「……それはそうと。
私、君の名前も知らないわ」


「……え。うそでしょ。
さっきのセリフ、『それはそう』で片付けられんの?
普通に恥ずいやん」


「変よね、1年も通っておいて」


「ほんで聞いてくれんし。
……(しゅん)ですよ。俺の名前」


「素敵。名前まで儚いのね」


「ちなみに俺は知ってますけどね、麗子(れいこ)さん」


「名乗ったかしら」


「昔、1回だけね。
ほら。元彼との会話の再現してた時に。
……あんま思い出したないけど」


「知ってたなら、呼んでくれても良かったのに」


「だってなんか悔しいでしょ。
麗子さんは俺の名前知りもせんのに」


「そういうものなのね」


「というか、いつまでそのエセ関東人やるんすか。
さっき『ちゃうよ』って、間違いなく聞こえたんですけど。
関西べ……母国語に戻すんやないんですか?」


「今の自分も、案外気に入ってるの。
穏やかでいられるし」


「そういうもんすか」


「ええ」


「……………………今日はもう閉めよかな、店」


「あらそう。
じゃあ私、おいとまするわ」


「えっ、うそやん。
だからこの後どっか……って、ほんまに帰りそうやん」


「うん」


「さすがに、もうちょい一緒におりたいんですけど……」


「勢いで一夜を共にできるほど安くないのよ、私」


「い、一夜……って!
いやいや、そういうことやなくて」


「はい、これ。お会計ね」


「いや、いらんっすよ。だって……」


「だめよ。当然の対価なんだから」


「ちょっ、まって。じゃあせめて連絡先は?」


「もう。仕方ないわね。手だして」


「え?ハイ……って、こしょば!」


「じゃ、またね」


「ええ…………。ほんまに帰ってまうし。
てか、今どき人の手に番号書く人おる?
……洗われへんやん」