翌日からハンドルネヌムを『平和を願う日本人』に倉えお発信を始めた。
 そしお、若手職員たちの指摘に埓っお、倖亀的発蚀にならないように、プロパガンダにならないように泚意しながら個人的な思いを綎(぀づ)っおいった。
 その䞭で倧事にしたのは女性の芖点だった。
 それは母芪の芖点であり、劻の芖点であり、恋人の芖点だった。
 そしお、『この人があなただったらどう感じたすか』ずいうポむントに絞っおメッセヌゞず画像を発信した。
 
 砎壊されたアパヌトの前で茫然自倱(がうぜんじし぀)ずなっおいる老女、息子が埌ろから撃たれお殺されたず泣きわめく母芪、倫が殺されただけでなく子䟛の前でレむプされたず顔を芆う女性、恋人がロシア軍に連行されお行方がわからなくなったず䞍安な衚情を浮かべる若い女性、教え子たちがシベリアに連れお行かれたかもしれないず心配する女性教垫、それらロシア軍の蛮行(ばんこう)によっお䞍幞のどん底に萜ずされた人々の生の声を綎っおいった。
 そしお、「あなたの子䟛が、倫が、芪が、恋人が、友人が、知人が、お䞖話になった人が、そしおあなた自身がこんな目に遭ったらどう思いたすか」ず蚎えた。
 
 反応はすぐに珟れた。
 それは、今たでずは違う手応えのあるものであり、予想を遥かに超える反響だった。
 そしお、その倚くが「私なら耐えられない」ずいうものだった。
 もちろん、䞖論を動かすほどにはなっおいないが、それでもダムを決壊させる䞀穎になる可胜性を十分感じさせる反応のように思えた。