「ねえ、お母さん。ホントにしっかりしてよ。」
「ん~?ちょっとうるさいから黙ってちょうだい。」

私は電気のついていない暗いリビングで、大きなため息をついた。
お母さんはいつもこうだ。毎晩ホストクラブに通い詰めては、酔いつぶれて帰ってくる。おまけに、ろくに働かないし、それどころか家事も何一つとしてやらない。
せめて2人暮らしなんだから、掃除くらいはしてほしい。毎日、母親の代わりに家事とバイトをやる私の身にもなってほしいものだ。

私の名前は、花恋(かれん)という。高1。
私は今、お母さんと2人暮らしをしている。お父さんには会ったことがない。なぜなら、お父さんは有名な浮気男で、お母さんが私を妊娠したと知ったとたん、どこかに逃げて行ってしまったからだ。
とはいえ、お母さんもお母さんで大の男好きで、複数のホストクラブに通い詰めている。

「もう、眠いから寝るわぁ。あんた、ちゃんと勉強しなさいよぉ?」
「うん、おやすみ。」

お母さんは、パタパタとスリッパを引きずりながら寝室へと去っていった。

「なにいってるの。あんたのせいで、勉強する時間なんて1秒もないのに。」

そういうところだけ母親っぽくするお母さんに腹が立つ。いや、腹が立つどころじゃない。でも、この15年の人生で怒りを制御する技術は、誰にも負けないくらいに磨かれてきた。そのためか、私は怒鳴ったり叫んだりすることは、ほとんどない。というか、やり方を知らないだけ。

私は、黙々と食器洗いを始めた。
食器洗いといっても、お母さんが使ったワイングラスやワイングラスやワイングラス…だけ。
そもそもワイングラスなんて、1つに繰り返し注げばいいのに、お母さんはこだわりが強くてそれをしない。

「せめて、食器洗い機があればいいんだけどな。」
うちじゃ、買えないか。
母親が働かないシングルマザーの家が、そんな高価なものを買えるわけがない。

「はあ。」
ひとつ、短くため息をついて、私はお母さんの寝室へと向かった。

気持ち良さそうないびきが聞こえることをドア越しに確認した私は、バッグを片手に家を出た。
私は、毎日深夜、コンビニで7時間働いている。
バイトで働き始めて1週間で、従業員に認められた。
夜10時から朝5時まで。月給は105,000円。
こうして寝る時間を削って働いているのは、お母さんには秘密だ。

夜でも明るい商店街を通り抜け、その先にあるコンビニへと向かう。
道を歩いているのは、仕事帰りの大人や、夜遊びをしている若者ばかり。働きに行っている高校生なんて、1人も見当たらない。
まあ、誰も私のことなんて見てないし、働かなきゃ生きていけないんだから、仕方ないか。

突如、道の先にクラスメイトの姿が見えた。
私はとっさに、物陰に逃げ込む。
お父さんがいないことや、お母さんがあんな人だということは、学校では話していない。
誰かに夜の街を歩いているのを見られて、花恋が夜遊びをしていたとか、家出だとか、うわさが立ったら困る。
学校では一応、真面目なふりをしているのだから。

クラスメイトが、つるんでいる数名と商店街を通り抜けたのを見届けて、物陰から出る。
バイトの開始時間に間に合わなかったら大変なので、コンビニまで走って向かった。

「いらっしゃいませ!」
お客さんに一言挨拶をして、店の裏に入る。

「店長、こんばんは。」
「花恋ちゃん、こんばんは。今日も仕事熱心だねえ。高校生なのに大変だ。」
「はい。ありがとうございます。」
「きついときは休んでもいいからね。」
「心配していただかなくても大丈夫です。」
「あっそう。んじゃあ、今日もよろしく。」
「はい。」

店長は、そう言ってどこかに行った。

「どうせまた、ホステスんとこだろ。花恋ちゃん、店長のことは気にしなくていいんだからね。あいつ、花恋ちゃんのお母さんのこと知ってて、わざとああ言ってるだけだから。」
「はい。」

声をかけてきたのは、このコンビニの従業歴30年のベテラン店員、東極(とうごく)のどか先輩。私はのどか先輩と呼んでいて、のどか先輩は何かと私を可愛がってくれる。
でも、のどか先輩は昔、歌舞伎町で暴れまくるギャル集団の1人で、男とつるんで飲みに行って、酔った勢いで男をホテルに連れ込むのが上手かったのだとか。
それに、のどか先輩は店長と付き合っていた時期があったらしく、店長との間にできた子どもを今でも育てているらしい。
でも今は、ギャルの面影が少し残っているものの、立派な大人だ。

店長はというと、女たらしで、店を抜けてはホステスに通っている。

「花恋ちゃん、一人暮らし作戦のほうはどんな感じ?お金たまってきた?」
「ああ、今1ヶ月半働いてるんで、200,000くらいはたまりましたけど…。やっぱり、一人暮らしにはまだ足りなくて。」
「そうよねえ。やっぱり部屋を買うだけじゃなくて、家賃とか、食料費もかかるしねぇ。それに、高校って学費もハンパじゃないんでしょ?」
「そうなんですよ。」

私がコンビニで働いているのは、あの母親から逃げて一人暮らしを始めるためだ。
このことは、コンビニの従業員さんと店長にだけ言っている。私が従業員になれたのも、この事情とのどか先輩の存在が大きかったかもしれない。

「じゃ、私ちょっと仮眠とってくるから、花恋ちゃんレジよろしく~!」
「はい、了解です。お客様こちらのレジへどうぞー!」

翌朝5時。
仮眠はとったものの、やはり眠気が襲ってくる。

「じゃあね、花恋ちゃん。今日もお疲れさま!」
「お疲れさまです…。」
気の抜けた返事をして、私も店を出た。
家に帰ったら、また朝食を作らなきゃいけないのかと思うと憂鬱で仕方ない。それがおわったら…学校…。
「はあ…。」

でも大丈夫!この生活が続くのも、一人暮らしのお金がたまるまでだし、そうしたら母親から逃れられるし、コンビニで夜中に働かなくてもいい。
それまでの辛抱だ、頑張ろう!
そう思い立ち、家までの道のりを歩く。

家に帰ると、お母さんは案の定寝ていた。
メイクを落として、簡単にシャンプーとリンスを済ませて、シャワーを浴びる。
ドライヤーをしていると、水の音で目が覚めたのか、お母さんがやってきた。

「あらぁ?花恋、またお風呂?」
「ああ、うん。ちょっとね。」
「そう。朝風呂だなんて、美容にも熱心ねぇ。というか、朝ごはんまだぁー?」

は?
と言いかけたけど、ギリギリで飲み込んだ。
「まだかかりそう。お母さん、自分でパン焼いといてよ。」
「イヤよぉ、そんなの。めんどくさいし、二日酔いでしんどいんだから。朝ごはん出来たら、部屋に持ってきてちょうだいね。」
「うん、分かった。いつものでいいよね?」
「ええ、もちろん。全く、花恋ったら本当にいい子よねぇ。自慢の娘だわぁ。」
「そっか…。」

お母さんはスキップしながら部屋に帰っていく。
「何が二日酔いでしんどいだよ…。全然しんどくなさそうじゃん。」
昨日はそんなに飲んでないし、思い返せばお母さんは毎日二日酔いな気がする。
それなのに、またホストクラブに行くとか…。
ほんっとバカじゃないの?
まあ、バカだからあんなんになったんだろうけどさ。
「ほんっと、イラつく…。」
ほぼ当て付けで、卵をシンクにぶつけた。
グシャッと音がして、殻が割れる。
その卵で作った目玉焼きは、ひどい形になってしまった。
「これ、お母さんの目玉焼きにしよう。」
失敗しちゃった、と言えば笑い事で済む話だ。

「お母さーん!ご飯できたよ!!」
「そこ置いといてちょーだい。」
「分かった…。目玉焼きちょっと失敗しちゃったけど、食べてね。洗い物はよろしく。」
「何で?あんたがしなさいよ。」
「え?」
「何であたしが洗い物なんてしなくちゃいけないわけ?大事な手が荒れるでしょ。あんたがやりなさい。」
「でも、お母さんいつ…」
「あんたがやりなさいって言ってるでしょ!何で娘なのにいうこと聞いてくれないの!」

私は、もうあきらめた。
「了解。お皿はキッチンに持ってきて。」
「やっぱりいい子ねぇ。もう言い訳なんかしないでちょうだいね?」

私がいつ言い訳をしたと?
でも…。
「はい。」
こう言わないと、学校に間に合わない。
階段をかけおりて、朝ごはんを喉に流し込んだ。

制服に着替えていると、お母さんがお盆を持ってやってきた。
「花恋~?これよろしくー。」
「うん。シンクに置いといて。」

時計を見れば、もう朝の8時。
8時20分までに教室に入っておかないと、遅刻になる。
高校までは歩いて15分だから…
「あと5分!!」
シンクまでダッシュで行って、せっけんを泡立てる。
「お母さん、何で食器を水に浸けてないの…。」
油汚れを必死に落として、なんとか3分で洗い物を終えた。

「髪を整える時間ない!もういいや!」
教科書をバッグに詰め込んで、ダッシュで家をでる。
歩きながら髪を結んだけど、整髪料もオイルも何もつけてないから、相当ひどい見た目のはずだ。
それに、ノーメイク!でも仕方ない…。

身だしなみを整える暇もなく、泣く泣く教室に入る。
するとその瞬間、騒がしかった教室が、静まり返った。
「花恋、なんか今日違くね?」
「花恋さん、ノーメイクじゃん!」
「ヤバー!」

いろんなひそひそ話が聞こえる。

聞こえていないフリをして、端の自分の席についた。
「花恋、おっはよー!ねえねえ、聞いて!昨日ね…」
友達の七海(なみ)がわざと大きな声で話しかけてきた。
教室の雰囲気がもとに戻る。
「七海、ありがとう。」
「いやいや、それよりも自分の心配しな?どしたん?何かあった?別にすっぴんでもボサボサでも花恋が可愛いことに変わりはないんだけどさ。」
「ん?あ、いや、ちょっと寝坊しちゃって。」
とっさにウソをついた。
働いていただなんて、口が裂けても言えない。
親があんなのだと知ったら、またあの時みたいになるかもしれない。

「また遅くまで勉強してたんでしょ!花恋ったらもう!真面目ちゃんなんだからさあ。」
「あはは…。ちょっと没頭しちゃってさ。」
「勉強に没頭ってどういうことよ…。まあ、花恋らしくていいけどね。」

友達にウソをつくのはとてもつらいし、何だか騙しているような気持ちになってくる。
でも、仕方ないのだ。
もし私の家の事情がばれたら、また児童養護施設に預けられるかもしれない。そうなったら、またいじめられるかもしれない。
それはやっぱり耐えられない。

『児童養護施設ってね、親がいない子が入るんだってー!』
『じゃあ、花恋ちゃんって親いないの?』
『そういう子のこと、孤児って言うらしいよ』
『こーじ!こーじ!』

『ねえ知ってた?花恋って施設から通ってるんだって』
『えー!初耳だわ!もしかして親いないんじゃない?』
『なんかかわいそー!』
『だからあんなに暗いんじゃ?』
『頭だけは良くて、ネクラだもんね、花恋って』
『キャハハハ!』
『そーれなー!!』

いろんな言葉がフラッシュバックしてきて、パニックに陥った。
「花恋!?どうしたの!大丈夫!?」
七海の声で我にかえる。
「えっ、あ、ごめん!!」
「もー、過呼吸になってたからびっくりしたよ。でも、一応保健室には行こ?」
「うん…。」

七海に連れられ、保健室までの道をトボトボと歩く。
「本当に花恋、どうしたの?なんかあるなら、私のこと頼ってよ。花恋が自分のこと話さない性格ってことは知ってるけどさ。」
「うん、ごめん…。」
「また、ごめん…。いい加減にして。」
「え?」
「ごめんばっかり言ってても何も分かんないし。なんか、私が花恋をいじめてるみたいじゃん…。」
「ごめん…。」
「だから!それがイヤなんだって!私の話聞いてる?ボーッとしてないで、ちゃんと聞いてよ!」

私には、その言葉がカチンときた。
「私だってボーッとしたくてしてるわけじゃない!それに、聞いてないわけじゃない!!分かってよ…。」

七海は、普段、声をあらげない私が大声を出したことにひるんだようだったが、それは一瞬だった。
「分かってって、何を?花恋が話してくれないからじゃん!私だって分かってあげたいよ、でも、話してくれないのに他人のことがわかるわけないでしょ!」

「私だって、七海のこと頼りたいよ!?でも、私には私なりの事情があって、どうしても話す勇気がないの!!今までだって、友達にさんざん裏切られてきた!怖いんだよ!だから話せないんだよ!ごめんしか言えないのも七海に申し訳ないからだよ!話せないのも頼れないのも申し訳ないし、七海に嫌われたくないからだよ…!」

気付けば、言葉が口から出ていた。
「私…!私…、叫べた…!七海、私叫べた…!」
叫び方を初めて知った。
ものすごく、すっきりした。

「なんかよく分かんないけど、良かったね、なの…かな?」
「うん!うん!」
「なら、良かった!早く保健室行こ?」
「うん!」

首振り人形みたいに首を振り続けている私に、七海が吹き出した。
「その顔は、どう見ても保健室に向かってる人の顔じゃないね。先生にはなんて言おう?」
「首を振り疲れたので休ませてください!とか?」
「いやいやいや…。ったくもう、すぐに機嫌なおっちゃうし。」
「あ、ごめん…!」
今度は嫌み混じりに謝ると、七海に頭をポンっと叩かれた。
「だから、それイヤなんだってば。何回言えば分かるんですか。でも、私もさっきはごめん。」
「もうぜーんぜん!スッキリしちゃったよ、七海のおかげでね!」
「ふーん。」
「ちょっとちょっと、友だちがお礼言ってるのにその反応は何よ?」
「別にー?でもなんか、損した気分だわー!」
「めっちゃ得したわー!」
「ウザー!」
そう言って笑いあっていると、いつのまにか保健室についた。

「で?なんて言うの?」
「うーん、頭痛、かな?」
「よし、合格!行ってら!」
「何の合格なのよ…。ったく七海ったら。」
「ほらほら、頭痛いんでしょ?早く行きなよ。」
「はいはーい、行ってきまーす!失礼します。頭が痛くて来ました。」
「どうぞー!」
「失礼します。」
「じゃね!」
「うん!ありがと!」

その後、私は早退することになった。もちろん、仮病で。
七海からは、家に帰ったあと、LINEでさんざん羨ましがられた。


「あらぁ?花恋、あんた学校じゃないの?」
「頭痛くて…。お母さん、何で昼から酔ってるの?」
「全部あんたのせいよ!全部…!!」
「え?何の話?」
「あの人がにげたのも、あんたのせい。カネがないのも、あんたのせい。」
お母さんに胸ぐらをつかまれ、押し倒された。
「あんたさえいなければ…!全部うまく行ってたのに、あんたが産まれたせいで…!」
「ごめんなさい…。」
「殺してしまおうかしら…。いま、ここで。」
「お…お母さん、何言ってるの?」
酔っているとは分かっていたけど、さすがに寒気がした。
私はいつか母親に殺されるんじゃないだろうか。そんな気がしてくる。

「あぁもー、疲れたわぁ。あたし寝るわ~。」
急に機嫌が直ったお母さんに驚きつつ、安堵の息を吐く。
「うん、おやすみ。」
「夜ご飯いらないからぁ、作んないでねぇ?分かったぁ?」
「はい。」
疲れてるのはこっちだっての。
しかも、勝手に夜ご飯いらないとか…。作る前提で献立考えてたのに、全部やり直しだし。
ほんと嫌になる。

お母さんのせいで、
施設に入れられた。
いじめられた。
働かないといけない。 
家事をしないといけない。
メイクができなかった。
髪がボサボサのまま学校に行かなきゃいけなくなった。
ほんと、何なの?
私の人生めちゃくちゃにしないで。

本当はそうやって、全部吐き出してしまいたい。
でも、できない。
できないように育てられてきたから。
これは逃げているだけなのかもしれない。でも、吐き出したことで殴られても怖くないほどの、勇気も強さも、私にはない。



それから2ヶ月が過ぎた。
満開だった桜の木も、緑の葉を茂らせている。
コンビニで貯めた給料も、400,000ほどになった。

そんな7月のこと。
「お母さーん?起きてる?」
ある日の朝、呼んでもお母さんから返事がなかった。
靴があるから部屋にはいるんだろうし、休日でシフトもないから急ぐ必要はないけど…。肉親だし、やっぱり心配だ。
私は思いきって、お母さんの部屋の扉を開けた。
「お母さん?どうし…」
そこには、予想外の光景が広がっていた。

お母さんは、普通に部屋にいた。
その横にいるのは、知らない男。
その2人が、抱き合いながらキスを交わしていたのだ。
「は?お母さん、何やってんの?」
「あらぁ?花恋、知らなかったっけえ?最近できた夫よぉ」
「夫!?それはつまり、結婚してるってこと!?」
「そうだよ。」
答えたのは、男の方だった。
「ねえ、男。名前は?」
「男だなんて、ひどいなあ。僕にもちゃんと、名前はあるんだよ。木崎幸人(きさきゆきと)って言うんだ」
「木崎…。ふうん」
「よろしくね、花恋ちゃん。義父として。」
「よろしくお願いします。」
この場から離れようと、ドアを閉めようとしたその時。
木崎に腕をつかまれた。
「何するんですか。離してください。」
「離せないよ。花恋ちゃん、かわいいからさ。真知子ちゃんにそっくりだ。」
「はい?何の話ですか?」
「ちょっと、裸も見てみたいなあ。真知子ちゃんに似てるのかなあ?」
うーわっ、きっも。
なるほど、理解した。お母さんがつかまりそうな男だ。
「服、脱いでよ。」
「嫌です。脱ぎません。」
こんなやつに裸なんて見せるもんか。
「脱がないなら…脱がせる。」
「は?」
私は木崎にTシャツの裾をつかまれ、強引に脱がされた。
「ちょっ、やめてくださいっ!」
豊かな胸が露になった。
思わず泣きそうになる。お母さんは、黙ってスマホをいじっているだけだ。
「あーらららら。やっぱりそっくりだ。何で隠す必要があるんだい?」
今度はズボンまで脱がされそうになった。
「やめてくださいっ!」
「やめないよ。」
くっそー!
やめさせてやる!
「おりゃあああああっ!」
私は木崎のみぞおちを殴り、頬を思いっきり叩いてTシャツを取り返した。
そしてTシャツを着ながら、靴下のまま外に飛び出して全力で走る。
木崎はついてきているものの、意外と運動神経は悪いようだ。ホッとしたが、油断は禁物だと思い、全力で走った。
コンビニがある商店街まで来たとき、木崎が置いてあった自転車を奪って追いかけてきた。
「えっ!?待ってやばい…!」
自転車で追いかけられたら負けるに決まっている。
何とか商店街の外まで来たが、木崎はもうすぐそこだ。
「花恋ちゃん!?」
声が聞こえた方を見ると、バイクに乗ったのどか先輩がいた。
のどか先輩は、自転車の男から逃げていると察したようで、バイクで近づいてくる。
「乗って!」 
私はバイクの後方にまたがり、のどか先輩につかまった。
「ちゃんとつかまっててね?」
「はい!」
ブウーンと音を立ててバイクが走り出した。
それでも変わらず木崎は追いかけてくる。
のどか先輩は、くねくねと曲がりくねった路地裏を何度も曲がった。だんだん木崎が遠くなり、見えなくなっていく。
「くっそおおおおお!」
遠くから木崎の叫びが聞こえたが、気にしないフリをする。
それから少し走って、バイクはぼろアパートの前で止まった。
「のどか先輩、本当にありがとうございました。」
「いいのいいの。可愛い後輩が困ってるんだから、助けない手はないでしょ。話は中で聞くから、入って?」
「ここ、のどか先輩の家ですか!?」
「そうよ。追い付かれると困るから、早く早く。」
私はのどか先輩に連れられて、アパートの階段を駆け上がった。
「どうぞー!」
「失礼します。」
見た目とは反して、家の中はとてもきれいだった。
「きれいですね。」
「ふふっ。ありがと!でもさ、あの男なんなの?」 
「あいつは義父です。最近、母親が勝手に結婚した相手で…話すのも嫌になるようなヤツなんですけど…。」
私は、ポツポツと木崎にされたことを話した。
「はあ!?何それ!許せないんだけど!ごめん、そいつのこと殴り込みに行っていい?」
「それはちょっと…。」
「そうだよね。でもそれくらいイラついてる。くそ男じゃん。」
「そうですよね。母親がつかまりそうなタイプの男です。」
「そうなんだ…。」

「ただいまー!」
玄関の方を振り向くと、中学生くらいの男の子が居た。
子犬系の人懐っこそうな顔で、背が高くて、サラサラの黒髪をマッシュルームカットにしている。
「蓮(れん)、おかえり!」
私は、のどか先輩が店長との子どもを育てている、という噂を思い出した。
「あれ、お客さん?中学?いや高校か。」
「あっ、はい。高1です。のどか先輩のコンビニの後輩です。」
「そうそう。花恋ちゃんよ。」
「へえ、花恋って呼んでいい?」
「いい…です。」
積極的なタイプなのかな?
「あっ、俺、東極蓮(とうごくれん)。中3。息子、母ちゃんの。」
蓮くんはのどか先輩を指差して言った。
「ああ、うん。知ってる。店長との息子さんだよね?」
言ってから後悔した。
そんなこと、言えないに決まっている。
「店長?誰だそれ?」
「そんな噂があるの?」
「えっ!?のどか先輩は店長と付き合ってたことがあって、子どもも出来たって…。」
「はあ!?あんなヤツと付き合うわけないでしょ!全部嘘よ。」
「え?じゃあ、蓮くんは…。」
「近藤彼方(こんどうかなた)の息子だよ、俺は。」
「近藤…。」
どこかで聞いたことあるような…。
「ああっ!その人、私の本当の父親です。近藤彼方。」
「「 ええっ!? 」」
ちょっと待てよ…。ということは、
「私たち、家族!?」
「俺たち、姉弟!?」
みごとに声が重なった。
「じゃあ、私は花恋ちゃんの義母ってことね?えー、何か変な感じー!」
「確かに。じゃあ、俺ら家族じゃん。」
「そうね!」
「いやいやいや、義母とか家族とかではなく!なんかそれ以上に大きな問題があるというか…その…。ていうか、何で二人ともあっさり受け入れてるんですか!?」
私だけが置いていかれている気が…。
「だって、こんなこと何度目だか分かんないくらいあったもの。」
「そうそう。あと3人いるんだぜ、近藤彼方の子ども。俺と同い年の男が3人。」
「それって…四つ子?」
「違う違う。全員母親は違うよ。まあでも、確かに義理の四つ子だけどな。つまり、近藤彼方は同時に4人の女と付き合ってたってこと。本当はもっと多かったのかもね。」
「私もなんであんな男と付き合ったのか、よく分かんないのよねえ。」
「そうなんですか…。」
呆れと動揺が混ざって、よく分からない感情になる。
「花恋ちゃん、今、一人暮らし作戦やってるのよね。」
「一人暮らし作戦?何それ?」
蓮くんは知らないのも当然なので、説明をする。
「私の母親最低だからさ、家飛び出して逃げようと思って。」
「あーね、そういうこと。他の3人の母親も色々あるんだよなあ、な、母ちゃん。」 
「そうね。」
2人は意味深な顔をした。
そんな2人の顔がそっくりで、思わず吹き出しそうになる。
「今日、泊まっていけば?俺んち。ここ来たってことは、何か事情あんだろ?」
ええっ?
「そうね。義父さんもずっと家にいるんでしょ?」
「そうだと思いますけど…でも申し訳ないし。」
さすがにそれは…。
「いいんだよ、そんなの。だって家族だろ。」
蓮くんはそう言って拳を突き出してきた。
私は少し迷って、最終的にお言葉に甘えさせてもらうことにした。
「じゃあ、1日だけよろしくお願いします。」
「おう。こちらこそ。」
「ぶふっ。花恋ちゃん、してあげて。」
ん?何を?
「ん!」
蓮くんは顔を真っ赤にして、拳を突き出している。
あっ、そういうこと!
「ごめんごめん、はい。」
私も拳を突き出し、蓮くんの拳がコツンとぶつかった。
「ありがとう。」
そう言った蓮くんの顔は真っ赤で、少しすね気味だ。
意外と可愛いところあるんだ。
まあ元々の顔が可愛いんだけどね、蓮くんの場合。

「じゃあ、夕飯は気合い入れなくちゃね!花恋ちゃん、夕飯何がいい?」
「えっいや、いいですよそんなの。お気になさらず。」
「そんな遠慮すんなよ。俺も、花恋の好きな食べ物知りてーしよ。それに、いっつも頑張ってんだろ?今日くらい肩の力抜けって、まだ高校生だしさ。」
「蓮あんた、たかが中学生が何言ってんのよ。偉そうに。」
のどか先輩はそう言っているけど、蓮くんの言葉はとても胸にしみた。
「ピザ、食べたいです。」
「花恋、ピザ好きなのか?」
「うん!レストランに初めて行ったとき、食べたのがピザだったの。それから大好きになっちゃって。」
「へえ、可愛いな…。」
「へ?」
「ピザって冷凍があるけど、それでもいい?」
「もちろんです!ありがとうございます…!」
蓮くんの「可愛い」はどういう意味だったのか気になるけど、今はそれ以上にピザが楽しみでたまらない。
ピザを食べられるなんて、何年ぶりだろう?もう5年以上食べていない気がする。

「ピーピー」と音がして、ピザが出来上がった。
電子レンジの扉を開けたとたん、周囲に広がるピザの香りに、胸が高鳴る。
「はい、花恋ちゃんのご希望商品、ピッザ、マルゲリータァ、の完成でございまーすっ!」
「美味しそうっ!!」
もう、食べたくて食べたくてたまらない。
「花恋ちゃん、ピザ切る?」
「切ります!」
パンナイフで、慎重に6等分に切っていく。
でも、少し失敗して、とても小さいのと大きいのが1つずつ出来てしまった。
「ギャハハハ!花恋、切るのへたっぴだなー!」
「うぅ、うるさい!じゃあ蓮くん切ってみなさいよ!」
「もう全部花恋が切っちゃったのに、どれを切れっつうんだよ?」
「もう!大きいの、私がもらうからね!」
「いいよ、ピザ食べるの、久しぶりなんだろ?」
「えっ!?何で分かったの!?」
「そーいう顔してた、花恋。」
「そ、そうなんだ…。あはは。」
そんな食べたそうな顔してたのかな…?
いや、確かにしてたかも!急に恥ずかしくなってくる。
「じゃあ、食べましょ!」
それまで、黙って私たちを見ていたのどか先輩の掛け声でテーブルにつく。
「「「 いただきまーす!! 」」」
のびるチーズをちぎって1切れ取ると、私は大きな口でかぶりついた。
「ん~!おいしい!!」
「ならよかった!これ冷凍だから、もしかしたら口に合わないかもって思ってたの。」
「全然!むしろ口に合いすぎです!」
「くくっ…。花恋、ほっぺにケチャップついてんぞ。」
「えっ!ウソ!」
自分の手でケチャップを取ろうと、頬に手を近付けると、その手を蓮くんにつかまれた。
「え…?蓮くん…?」
状況が分からず固まっていると、蓮くんがもう片方の手の親指でケチャップを拭った。
そして、親指についたケチャップをペロッとなめた。
「うん、うまい!」
意地っぽさを含んだ笑みの蓮くんと、意味ありげな呆れ顔ののどか先輩。
その間の私はというと、混乱して放心状態。
「花恋、ごめん…。なんか俺、ヤバいことしちゃったかな?」
「そそそそそそそんなことはないけど…!?」
待って待って、本当にあれはどういう意味なんだ?
よく小説とかでは、胸キュンシーン、みたいに使われてるけど、私全然キュンと来なかったんですけど!?
というか私、恋に落ちたことないし、蓮くんをすきになることもないと思うけど…。
でもやっぱり何なのか気になるぅ~っ!
「ったく、蓮ったら。早く食べよ、花恋ちゃん。」
「はははははいー!」