夏休みの間、わたしのおばあちゃんのおうちが民宿をやっていて、帰っている間はお手伝いをしているのだけれど、お客さんの息子さんが体調不良だというので、様子を看に行っていた。
 人見知りで遠慮がちな子だというから、大人よりも同い年くらいのわたしのほうが、向こうも気が楽なんじゃないかって話になって、わたしは静夏(しずか)ちゃんって子が休んでる家に行った。
 いつもはおばあちゃんとこっちに住んでる叔母さんたちでどうにか経営しているみたいなんだけれど、今年はちょっとおばあちゃんが腰をやってしまったのと、叔母さん夫婦の都合がつかなかった。でも毎年遊びに来てると、それはそれで楽しいけれど、飽きてるところもあるから、たまにはこういうのも悪くないのかも知れなかった。

 民宿は本当にただの民家って感じだった。でも田舎にお父さんお母さんの実家があるわたしが慣れてるだけで、先祖代々生まれも育ちも都会の人たちには、古びた木造住宅が憧れだったりするのかも。古民家カフェがブームのとき、おばあちゃんが持ってる家も古民家カフェにしないのかなって思ったものだった。

 言われたとおり、玄関には回らないで、縁側の掃き出し戸を叩く。日が照って、ガラスはほとんど反射してたけど、暗い中に扇風機が回っているのが見えた。
 もう一度、戸を叩く。布団がもぞもぞ動いて、"静夏ちゃん"が出てきた。短い黒髪で、少し日焼けした感じがある。背も高いほうでボーイッシュな子だなと思った。サッカーとかやってそうな。近付いてくると、猫っぽい雰囲気のすごく綺麗な顔立ちをしてることに気付く。
 戸が開く。
「あっ、ここの民宿をやってる者の孫で、米維(めい)っていいます! 静夏ちゃんの具合が悪いって聞いていたので、お手伝いしに来ました」
 思ったよりもクールで綺麗な子で、緊張しちゃった。
 静夏ちゃんは縁側から黙ってわたしを見下ろしてる。機嫌が悪そうに見えたけれど、それも具合が悪いからかな。
 わたしはちょっと戸惑って、静夏ちゃんの反応を持っちゃった。
「……俺、男だけど?」
 わたしはぎょっとした。確かにちょっと、女の子にしては声が低いかも?
「別に寝てれば治るから、大丈夫だし」
 戸が閉められそうになって、わたしは咄嗟に手を挟んだ。
「ちゃんとクーラー、点けてる?」
 扇風機が左右に動いてるのは見えたんだけれど、クーラーの点いてる様子がなくて。ここの地域はとても暑くて、毎年全国で一番暑い地域を張り合ってるくらいだった。実際、着てるTシャツも汗で色が変わってるし……
「クーラー、苦手なんだよ」
「でも、扇風機だけじゃ危ないよ」
 わたしは戸を開き直して、そこから中に上がった。
「別に平気だって……」
 クーラーはやっぱり点いてなかった。レトロで古風な雰囲気が売りなのだけれど、年々暑くなる気温はどうしようもない。クーラーがちょっとだけ浮いて見える。
 リモコンを探して、"運転開始"。除湿モードの、設定温度は26度。扇風機も点いてるしね。
「あ、おい……」
 静夏ちゃん……静夏くんはリモコンをいじっているわたしのほうにやって来た。
「設定温度、高くしておくね」
「勝手なことするなよ」
「でも熱中症になったりしたら困るもの。具合だって悪いんでしょ? ここの夏ってすごく暑いんだから」
 リモコンを壁に掛けて、わたしは台所に向かった。コップに水を注いで、静夏くんの寝ている部屋の隅にあった卓袱台に置いた。
「なんか臭い……」
「クーラーの匂いだよ。すぐ消えるから」
 わたしはこの匂い、夏が来たって感じがして好きなんだけれど。家でもクーラー、使わないのかな。
 静夏くんは襖や障子を閉めて回るわたしの後をついてきた。
「ここ、換気用にちょっと開けておくね」
「うん……」
 渋々って感じだった。言い合うのも面倒臭そう。
「飲むものはあるの?」
「冷蔵庫に麦茶がある」
「それだけ?」
「うん」
 おばあちゃん家までここから歩いて2分もしない。
「じゃあスポーツドリンク持ってくるからちょっと待ってて」
「あのさぁ……俺、別に風邪じゃないよ」
「え、そうなの?」
 確かに具合が悪いとしか聞いてなかった。わたしはてっきり、夏風邪と勘違いしちゃってた。
「だから大丈夫。寝てれば治るから。放っておいてくれない?」
「放っておけないよ。ここはわたしのおばあちゃんの民宿なんだもの。何かあったら困るし、楽しい思い出にしてほしいから」
 静夏くんはムッ……としたけれど、わたしもおばあちゃんに任されたからには、ちゃんとやらないと。
「じゃあ、ちょっとスポーツドリンク持ってくるね。朝ごはん、何食べた?」
 わたしは縁側のほうに出ようとして、静夏くんに背を向けまま訊ねた。
「食べてない」
「え?」
 具合が悪いって、朝ごはん食べてないからじゃ……
「この頃、食欲なくて……あんまり食べられないから、食べないことにした」
「夏バテかな。嫌いなものとかある?」
「別に、いいよ、ごはんとか。夜に食べてるし」
 スポーツしてるような印象があったけど、そんなことないのかな。
「飲むもので済ませる気なの? 梅干しとか野菜とか、食べられる? 残してもいいから、何か食べないと」
「急に訊かれたって嫌いなもの、すぐに浮かばない」
 確かにそうかも。わたしもすぐには浮かばない。
「じゃあ何か適当なものを持ってくるね。っていっても、昨日おばあちゃんが作ってくれた夕食の残り物だけれど、美味しいから」
 わたしは一旦、おばあちゃんの家に戻った。まさか"静夏ちゃん"が男の子だったことにはちょっと焦ったけれど。
 居間でテレビを観ているおばあちゃんに一声掛けて、わたしは台所に入った。
冷蔵庫のなかにあるタッパーをいくつか覗いた。夏野菜の焼き浸しと、きゅうりと梅干しの昆布和えがある。かつおのお刺身も4切れ残っていた。見た目からしても匂いからしても傷んでいる様子はなかった。おばあちゃんに相談してから、電子レンジ用のパックごはんとインスタントのなめこのお味噌、それからスポーツドリンクを持ってまた静夏くんの泊まる古民家に戻る。

 静夏くんはうちわで扇ぎながら、縁側に寄った部屋の端にいた。クーラー消しちゃったのかと思ったけれど、消したのは扇風機のほうだった。
「ここ開けておいたら、冷気に逃げちゃうよ」
 掃き出し戸を開けながら言うと、静夏くんは立ち上がった。口煩いことを言ったから怒っちゃったのかと思った。そうしたら静夏くんは縁側に置いた保冷バッグを持ってくれた。不機嫌なのかな、ちょっと意地悪なのかなって思ったけど、本当は優しい子なのかな。自分のごはんが入ってるからってだけ……?
「あんたが入ってきづらいと思ったから」
「あ……、そうだったの。ごめんね。ありがとう」
 わたしは卓袱台を部屋の真ん中に引いた。少し白く曇ったタッパーを並べる。台所には電子ポットと電子レンジがあるから、お湯を沸かして、パックごはんを温めた。
 静夏くんは卓袱台に並べられたおかずたちを眺めていた。
「食べられそう?」
 静夏くんは頷いた。わたしはちょっと嬉しくなった。
「無理はしなくて大丈夫だから」
 また静夏くんは頷いた。そのうちにパックごはんが温まって、お湯も沸いた。静夏くんは両手を合せてから黙々と食べ始める。まずはかつおのお刺身から。醤油を添えて。
 テレビのない部屋だし、何か喋らなきゃって思った。
「わたしね、米維(めい)っていうんだけど……」
「さっき聞いた」
 きゅうりを噛み砕く音が狭い一室に(こだま)する。この近くの山奥にある、夏でも涼しい森の中みたい。
「あ、そっか……漢字でね、お米に繊維の"維"って書くんだ」
「ふーん」
 話題、ミスったかも?
「珍しいじゃん」
 ちょっとドキッとしたけど、聞こうとはしてくれてるみたいでよかった。なんだかわたしがおもてなしされてるみたいで申し訳ない。
「そ、そうなの。おばあちゃんとおじいちゃんが戦時中、食べるものに困ってたからって、わたしの生きてる時代はお腹空かないように、白くて美味しいごはんをたくさん食べられますようにって願いを込めて付けてくれたんだ。アメリカって意味もあるから、おばあちゃんは猛反対したんだけど……もう時代が時代だからさ。まぁ、でも、だから、わたし、ごはんは欠かさずに食べてるの。それで静夏くんにもごはん食べさせたくなっちゃって。わたしのわがままに付き合わせちゃってごめんね。でも、ありがとう」
「この流れであんたがそれ言うのは変」
 白出汁に浸かってた焼きナスを齧っている静夏くんの目を見た。でも逸らされた。
「俺は"静かな夏"って書いて静夏。夏生まれだし。でもいつも夏に体調崩すから、夏ってあんまり好きじゃない」
 抑揚なく喋るのが投げやりな感じがしたんだけど、それでもわたしとコミュニケーションをとろうとしてくれたのが嬉しかった。
「そうなんだ。でもわたしは夏、好きだな。ごはんやっぱり、美味しいし。冷たいもの食べるって選択肢があって……へへ、別に夏じゃなくても冷たいもの、食べられるけど」
 あんまり異見しないほうがよかったかな、ってちょっと思ったけど後の祭り。静夏くん、黙っちゃったし。
「確かに」
 でも優しいのかな。やっぱりちょっと投げやりっぽいけど同意を示してくれて。これじゃあもう、わたしが接待されてるみたいだね。
「ごちそうさま。美味しかった」
 なめこのお味噌汁を飲み干すと、静夏くんは両手を合せた。
「よかった……って言っても、やっぱりおばあちゃんの作ったものだけれど。お昼まで保つかな、お腹。アイスとか、食べ過ぎちゃダメだよ」
 空になったタッパーを保冷バッグに戻して、お味噌汁のカップとごはんの容器、割り箸も回収する。きっと後片付けも面倒だろうし、そういうのが嫌で食べなかったのかもしれないし、わたしもちょっと分からなくないときあるから。
「うん……多分」
「多分て……でも、暑いもんね。ちゃんと水分摂って。お大事に」
 夏バテってそんな早く良くなるものか分からないけれど。わたしには無縁なものだから。
「うん。米維も」

 わたしはおばあちゃんの家に帰って、民宿にいる"静夏ちゃん"が男の子だったこと、"静夏くん"と少し仲良くなれた気がしたことを話した。おばあちゃんは楽しそうに聞いてくれた。
 でも、お母さんにも話したときに知っちゃったんだ。そんな子は泊まってないって。空になったはずのタッパーは中身ごと冷蔵庫にあった。なのにお味噌汁とごはんの容器だけが台所のゴミ箱に入っていた。

 今でもふと、この時期になると思い出す。
 わたしは急に笑っちゃった。大人になって、一人暮らしをして、働き始めて、不摂生になってるなって。
 静夏くん、今晩、何食べよっか?

【完】