この作品は、どうやらこの辺で執筆をやめておいたほうがよさそうだ……。



 私はそうしたほうがいいと本能的にそう感じ、この作品について関わるのをやめた。







 後日、例の霊媒師から言われた事があった。





「まだ数年後でしょうけど、あなたはいずれ『天使の羽を持つ子』、そしてさらに先の話ですが、『神の棲む家』という作品を書くでしょう」





 当然心当たりはあった。



 己の過去を振り返り、自分と向き合う為の作品が『天使の羽を持つ子』。

 本当のテーマは私の根底に深く根付いている憎悪の浄化である。



 以前この題名で作品に挑戦した事があったが、原稿用紙四千六百十枚まで書きながら途中で頓挫した。



 自分をテーマにしてしまうと、いくら書いたところでキリがない事に気付き、『新宿クレッシェンド』の続編である『新宿プレリュード』以降の作品などと話が被ってしまう恐れがある。

 よって今は断念していた。





 そして『神の棲む家』……。



 過去二度に渡って輪廻転生をテーマに書いてみた事がある。

 一つは『群馬の家』であり、原稿用紙百五十二枚まで書きながら何故か途中で断念。

 次に『その先に見えるもの』と題名を変え、原稿用紙で九十二枚まで書くも、今の自分ではまだこのテーマを書くには早過ぎると感じ、また断念する形となっていたのだ。



 まだまだ他の作品を書き続けている内に、自然とこの二作品は勝手に生み出されるのだろう。

 そんな気がする。





 いずれにせよ、『天使の羽を持つ子』と『神の棲む家』は、まだ今の俺では完成までもって行けないのだ。

 まだまだ精進が必要である。







 ここまで書いて原稿用紙三百十三枚。

 更新した日時は三月十三日……。





 奇妙な偶然に、妙な薄気味悪さを覚えた。





 何か嫌だな……。

 私はもう少しだけ加筆する事にする。





 現在、霊媒師のところへ行った彼女とは別れ、今も俺は小説を書き続けている。

 そんなある日、幼馴染の同級生とバッタリ出くわした。



 その幼馴染と食事へ行った時の事である。





「ねえ、岩上。あなたの従兄弟で○○さんっていたでしょ?」



「ああ、それが?」



「私さ、○○さんが岩上の従兄弟だなんて子供の頃知らなかったんだけどさ。変な噂を聞いたの」



「噂? 何の?」





「いや、ちょっと言いづらいんだけど……」



「何だよ? ここまで言っておいて」



「いや、○○さんの…、あ、岩上のおばあさんでもあるんだっけ。その旦那さんの話なんだけど……」





「……」



 幼馴染の話を聞いた俺は非常にショックを受けた。



 またこれで一つ何かが繋がった。

 そんな気がする。



 ここでそれを書こうとは思わない。

 この話は俺が心の奥底にしまっておき、墓場まで持っていく事にしよう……。



 もうこれ以上、この作品に関わるのはやめたと決めたはずである。

 やるせなさを感じた。





 この後、余談ではあるが、私の処女作である『新宿クレッシェンド』は、霊媒師の予言した通り、二千七年の夏に『第二回世界で一番泣きたい小説グランプリ』を運良く受賞し、現在全国書店やインターネットにて発売されている……。





 本当に怖い作品……。

 そんな小説を書いてみたかった。

 そして完成した今……。

 この小説は曰く憑きの作品となりました……。







―了―





作者 岩上 智一郎