ようやくヴィオラから解放されたときには陽が沈みかかっていた。

 部屋に残っていた全ての私物を詰めてもまだ余裕のあるトランクケースを引いて、リナリアはチェルミット男爵邸を出た。

 去り際、パンジーにはもう二度とこの屋敷に近づくなと罵声を浴びせられた。

 釘を刺されるまでもない。
 一年近くにも及ぶ『地獄のような淑女教育と歌のレッスン』と『ヴィオラとパンジーの奴隷役』を止められて、実のところ、リナリアは清々していたのだ。

(これで見納めね)
 固く門が閉じられた男爵邸を眺めた後、リナリアは一礼してから歩き出した。
 男爵邸のある町の宿ではなく、男爵邸の裏手に広がる《魔の森》に向かって。

 もうすぐ完全に陽が落ちる。
 その名の通り魔物の住処である《魔の森》に入ることは昼でも危険が伴う。

 明かりも持たず、夜に森に入るなど正気の沙汰ではない。
 しかし、約一年間、毎日のように森に通い続けていたリナリアは知っている。

 森の浅いところなら大した魔物は出てこない。
 せいぜい地を這うスライムか、動きの遅い小型の魔物くらいなもの。

 ひょっとしたらいままでが幸運なだけだったのかもしれないが――多少の危険を冒してでも、リナリアにはこの地を去る前に《魔の森》でやりたいことがあった。