「凄く大きなケーキですね……」
 彼と、彼の周りにいる数人の人々が、ゴージャスすぎるケーキを前に目を見開いた。
 「特注だよね……流石! いくらするんだろう?」
 「こんなお高いケーキ……」
 「せっかくだから、いただきましょうか」
 スーツ姿の女性が言った。

 「花束はこちらによろしいでしょうか?」
 配達員の男性が、カートに載せられた沢山の花束を運んで来くると、瞬く間にその空間に
花々のいい匂いが広がった。
 「あら、もうこんな時間。そろそろ、お開きにしましょうか。明日も早いし……」
 スーツ姿の女性が口を開くと、それを合図にその場にいた人々が一斉に片づけを始めた。

 「ケーキ、お持ち帰りする? 
 ほとんど口つけてないでしょ?」
 女性が彼に尋ねると、
 「あ……じゃあ、少し切り分けてもらえますか?」
 彼がそう告げると、別の女性がテキパキと
ショートケーキサイズに切り分け、
お持ち帰り用の小箱に入れたケーキを彼に渡した。
 小箱を受け取った彼は、キョロキョロと花の匂いが充満する部屋を見渡し、
 「これも……少し貰っていっていいですか? 部屋に飾りたいので……」
 と言った。

 「もちろん……あなたが好きな花を好きなだけ」
 スーツ姿の女性が彼に優しく微笑んだ。

 「ふぅ……疲れたな。ちょっと休憩」
彼女は、両肩を上下に動かしながら、
窓辺に近寄り両手で窓枠を掴むと、
いつものように力強く窓枠を上に押し上げた。
 
 ガラガラガラ……。
 夜風が部屋の中に入って来ると同時に、
彼女は目を閉じると、頬にあたる風の心地を楽しんだ。
 夜空を見上げた彼女は両手を頭上に挙げ、
背筋を伸ばす……。
 「う~ん、今夜もいい風だ」
 と呟く彼女が歩道に目をやると、彼女が住む建物の一階の正面玄関の前に
設置してある花壇のヘリの部分に座っているキャップを
深く被った彼の姿を見つけた。
 「こんばんは……」
 彼女が彼に声をかけるとそれに気づいた彼は、
二階の窓辺を見上げ、ニコッと微笑んだ。
 「どうしたんですか? 
 今夜はそんなところで……帰らないんですか?」
 と彼女が尋ねると、
花壇のヘリから立ち上がった彼から意外な言葉が返ってきた。

 「ねぇ、俺、今日誕生日なんだよね……」
 「へ~、そうなんですか……」
 「だからさ、お祝いしてよ……」
 「お祝い?」
 「そう、お祝い。今から。そっちに行っていい?」
 「は? え? え~」
 驚く彼女をよそに、彼は、正面玄関のガラス扉を
開けると建物の中に入って行った。

タッタッタッ……と階段を駆け上がる足音。
階段を上がり終えると彼女の部屋に近づいてくる足音。
 足音が、彼女の部屋の前でピタッと止まると、
ジリジリジリジリ……
とまるで駅の列車到着を知らせる合図のようなブザーの
音が彼女の部屋に響き渡った。
 「ひゃっ……本当に来た」
 彼女は驚き、ドアののぞき窓に自分の目を押し当てた。

 まあるい覗き穴から見えたのは……
 キャップを深々と被って、肩から鞄を下げ、両手に何かを持った自分と同じくらいの年齢の彼の姿……。
 身体を上下に少し揺らしドアが開くのを待つ仕草……と、その瞬間彼の顔がのぞき窓の穴に近づくのが
見えると、
 「ひゃっ……」
 彼女は驚き、思わず後ろに後退りをした。

 トントントン……。 
 静かにドアを叩く音と共に、ドアの向こうからは
 「ねぇ……開けてよ……」
 と彼の声が聞こえてきた。

 彼の声に誘われるように、彼女はゆっくりと玄関のドアを開けた。
 ガチャ……。 
 ドアを開けると、目の前にキャップを深々と被り、黒いパーカーを
着た彼が立っていた。
 「どうぞ……」
 彼女が呟くと、彼はニコッと微笑み、
 「おじゃまします……」
 と言って彼女の部屋の中に入って来た。
 ガチャ……ン……と音が鳴り、静かにドアが閉まった。

 「そこで、靴、脱いでください」
 彼女は、玄関前に敷いてある少し広めのマットを指差した。
 「あ……りがとう」
 彼は、マットの上で靴を脱ぐと、一歩、足をマットの外に踏み出した。
 ギシギシギシギシ……。
 木床のきしむ音に心地よさを感じると、同時に彼は部屋の中を見渡した。
 広めのワンルーム、木床の部屋、小さなキッチンと冷蔵庫、部屋の片隅には
つい立てに隠れたベッド、バスルーム等と収納スペースのドアが見えた。
 部屋の中央には、二人掛けの丸テーブルと椅子。
 そして、窓に近い場所には、何色もの色が重ねられたキャンパスが置かれ、その横には
いくつもの絵具とパレットが置かれていた。
 ドアを開けた瞬間に彼の臭覚を刺激したのは、
室内に漂う油の匂いと独特な絵の具の香り……。
 彼は思わず、
 「君……画家さんなの?」
 と呟いた。
 彼女は、少し恥ずかしそうに、
 「画家……なんて……絵描きさん……くらいかな?」
 と言った。
 「同じじゃないの?」
 彼が聞き返すと、
 「ちがうよ、私そんなに有名じゃないから」
 と彼女が答えた。

 「座ってよ……それに、キャップ取れば?」
 彼女に促された彼は、被っていたキャップを外し鞄を
床にいた。
 部屋の中央のテーブルの上には手に持っていたケーキの小箱と簡単に包装された小さな花束を置き椅子に座った。

 コポコポコポ……。
 すりつぶされた珈琲豆にお湯が落とされると、
ゆっくり、ゆっくりとフィルター内に浸透し、
マグカップに水滴になった珈琲がポタポタ落ちて行く。
 彼がその光景を見ていると、
 「ごめんね。手動で……」
 手にコーヒーケトルを持った彼女が言った。
 「いいよ。喫茶店みたいで、イイ感じ」
 と彼が呟いた。
 温暖色の柔らかい灯りと、 珈琲の香ばしい香り……
そして、部屋中に漂う油絵の具の香りに彼は今、
自分がいる空間に安らぎを感じていた。

 カチャカチャカチャ……コトン。
 「どうぞ……」
 彼の前に不揃いのお皿とフォーク。
 そして、珈琲が注がれたマグカップが置かれた。

 自分の前に座った彼女に、
 「じゃあ、ケーキ食べようよ」
 と言うと、彼は小箱を開けた。

 「わぁ……このケーキ凄いね
 ゴージャス。ね、どこのお店のやつ?」
 目を丸くした彼女が彼に聞いた。

 「えっと……わかんない……な」
 頭をかきながら説明をする彼に彼女が、
「誕生日っていうのは、本当なんだね」
 と呟いた。
 「え? どうして?」
 聞き返す彼に、
 「だって……ほら、23歳、おめでとうって書いてあるよ」
 そう言うと、箱の中に添えるように入れられた
チョコレートに書かれたメッセージを指差した。
 「あ……うん、俺、今日で23歳」
 彼はテーブルに置かれたマグカップを手に取ると彼女の目の前に掲げた。
 彼女もマグカップを手に取ると、彼の目の前に掲げ、
 「じゃあ……誕生日おめでとう……ございます」
 と言うと優しく微笑んだ。