「それで、あの映像を送ったんです。何とかならないかなって……」



「それはそうですね。気味が悪いままだと、今後の生活に影響があります」



「でも、あのビデオ会社。ただ映像を商品化しただけで、何の解決にもならなかったの」



「向こうはただの商売ぐらいにしか、考えていないんですよ」



「ええ、そう思ったわ。送った私が馬鹿だったって…。話は戻るけど……」



「はい」





「恥ずかしい話だけど、亀田さんに相談したあと、あの人は私に迫ってきたの」





 確信できた。

 あの映像は亀田が、意識して作った合成映像であると……。





「はい、それでどうしたんですか?」



「当然、払いのけました。確かに主人とはうまくいってない。でも、だからって何であんな人に、身を預けないといけないの?」



「そりゃそうですよね」



 静香は感情的になっていた。

 その時の光景を思い出しているのだろう。



 頬が紅潮していた。

 亀田みたいなオタクに迫られたら、誰だって嫌だろう。

 気持ちは分かる。



「それで、その場は去ったの」



「ええ」



「それから何か疲れちゃって、実家に帰って……」



「その時にDVDを?」



「うん、でも、子供の事もあるし、主人にはなついていたので帰りました」



「ええ」





「そしたら子供が、亀田さんを発見して……」





 途中で彼女の目に涙が溜まっていた。

 自分の子供が、亀田の自殺の第一発見者。

 むごい現実である。





「それで今に繋がると……」





 静香は、テーブルに突っ伏して泣き出していた。

 力のない小動物を見るような感覚を覚える。





 初対面の俺の前で、テーブルに突っ伏して泣く静香。

 見ていて哀れに思う。



 店内の数人の客が、こっちに注目していた。

 マスターのほうを見ると、気づいていないふりをしていた。



 亀田の性格を考えると、あの首吊り映像は作り物だと感じる。

 その時点で、冷めたような感覚はあった。



 あとの話はどうでもよかった。

 でも、目の前で泣いている静香を見ると、悪い気がしてくる。



 自分の興味的な事だけで、過去の嫌な記憶を蘇らせた。

 少なくても今、泣いているのは、俺のせいでもある。



 仕方ない。

 ここまで乗りかかった船だ。



 とことん付き合おう。

 俺は静香が泣きやむまで黙って待っていた。





 そういえば主人は仕事だとしても、子供は放っておいていいのだろうか?



 ここに来て三十分は経つ。

 昼寝をしているだけかもしれないが、あのアパートに一人でいる状況には代わりがない。



 静香は今、自分の事で、いっぱいいっぱいなのは分かる。

 でも、子供の事を言ってやらないと……。





「あの~、静香さん?」





「……」



「いいんですか、お子さん。一人でアパートにいるんでしょ?」





 俺の言葉に反応してくれたのか、静香は顔を上げた。

 目が真っ赤になっている。





「お願いがあるの……」



「ええ、何ですか?」



「付き合ってほしいところが……」



「どこへです?」



「それは返事を聞いてから……」





 どこへ行こうというのだろう。

 まあ、どこでもいいか。

 さっき、とことん付き合うと決めたのだ。



「分かりました。いいですよ」



 子供の事はいいのだろうか。

 それ以上は追求せずに、俺はコーヒー代を払って店を出た。







 賑やかな駅前通から、離れていくように歩く静香。

 俺は、黙ってあとをついていくだけだった。



 彼女は今、何を考えているのだろう。

 明らかにアパートとの方角とは、違ったほうへ歩いていく。

 後ろ姿は、寂しさやせつなさを訴えているようにも見える。



 どんどん人気のないほうへ向かう。

 とりあえず声を掛けようと、横に早歩きで並ぶ。





「亀田さんが亡くなったあとね……」



 突然、話を切り出されたので、心の準備がうまくできていなかった。



「……」





「警察の人が、何度も聞き込みに来たわ」



「それは、そうですね」



「それで私、知ったの……」



「何をです?」



「さっき、あなたが言ってたでしょ?」



「え?」





「床にパンティが落ちていたって……」



「ええ」





「それ、私のパンティだったの……」



 亀田の奴、隣のベランダから忍び込み、静香のパンティを盗み取ったのか。





「……」

 何て声をかければいいか、分からなかった。





「お気に入りのやつだったのよ。真っ白で……」



 もともと白いものが、あいつの手垢などで陵辱され、どす黒く変色したパンティ。

 持ち主の静香は、どれだけ傷ついたのだろうか。

 想像もつかないほどのショックを受けるだろう。





「辛かったら、無理にはいいですよ」



「ありがとう」



 悲しげな静香は、無理に笑顔を作った。

 抱きしめてやりたい衝動に駆られる。

 でも無理だ。

 俺には美和がいる。



 俺たちは、そのまま黙って歩いた。





 やがてお寺が見えてくる。

 静香は真っ直ぐ進み、寺内へ入った。



 一体、俺をどこに連れて行こうとしているんだ?





「ごめんね、変なところに案内しちゃって……」



「い、いえ……」





 静香は墓場に入り、奥に歩いていく。





「……」





 香田隆志と書かれた墓石の前で、静香は立ち止まった。

 ご先祖の墓だろうか。







「私の子供のお墓なんだ……」





 衝撃的な事実に、言葉が出なかった。



 あのDVDに映っていた子供……。

 あの子が亡くなっていた。



 あんなに元気にはしゃいでいたのに……。





 静香はしゃがみ込んで泣いていた。

 小刻みに肩を震わせながら……。





 何ともいえない気分だ。

 一体、何があったのだろう。



 俺はしゃがみ込む静香の肩に手を置いた。





「色々と辛い事が、連続であったんですね……」





 確かに主人とは、うまくいってない。

 さっき喫茶店で、彼女が言った台詞が思い出される。

 こんな小さな背中で、一人ですべて背負い込んできたのだろう。



 そういえば、何で最初に気付かなかったのだろう……。



「な、何故、私に、子供がいたなんて分かるんですか?」

 あの時、静香は「子供がいた」と過去形で話していたのだ。



 静香は俺に抱きついてきた。

 俺は両腕を下に垂らしたまま、立ち尽くすしかなかった。



 俺の胸を借りて泣く静香の頭を優しく撫でてやる。





 携帯が鳴る。

 美和からだった。



 俺は音が鳴らないように、バイブにして再びポケットに入れた。









 裸の静香が、上半身を起こす。

 形のいい胸が揺れる。



 俺は彼女を抱いてしまった。

 俺も静香も何も言わず、自然とホテルに向かっていた。



 旦那とも、しばらくしていなかったのであろう。

 静香は貪欲に俺を求めた。

 俺も彼女の心境を理解し、それに答えた。



 いけない事なのは承知していた。

 でも、自分を抑えられなかった。



 今、彼女の顔は、すっきりしたような感じに見える。





「まだ、名前も聞いてなかったね……」



「早乙女雷蔵…。二十三歳」



「へー、雷蔵って言うんだ?」



「うん、古臭い名前だと思うけど、自分じゃ気に入っている。俺も、静香さんって名前しか聞いていない」





「失礼ね。女に年を言わせるの?」



「抱いた女には、失礼でも聞くようにしている」



 俺がそう言うと、静香は声を出して笑った。

 心から笑っているように見える。





「二十五」



「二つ上なんだ。もっと、若そうに見えたけどね」



「ありがと」



 静香は、俺の頬にキスをしてきた。



「旦那がいるのに、良かったのかい? 後悔してないの?」





「少し長くなるけど、聞いてくれる?」

「もちろん」



「あのアパート、引っ越してきたのって、まだ数ヶ月前だったの。亀田さんとは、偶然近くのスーパーで知り合ってね。最初の頃は、いい近所付き合いをしてたわ。ただ、うちの主人って一度も私を抱いてくれなかったの。何度も言ったけど、いつも疲れているってばかり…。子供を撮ったDVDに、あんなものが映っているのに、全然感心すら抱いてくれなかったの」



「それは酷いな」

 静香は甘えるように、俺の腕に頭を乗せてきた。



「あの公園で私が悩んでいると、亀田さんが偶然、通りかかったんだ。親切にしてくれるから、相談しちゃってね…。そしたら私に迫ってきて…。これが目的で、親切にしてたんだって思っちゃった」



「大抵の男って、そんなもんだよ」



「そうね。心を少しでも許した私が、馬鹿だったんだなって思ったよ。それで、子供と実家に帰ったって言ったでしょ?」



「ああ」



「もう二人で生きていこうって思ってたけど、隆志が、主人を恋しがっていたから、仕方なく戻ってね」



「子供の気持ちがやっぱり優先だよね。間違ってないと思うよ」



「うん、そしたら、亀田さんがドアノブで首を吊っているのを隆志が見て……」





「そっか……」





「最初、あのアパートに戻った時、すごい嫌な臭いがしてね。その時で、妙な感じはしたんだけど、隆志は亀田さんの部屋のほうへ行ってたの」



 すごい嫌な臭い……。

 俺が公園で嗅いだ臭いと同じような気がした。





「それで?」



「ドアノブに手を掛けてたから、やめなさいって言ったら、ドアが開きだして……」



 静香の肌は鳥肌が立っていた。





「辛かったら、その辺は無理に話さなくてもいいよ」



「うん、ありがと。それから警察に通報して、何度も聞き込み調査が来て、すごい疲れたわ」



「そりゃそうだろうね」





「旦那は私に謝ってきたわ。でも、それって形だけだったの」



「何故?」



「息子の隆志が原因不明で、体の具合が急に悪くなり、病院に連れて行っても医者は分からないって……」





「……」



「色々な医者にすがりついたけど、原因不明のまま、隆志は三歳で亡くなったの」





「うん……」





「まだ、二週間前の話……」





「そうか」



「隆志が亡くなったその日…。旦那は、別の女と浮気してたんだ」





「……」



「私、隆志の葬儀とか色々あって、何も言わなかったけど、終ってから実家に戻ったの」





「うん」



「その時、あのDVD出したところから、連絡があってね。隆志が亡くなった原因が、分かるんじゃないかなと思って出演したんだ」



「DVDでは、子供が亡くなった事、言ってなかったじゃない?」



「話している内に、この人たちって何か違うんだなって思って……」





「そうだね。俺も見ていて、それは感じたよ」



「親に言われたわ。おまえの主人も辛さは同じなんだから、家に戻りたい気持ちは分かるけど、一緒にいなって……」





「確かに事情を知らないと、そう無責任に言うかもな……」



「もう何も考えられなくて…。私の居場所って、どこにもないんだって思ったの」





「……」



「家にもいられないし、働いてないから、私は今のところに戻るしかなかったんだ……」





「大変だったな……」







「隆志が亡くなったの、まだ信じられなくて……」

 静香は、涙声になっていた。

 俺はギュッと抱き締めてやる。







 ホテルの休憩時間がきて、俺たちは出る事にした。



「送っていくよ」





「ううん…。大丈夫……」

 静香は寂しそうに笑った。



「そうか」





「ごめんね」





「何が?」







「もう逢う事、ないと思う」





「……」







「ありがとう……」







 静香は振り向いて、歩いていった。

 まだ時間は三時半だった。





 携帯を取り出すと、美和から着信が三回ほどあった。



 美和に対しての罪悪感がのしかかってくる。

 俺はどんな言い訳をしたとしても、あの女をさっき抱いてしまったのだ。



 でも、何故か気分はすっきりしていた。

 美和に、この事だけは黙っておこう。





 俺はマンションに向かって歩き出す。

 一度も静香のほうを振り向かずに歩いた。





 帰り道、公園に差し掛かる。

 今は誰もいなかった。



 この近所の人々は、この場所で自殺があったのを知っているせいだろうか。





 ブランコへ近づいてみる。

 あの映像は亀田が合成したと仮定しても、ここでサラリーマン風の男が首吊り自殺をしたのは本当の事だったのである。



 ここで自殺をした……。



 俺はブランコを支える鉄の棒に触れてみた。

 何も感じない。

 どんな気持ちで自殺をしたのだろうか?



 俺には分からない。



 もう前みたいな変な臭いはしなかった。

 あの時嗅いだ臭いは一体、何だったのであろう?





 赤いベンチに腰掛け、静香が住むアパートを見る。

 もう彼女は帰って中にいるのか。

 色々と考えてみたが、もうどうでもいい事だった。



 彼女とは、二度と会う事はないのだ。





 さっきお互いを求め合ったのが、幻だったように思えてきた。







 帰るか……。

 俺は立ち上がり、公園をあとにした。



 自分のマンションに帰ると、ドアの新聞受けのところに、大き目の封筒が入っていた。



 手に取ると、非常に薄っぺらい封筒だった。

 差出人も何も書いていない、ただの封筒。



 何だろう、これは……。





 中に何か入っている。

 俺は封を切って、取り出してみた。





 真っ白い一枚のDVD。

 中にはそれしか入っていない。DVDのロゴしかない、無地のメディア。



 郵便物で届いたものじゃないとすると、誰からだろう。

 この部屋に来た事があるのは、友人と美和ぐらいだ。