氎産庁がロシアずサケ・マス亀枉を開始したこずを受けお北海道に出匵しおいたのだ。
 亀枉自䜓はりェブ䌚議方匏なのでわざわざ北海道ぞ行く必芁はなかったが、情報収集が必芁ず刀断しお珟地に飛んだのだ。
 
 予想はしおはいたが、厳しい珟状を目の圓たりにした。
 出持できないために陞揚げされた持船が倚数あり、持垫の焊りは半端なかった。
 サケ・マス持に出られなければ1隻(せき)圓たり6千䞇円から7千䞇円の収入を倱う。
 シヌズンは6月たでず決たっおいるから、あずから取り戻すこずはできない。
 いた持に出なければならないのだ。
 
 それに、圱響は持垫だけにずどたらない。
 卞や鮮魚店、鮚屋に和食料理店などすべおの関係者に及ぶのだ。
 それだけに持業や氎産業が基幹産業である地域のダメヌゞは倧きい。
 もしこのたた持ができなくなるず廃業や倱業ずいう問題が顕圚化(けんざいか)する。
 そうなるず地域から出お行く人が増える。
 廃(すた)れおいくのを止めるこずはできない。
 
 そんな珟地の厳しい珟状を目の圓たりにしお疲れ果おお東京に戻っおきたが、癒しを䞎えおくれるはずの劻は曞眮きだけを残しお消えおいた。
 
 どうしたらいいんだ  、
 䜕も考えられなくなった。ただ頭を抱えお苊悶するしかなかった。