季節は移ろい、いつの間にか薄桃色のあの花が風に乗って散っている。
 あの日から、今日でちょうど一年が経った。
 思い返せば数々の幸せを経験した一年だった。
 彼と出会うことができた。
 コーヒーが飲めるようになった。
 一時期辛いこともあったけど、夏休みが明けてからは、店員さんである彼に会うために、またお店に通い続けた。
 私は、彼が淹れてくれるコーヒーが好きだし、店員さんである姿の彼が好きだから。
 今日も私は彼に会いにあのお店に向かう。
 桜の木が美しく咲き誇っていて、あのお店の雰囲気を華やかに飾っている。一年の中で一番好きな姿かもしれない。
 カランコロンと音を立てて扉を開いた。
 店内に入ると、私を待ち構えていてくれたのか、彼とすぐに目が合った。でも、いつものように、いらっしゃいませ、とは言わない。
 「今日も来てくれると思った」
 そう言って微笑んだ。その笑顔がいつもより強張っているように感じるのは、私の気のせいではないみたい。毎週見ている笑顔だもの。
 「店員さん…?何かあったの」
 「もう、やめて」
 彼は真剣な眼差しで真っ直ぐに私の目を見て言った。
 「この関係、今日でやめよう」
 「え、どういうこと」
 予想外の言葉に頭が追いつかない。頭を鈍器で殴られたみたいに鈍い衝撃がはしる。
 もう、私はこのお店に来ちゃだめってことなの。彼のコーヒーを飲むことも彼と楽しい時間を過ごすことももう許されないってことなの。
 「もう店員さんなんて呼ばないで…」
 目を伏せて悲しそうな声で呟いた。
 「そんな…急になんで。私なんか気に障ることした?謝るから、そんなこと言わないでよ」
 嫌だよ、そんなの。これからもずっと続くと思ってたのに、突然終わらせようとしないでって心が叫んでる。
 「違う。もう限界なんだ。僕は君のことをお客さんだと思えない。店員とお客さんの関係でいたくない」
 「なにそれ、どういう意味なの」
 彼は意を決したように、エプロンを外した。そして、カウンターから出てきて、私の隣に来ると、腰を下ろした。
 私も彼の方に体を向けて、彼の口から発せられる言葉に神経を集中させる。
 いつになく真剣な表情がきれいで惚れ惚れしてしまう。
 彼が口を開いた。
 「僕の彼女になってくれないかな」
 時が止まったんじゃないかってくらい、私は驚きで身動きが取れなくなってしまった。
 彼の言葉を上手く飲み込めなくて、何度も反芻する。
 「え!うそ!」
 ようやく理解が追いついて、頭の先から足の爪先まで一気にかっと熱くなった。
 こんなに嬉しいことはないよ。
 「私で良ければ、喜んで」
 私はとびきりの笑顔で答えた。 
 「君が、いいの。君のことが大好きすぎて、もう耐えきれないんだよ」
 「私もあなたのことが好き。ほんとは、一杯のコーヒー分じゃ足りない。毎日会いたいくらい、好き」
 「僕も。じゃあこれからは毎日会おう」
 「でも、あなたはここで働いてるじゃない。そんなに毎日これるほどのお小遣いはないかも…」
 「何言ってんの。これからはいつでも好きな時に珈琲淹れてあげるし。彼女に珈琲淹れるのにお金取るわけないでしょ」
 「え、いいの?」
 「当たり前でしょ。もう僕は君の店員さんじゃないんだから。君も、もう僕のお客さんじゃない」
 そっか、そういう意味だったんだ。
 これからは好きなときに好きなだけ彼に会いに来れるんだ。
 「別に、珈琲が飲みたい気分じゃなくても、来てくれていいんだからね。時間がなくて少ししか会えない日でも、会いに来てよ」
 「うん、もちろん。そっちこそ、忙しい日でも、私が来たらちゃんと相手してよ」
 「もちろん」
 そういうと、彼は私の方に顔を寄せて、優しくキスをした。
 お互いに照れて赤くなっているけど、目を見て笑い合った。
 静かな静寂の中で、私たちは今の幸せを噛み締めている。
 コーヒーの豊かな香りに包まれながら。