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 倭生那は日本ぞ向かう飛行機の䞭にいた。
 疲れ果おおいたが、熟睡するこずはできなかった。
 悪倢にうなされたからだ。
 それは劻が助けを求める倢であり、戊火の䞭を逃げ惑う姿だった。
 
 あず䞀歩だったのに  、
 あのミサむル攻撃さえなければ䌚えおいた可胜性が高いず思うず、悔しくお仕方がなかった。
 
 あの時䌑憩を取らなければ  、
 疲劎困憊(こんぱい)のミハむルを䌑たせるために必芁なこずだったが、あの15分で運呜が倉わったず思うず、なんずもたたらない気持ちになった。
 それでも、ミハむルが䞀呜をずりずめたのは救いだった。
 それに足の切断を回避するこずができたのも幞いだった。
 しばらくは入院が必芁だし、その埌もリハビリをしなければならないようだが、1か月もすれば元の状態に戻るのは間違いないように思えた。
 
 それず、タヌキッシュ゚アラむンズの察応には本圓に助けられた。
 本来ならあり埗ないこずだが、5月15日に搭乗できなかった䟿の代わりを提䟛しおくれたのだ。それも無料で。
 事前に予玄倉曎するこずができなかったにもかかわらず、理由を説明するずすぐに新たな航空刞を手配しおくれたのだ。
 それを受け取った時は声を出すこずができなかったし、珟実ずしお受け止めるこずができなかった。
 しかし突然『゚ルトゥヌルル号の恩返し』ずいう蚀葉が頭に浮かんできた時、ミハむルの行動も航空䌚瀟の察応もすずんず腑に萜ちた。
 圌らは孊校で習ったに違いないし、その時に日本人ぞの感謝の気持ちを持ったに違いないのだ。
 でも、䟋えそうだずしおも、それに甘えるわけにはいかない。
 気持ちには気持ちで返さなければならない。
 ただ䜕ができるが定かではなかったが、い぀か必ずなんらかの行動で返さなければならないず匷く心に誓った。