◯現代日本、九月初旬の朝。枝依(えだより)宝院(ほういん)高校
 職員室傍の廊下で、担任教師を挟んで向かい合う男女。
 一人は一五七センチの女子生徒。主人公・三好(みよし)逢璃(あいり)。高い位置でポニーテールに結わえて、薄青色のリボンをしている。
 もう一人は、一八〇センチに届きそうなほど高身長の男子生徒・柳田(やなぎだ)躯体線(くたいせん)は細いのにナヨナヨした感じは見受けられない。
 逢璃と柳田の身長差は頭ひとつ半ほど違う。加えて彼の見た目態度は無愛想極まりない。

 三十路過ぎの優男担任教師がいっそう優しく微笑んで、女子生徒へ彼を紹介するように。
担任「柳田くんはクラス代表だから、不安だったり質問だったり困りごとだったり……ともかく、何かあればなんっでも相談してくださいね」

 苦々しい表情で柳田を下から見ていた逢璃は、「まさかそんな」の表情で担任教師をぐるんと見やる。
 逢璃の言いたいことを汲んだ担任教師が付け加える。

担任「ふふ、たしかに顔はちょっと怖いかもしれないけど」
逢璃「『ちょっと』……?」
 顔をぐんにゃりとする逢璃。

 柳田は、睨んでいるとは違う、真正面を向いたまま眼球だけ下に向けた姿勢で見下ろすように逢璃を見ている。その視線に耐えかねて、肩を縮めていく逢璃。

担任「実際に接してみると、とても面倒見がよくて他人想いですから。先生を頼ってくれるならそりゃもちろんウェルカムですけど、柳田くんは先生よりも俄然頼りになるもんで。ねぇ、柳田くん」
柳田「そーすか?」
担任「もー、ご謙遜だよ柳田くんっ。ね。彼女のこと、頼んだよ?」
 柳田の肩をポンとする担任教師。

柳田「ウース」
 気持ちの入っていない返事。逢璃はいっそう萎縮する。

逢璃(こ、ここまで相手に与える印象に気を配らないひとなんて、いままでどこにもいなかったよな……?)

 胸元で拳をふたつ作って。
担任「三好さん、楽しくいきましょ!」

逢璃(他人から向けられた笑顔がこんなにも信用ならないこともなかったけどっ!)

 失礼を承知でいびつな表情のまま、逢璃は細く小さく「は、はい……」とぎこちなく承諾を返す。

柳田「じゃ、教室行きがてらいろいろ教えとくから着いてきな。いいっすか、センセ」
担任「はい、もっちろんっ。ね、三好さん!」
逢璃「よ、よろしく、お願いします……」


◯(回想モノローグ)
 わたしが高校二年の夏休みに、父が転勤になってしまった。かれこれ何度目の転勤勧告。年齢を加味しても、さすがにもう転勤になることもないだろうとたかをくくっていた。
 夕飯時に引っ越しの提案を申し出てきた父の顔には「すまない」と書いてあるようだった。逢璃はそんなようなことを考えて、急場のショックから身を守りながら「しょうがないよ」と小さな笑みで返した。
 父娘二人きりの家族。長くても二年間しか同じ街で暮らせなかった特殊な生活ルーティン。寂しさや落ち着かなさは小学生が半分過ぎた頃には気にしなくなった。

 代わりに、自分が誰の印象にも残らないことに大きなストレスを感じるようになった。

 それまで毎日いたはずの逢璃の影など初めからなかったかのように、日々は変わりなく続いていく。自分がいてもいなくても世界にはなんの影響もないんだ――そんなようなことに気が付いたとき、言いようのない虚無感が逢璃を襲った。
 転校なんてしたところで、誰に影響をかけることもない。何も変わらない。何も変えられない。誰も逢璃を、覚えていない。
 そんなの、慣れたものだった。
◯(回想モノローグ終わり)
 教室。窓際の一番後ろの席。二人揃って立ちっぱなし。
 モノローグ終わりからの柳田の口元のアップ。

柳田「――三好サン、聞いてる?」
逢璃「はっ、はひっ!」

 顔を覗かれていた逢璃。柳田の無表情な顔面が近いことに驚き、肩を大袈裟に跳ね上げて飛び退く。

 眉間にきゅんとシワを寄せる柳田がわずかに困ったように。
柳田「説明量多かったか? いま俺が言ったこと覚えてる?」
逢璃「えと、その、す、すみません。トイレと体育館と玄関の位置だけ覚えとけば大丈夫って話までしか……」

 職員室から教室へ向かう道中、生徒玄関とトイレと体育館の位置確認をしている情景を想像する逢璃。

柳田「なんだ、聞こえてんじゃん。大丈夫、まだそこまでしか話してねーから」
 言いながら、一八〇センチに届きそうな長身を元に戻す。

柳田「緊張してんの? 初日だから」
逢璃「ま、まぁ。転校は何回も経験してきましたけど、そこそこで出逢う人は、初めまして、ですし」
柳田「たしかにそりゃそーだ」
 表情がかけらも変わらない柳田。まばたきと、会話のために口が開閉している程度にしか変化が見られない。

逢璃(声にのる感情起伏もあんまりないなぁ。有り体に言えば『冷淡』だけど、活力がないわけではなさそうっていうか――)

柳田「で、話戻すんだけど」
 腰にあった柳田の手が胸の前で組まれる。

柳田「しばらくは移動教室あっても行き先わかんねーだろうし、基本俺が連れてくから。だァら『センタク』んときは俺と行動な」
逢璃「セン、タク?」
柳田「『選択授業』」
逢璃「あぁ、そのままの意味……。け、けど柳田くんだって、選択授業、全部私と一緒、ではないですよね?」
柳田「ヘーキ。アンタ送ってったとしても自分のにくらい間に合うから。ま、友だち出来たならそっちで行けばいーし、そゆときは俺に遠慮なしで言って」
逢璃「は、はい」

逢璃(不思議だな。教室の中、結構ざわざわしてるはずなのに、柳田くんの声はちゃんと素直に耳に届く。低すぎないテノールの音域で、聴き心地がいい、のかな?)

柳田「ケーゴ」
逢璃「え」
 ぱちりとまばたきで引き戻ってくる。

柳田「敬語。タメなんだからさ、とりあえず敬語やめたら? 社会人でもあるまいに。そーゆーの逆に浮かね?」
逢璃「えっと……」
 あっけにとられてしまった逢璃。
逢璃(あれ、わたし、なに言われてる? 要望、文句、指導?)
 無表情で淡々と諭されて、まるで悪いことだったかのように感じてきた逢璃。視線を俯け「そ、そうですね」と消えるように答えた。

柳田「じゃあここまでで質問は?」
逢璃「と、特にない、です」
 言ってしまってから「敬語」と口を抑える逢璃。
柳田「ケーゴ」
逢璃(ほらきた)
 嫌な気持ちが渦巻く。

柳田「俺の下の名前、慶吾(けいご)っつーの」

 目を上げる。改めて彼の顔を見る。やはり変わらない無表情で逢璃を見下ろしているので、再び「えっと……?」と甘く首を傾ぐ。

柳田「だァら。敬語取るために敢えて名前呼びから始めれば? っつー提案」
逢璃「…………」
柳田「俺、センセーたち以外から名字で呼ばれてねーし。つーか、そもそも呼び慣れてから改めンのとかハズくね? だったら最初っから名前呼びしときゃラクだろ」

 淡々と持論を並べる柳田慶吾。数ミリ程度の違いだが、その眉に角度がつき始めている。
逢璃(柳田くんも、もしかして、普通に照れたりする……?)
 ほわりと緊張がわずかに緩む。

逢璃「えと、じゃ、柳――」
慶吾「ケ、イ、ゴ」
逢璃「け、ケイゴ、くん」
慶吾「プフッ!」

 突然、噴き笑いをしてまう慶吾。鉄仮面様の表情が初めて崩れた。勢いよくくるりと逢璃に背を向けて、顔面を俯け、肩を小さく震わせる。

慶吾「ヤバ、俺自分で『敬語』と『慶吾』被せてんじゃねーかよ。ヌッフフフ……クソくだんねー」

 独り言のような声量だが、漏れなく聞いてしまって再び唖然とする逢璃。
 自分自身の名前を絡めたサムいダジャレに、自分自身で発言してヒーヒーと笑っている慶吾を無心で見つめる。
 笑い終え、同じ勢いでくるりと身体ごと逢璃に向き直る。反射的にびくりとする逢璃。

慶吾「ワリィ。俺さ、昔からくだらねー言葉遊びに弱ェの。なんかツボ入りやすくて。今も自分でツボったんだけどさ」
 顔面や声音(こわね)は数秒前までの無表情無起伏に戻っている。

逢璃「は、はい……」
 細い声で苦笑い。
逢璃(掴みどころのないひとだな……)

慶吾「まぁともかく。俺アンタの隣の席だし、やれる限りは仲良くやろーよ、逢璃サン」

 ぬっと差し出される右手。それなりに大きくて厚みがある。
逢璃(わ……バスケ部かバレー部くらいありそ)
逢璃「う、うんっ。よろしくお願いします、慶吾くん」

 握り返そうと、そっと手を伸ばしていく逢璃。
 瞬間。
 開いていたはずの柳田慶吾の右手が緩く拳様に握られ、まばたきを挟みながら注視したときには、中指と人差し指の間に長方形の白い紙が一枚挟まれてあった(出現マジック)。

逢璃「わっ?! な、なにっ」
慶吾「アンタにやる」
逢璃「や、やる、とは……?」
慶吾「自作だけど、一応名刺」

 画用紙ほどの厚みの紙。深緑色の明朝体フォントの印刷でいくつもの文字が書いてある。
 逢璃は恐る恐るそれを受け取りながら黙読。



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        柳田慶吾

    宝院(ほういん)高校生徒会長
    2年3組クラス代表
    枝依(えだより)西区ボランティア清掃活動員
    枝依西区消防団 未成年の部 副団長
    枝依市ストリートパフォーマンスイベント
                    運営スタッフ

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逢璃「肩書き、いっぱいあるね?」
慶吾「まーな。経験のためにとか、そんな感じ。裏に電話番号載せてっから、用事あったらいつでもどーぞ。眠れねーとかのツマンネー悩みでもいい。もし『誰か』が必要なときは電話してくれて構わない」

 裏面に返すと、電話番号とメッセージアプリの検索IDまで載っていた。

慶吾「あ、そーだ。悪徳業者に流すのはヤメてな。実は前に何回か流されて、父親にボロクソ怒られてっから」
逢璃「ええ? 怒られたのにまた作ったの?」
慶吾「だって手間じゃん。一回一回訊かれんのわかってンだから、俺にもこーいうの必要ってことだろ?」
逢璃「『俺にも』とは?」
慶吾「親族みんなもれなく持ってっから」
 平然と返してくる慶吾。

逢璃(なんだか、会話のたびに調子狂うな)
 苦笑いしながら手作り名刺に再び目をとおす。
逢璃(彼のひととなりが、更にわからなくなった。冷淡な無表情を(とお)しているかと思えば、突然サムいダジャレで笑い転げるし、まさかマジックまでご披露されるだなんて誰が予測できたろう。
 極めつけにハンドメイドの名刺を渡されて、しかもなんだか信憑性薄い肩書きが連ねてあるし)

逢璃「……ふふっ」

逢璃(マジックは、もしかしなくてもわたしが見ていないところで仕込みをしていたんだろう。その姿を想像したら、つい笑いが)

慶吾「よーやく笑ったな」
逢璃「え?」
慶吾「ガッチガチな顔してっから、アンタ」
 どことなく、薄く笑っているような気がする慶吾の表情。

 無表情には変わりないのに、多少彼がキラキラと見えだす逢璃。

逢璃「キッ、キミに言われたくありませんがっ」
 ブンと顔をそむける。顔が赤くなる。

慶吾「まーな。言えてら」
 さっきまでのキラキラエフェクトが消え去り、ただの無表情に戻る慶吾。

 ふらりと逢璃に背を向けて。
慶吾「そんな感じでクラスのやつらとも話してみろよ。周り、話しかけ待ちしてんぞ」

 逢璃が名刺から目を上げれば、チラチラと様子伺いをしているクラスメイトたち。主に数人の女子たちが、距離を取ってタイミングを見計らっている。
 慶吾が逢璃から離れたことで、寄ってくる人がちらほらと増えてくる。

逢璃(タイミング、チャンス、空気感。全部まるで、慶吾くんがつくってくれたみたいな――)

 両手をスラックスポケットに突っ込んで廊下へと出ていく彼の背を見て、逢璃はふっと肩の力がわずかに抜ける。
逢璃(なんだか、教室内の空気をちゃんと初めて身体に取り込めたみたい)

逢璃「あり、ありがとう、柳田くんっ」
慶吾「だァら。ケーゴだっつってんだろ」
 ひらりと後ろ向きに手が振られて、逢璃は口角を上げた。