「え……海外ロケって凄い!」
 「うん、ありがとう。それで、稽古とか色々と
あって……」
 「でも、あなたにとっては、今の状況は目標や夢だったんでしょ?  
 凄いな~夢、叶えて……」
 心から嬉しそうな表情を見せる彼女の瞳はキラキラと輝いて見えた。
 「そうだね……夢が叶ったんだな俺。今まで、全力で走り続けてたから、
気づいてなかったっていうか。まぁ、俺のことはこのくらいにして、君もなんかあったんじゃないの?」

 「え? なんでそう思うの?」
 「だって……この部屋、絵の具の匂いがしないから。
 それに、段ボール……
 何処かに行くの?」
 彼が彼女を見つめながら呟いた。

 無言になった彼女だったが、いつものように優しく
微笑むと、
 「賞……絵画コンテストで新人賞を受賞したの。
 その副賞として、スポンサーがついて
海外で活動が出来るチャンスが巡ってきて…… 
私の恩師のもとで本格的に修行をしようと決心したの」
 「おめでとう……よかったな」
 透き通るような瞳で優しく微笑む彼が彼女をそっと包み込んだ。
 彼の優しさに包み込まれた彼女は、
「ありがとう……あなたと過ごす僅かな時間にいつも救われてた」
 彼女がそう呟くと、
 「ううん、お礼を言うのはこっちだよ。
 俺も、君を始めて見たあの日から、
すべてが心地よかった。
 疲れた俺の心をほんの少しの時間、
君と過ごすだけでまた頑張ろうって気持ちにさせられてた。いつしか、自然とこの場所に足が向いていた」
 と彼も彼女にそう呟いた。

 彼女から身体を離した彼が、
 「俺たち、今夜自分のことよく話すな」
 とクスッと笑った。
 「そうだね。最後になって……話し出すとは。
 でも、これでおしまい」
 「特別な関係になっちゃいけないから?」
 「そう。そのとおり、じゃないと『悲しい別れ』に
なっちゃう気がするし重荷になっちゃうでしょ?」
 「でも……俺はそれでも……」
 彼が言いかけると、
 「しっ、絶対秘密の関係は、最後まで秘密のままでいる
ほうがカッコイイでしょ?」
 彼女が彼の言葉を静止した。

 「なんだそれ……」
 「ふふふ……だってこれは、別れじゃなく旅立ちだから」
 「旅立ち?」
 「そう、わたしたちふたりにとっては最高の言葉だと思うけど……」
 「そうだな……俺等にとっては最高の別れ文句だな」
 「だから~、別れじゃなくて、た・び・だ・ち」
 口を尖らす彼女を見た彼も、
 「はい、はい」
 と言うと笑顔を見せた。

 「そろそろ、行くよ」
 彼が椅子から立ち上がった。
 「うん……」

  ガチャン……。
 玄関のドアが閉まると、彼女はすぐに窓際に歩いて行き窓を開けた。
 彼が、正面玄関のドアを開けたと同時に二階の窓が開く音がした。
 彼が見上げた先には、夜風になびく黒髪の彼女が自分を見つめているのがわかった。

 「また、いつか会えるかな?」
 彼が声をかけると、
 「私が、有名になったら会えるかも」
 「じゃあ、頑張れよ……有名になるまで」
 「叶うかな? その夢……」
 「叶うさ、きっと……今の君なら大丈夫。
 俺も、頑張って、超有名になるから。
 テレビを観ない君にも届くような……」
 「ありがとう。あなたに会えてよかった」
 「俺もだよ……ありがとう」

 「おやすみなさい……」
 「おやすみ」

 「またね……」
 「ああ、また……」

 そう言うと彼はくるっと向きを変えて歩道を
歩き始めた。
 ガラガラガラ……。
 夜更けの歩道を歩く彼に窓が閉まる音が耳に入ってくると、彼の美しい瞳からは、涙が流れだした。
 頬を伝う涙を手で拭うと彼は、キャップを深く被り直した。
 そして、窓を閉めた彼女も、床にペタンと座り込むと、溢れ出す涙を両手で必死に拭った。
 いつの間にか……彼女は……彼は……
 俺にとって、私にとって、特別な存在になっていた。
ふたりは、今、自分が流している涙がそれを証明して
いる……と思うのであった。