竜族に生贄として捧げられたはずが、何故か花嫁として溺愛されています!?  ――――青き竜は、不遇な令嬢をひたすら甘やかしたい

「やっぱり私、あまり歓迎されてないのかな。このままイーヴの花嫁を名乗り続けていたら、嫌な気持ちになる人もいるんじゃない?」

 先程のベルナデットの言葉を思い出して、シェイラは眉を下げる。あんな風にあからさまな憎悪の感情を向けられたことは初めてで、どうしても委縮してしまう。ドレージアに来てからは誰もがシェイラに優しくしてくれたし、ラグノリアでもいずれ生贄となるシェイラを憎む人なんていなかったから。

「そんなことないわ、シェイラ。あれが異質なだけよ。気にしないで」

「ありがとう、ルベリア」

 肩を抱いて慰めてくれるルベリアの言葉にうなずいて、シェイラは胸のあたりにわだかまるもやもやとした感情を押し流すように唾を飲み込んだ。

「さ、気を取り直して買い物に行きましょうか。あたしのおすすめのお店があるのよ。きっとイーヴにぴったりのプレゼントが見つかるわ」

「うん、楽しみ!」

 まだどこか気持ちはざわざわと落ち着かないけれど、シェイラは意識して明るい声を上げた。
 ルベリアに連れて行ってもらった店で、シェイラは金のバングルを購入した。悩みに悩んで選んだそれは、中央に青く透き通った石が埋め込まれている。色合いだけ見れば、イーヴの瞳と髪の色をあらわしているようにも思えるけれど、石の色はイーヴの髪よりももっと淡い青。それは、シェイラの瞳の色によく似ていた。

 イーヴにもらった、彼の鱗から作られたバングルはシェイラの宝物。だからシェイラもせめて自分の色を忍ばせたバングルを贈りたいと思ったのだ。

「いい買い物ができたわね」

「イーヴ、喜んでくれるかな」

「そりゃもう、大喜びするに決まってるわ。シェイラが来てからイーヴはね、すごく柔らかい表情を浮かべるようになったの。前は、泣く子をさらに泣かせる強面だったのにね」

 悪戯っぽく笑いながらそんなことを言うルベリアに、シェイラもつられて笑う。確かにイーヴの第一印象は怖い人だったけれど、今はもう彼がどれほど甘く優しい表情を浮かべるかをよく知っている。

「早く渡したいな」

 きっと、イーヴは笑ってシェイラの頭を撫でてくれるだろう。誰もいないところでなら、キスもしてもらえるかもしれない。想像して思わずふにゃりと頬を緩めたシェイラを見て、ルベリアも嬉しそうに微笑んだ。

「なら、急いで帰りましょう。こっちを通った方が近道だわ」

 そう言って、ルベリアはそれまで歩いていた道を右に曲がる。建物の裏手を通り過ぎて出た先は、左右にたくさんの店が立ち並ぶ大通り。買い物客でにぎわう中を突っ切っていくルベリアの背中を見失わないように、目を凝らしながら歩く。こんなにたくさんの人の中を歩くことなんて初めてで、うまく人波をかわせないシェイラはあちこちで人にぶつかってしまった。どうやら体格のいい竜族の人々にとって、小柄なシェイラの姿は視界に入りにくいらしい。

 ぶつかるたびに足を止めて謝りつつ人波をかき分けていくうちに、ルベリアの背中がどんどん遠くなる。
「ルベリア、待っ――」

 声を上げようとした時、背後から伸びてきた手がシェイラの口を塞いだ。鼻をつくような臭いに思わず眉を顰めると同時に、急激な眠気が襲ってくる。何が起きたのだと目を見開いていると、頭の上から黒い布をかぶせられた。視界を奪われた驚きに手足をばたつかせると身体を押さえつけられ、そのまま荷物のように抱えあげられる。

「……っ!」

 誰か、と叫んだつもりだったのに、身体に力が入らなくて声が出せない。抗いがたい眠気に引きずられて、シェイラはそのまま意識を失った。



 
 目を覚ますと、そこは見慣れぬ部屋の中だった。目に眩しい鮮やかなピンクの壁紙に、白い羽飾り。どこかで見たようなと眉を顰めつつ身体を起こそうとすると、両手両足が縛られていることに気づく。



「……っ何」

 掠れた声でつぶやいて、シェイラは手足の戒めを解こうと身体をよじった。だけど固く結ばれた縄はびくともせず、拘束が緩むことは一切なかった。混乱と恐怖に呼吸が速くなっていき、泣き出しそうになった時、部屋のドアがかちゃりと開く音がした。



「あら、薬が強すぎて死んでしまうかと思ったけど、本当におまえはしぶといのねぇ」

 甘くねっとりとした声の主は、予想通りベルナデットだった。この部屋と同じ色をした扇子で口元を隠しながら、彼女はシェイラを蔑むような目で見つめる。背後に控えた黒服の男が部屋の入口らしきドアの前に立っていて、逃げ出すことは叶わない。

 何をされるのかと身を硬くするシェイラを見つめながら、ベルナデットはゆっくりと近づいてきた。こつこつと、ヒールの音が静かな部屋に響く。
 すぐそばまでやってくると、ベルナデットは閉じた扇子の先でシェイラの顎を持ち上げた。強引に上を向かされることになって、シェイラは息苦しさに小さく呻いた。

「地味だけど、見てくれは悪くないわね。高く売れそう」

 そう言って笑うベルナデットの言葉の意味は分からないけれど、決して良い内容ではないだろう。扇子から逃れるようにシェイラが顔を逸らすと、その反抗的な態度が気に喰わなかったのか、ベルナデットは背後に控えた男にシェイラの身体を押さえつけるよう命じる。 

「じっとしていなさい。まったく、躾が必要ね」

 身動きのできないよう押さえつけられたシェイラに、ベルナデットは苛立った表情で扇子を振りかぶった。ばしりと鈍い音と共に、頬に衝撃が走る。一瞬遅れてじんじんと痛み出して、シェイラは顔を歪めた。

「おまえがイーヴ様の花嫁ですって? 冗談にしても笑えない話だわ」

 吐き捨てるように言うと、ベルナデットはシェイラの方に手を伸ばす。真っ赤な長い爪が近づいてくるのを見て、今度は何をされるのかと身体を硬くしていると、彼女の手は肩に落ちるシェイラの髪を払った。露出した首筋を検分するように指先が這い、いつその鋭い爪を肌に突き立てられるのかと恐ろしくてたまらない。
 強く目を閉じて恐怖に耐えていると、やがて指先は離れていった。恐る恐る目を開けると、ベルナデットは嘲るような笑みを浮かべていた。

「……やっぱりね。そんなことじゃないかと思ったのよ」

 何故か機嫌をよくしたベルナデットは、くすくすと笑いながらシェイラを見下ろす。

「おまえ、イーヴ様に愛されているとでも思ったの? 人間なんてどうせすぐに死んでしまうんだから、せめて優しくしてやろうという慈悲を勘違いしてしまったのね。哀れだわ」

「そんな、こと」

 ないと言い切りたいのに、突きつけられた扇子がシェイラから言葉を奪う。

「人間とは、本当に愚かで可哀想な生き物ね。ここでは竜族の保護なしでは生きていくことすらできないからって、イーヴ様に必死で媚びてバングルを与えてもらったの?」

「違う、これは……」

「おまえ、イーヴ様に抱いてもらっていないでしょう」

「……っ」

 憐れむように笑うベルナデットの言葉は、シェイラの胸に深く突き刺さる。反論できないシェイラを見て、彼女は嘲るように笑った。

「イーヴ様はね、わたくしのものなの。おまえが生まれるずっと前から、わたくしたちは将来を誓い合っているのよ」

「……そんなの、嘘」

「嘘なものですか。その証拠に、おまえの首には番いの証がないもの。イーヴ様が本当におまえを花嫁として思っているなら、そこに証があるはずでしょう」

「番いの証?」

 とんとんと、扇子がなぞるようにシェイラの首を指す。初めて耳にする言葉に眉を顰めたシェイラを見て、ベルナデットは更に笑みを深めた。

「まぁ、おまえ、番いの証のことも知らされていないの? 本当に言葉だけで信じてしまうなんて、おめでたい頭をしているのねぇ。竜族は、唯一の伴侶と決めた相手の首に証を残すのよ。それがおまえの首にないということは、イーヴ様がおまえを唯一と思っていないことの何よりの証拠でしょう」

 高らかに笑ったベルナデットは、ぐっと顔を近づけてシェイラの目をのぞき込む。
「わたくし、前にイーヴ様に言われたのよ。どうせ人間なんて数十年で死んでしまうのだから、それまで待っていてほしいって。だけど、今すぐおまえがいなくなれば、イーヴ様は自由になれる。そうしたら、わたくしのもとに来ることができるでしょう」

「何を……」

 唇を震わせたシェイラを見て、ベルナデットはにこりと笑った。そしてすっと立ち上がると、シェイラを押さえつけている男に目くばせをした。


「淫紋をつけてやって。とびっきり強力なやつをね」

「ですがお嬢様、人間相手に……」

「それでこれが狂って死のうが、わたくしには関係ないもの。どうせ娼館に売り飛ばすんだから、近い未来に廃人になることは決まっているんだし、さっさとなさいな」

 冷たく言い捨てたベルナデットの言葉に、男は小さくため息をついた。

「……だとさ。悪く思うなよ、お嬢ちゃん。まぁ、すぐに何も分からなくなると思うが」

「や、嫌……っ」

 逃げようとしても押さえつけられた身体はびくともしない。せめて首を振って拒絶の意思を示すものの、それが聞き入れられるはずもない。男の手には白く光る札が握られていて、それに触れてはならないことだけは分かる。

「まぁ、安心しな。これが発動したら、気持ちいいこと以外は何も考えられなくなるから」

「やだ……っ、嫌、やめて!」

 どんなに悲鳴を上げても、男の腕は揺るがない。乱暴に服を捲り上げられ、下腹部に男が札を近づける。

 もう逃げられないことを悟ったシェイラは、強く目を閉じた。
 下腹部に札が押しつけられたような気がしたのも束の間、ばちりと何かが弾けるような音がして拘束が緩んだ。



 恐る恐る目を開けたシェイラの目の前で、男が赤くなった手を振っている。

「お嬢様、無理です。この札を貼ろうとしたら、何かに阻まれる」

「何よ、それ。いいからもう一度試しなさい」

「ですが、手が」

 男が、怯えたようにベルナデットに自らの手を見せた。札を持っていた手は、まるで火傷をしたかのように赤く爛れている。それを見ても、ベルナデットは全く表情を変えない。

「おまえの手がどうなろうと、わたくしの知ったことではないわ。命令よ、もう一度これに札を貼りなさい」

「……っかしこまりました」

 男は渋々といった様子で床に落ちていた札を拾い上げると、再びシェイラに手を伸ばした。また何かの抵抗にあうことを恐れているのか震える手で札を近づけた瞬間、青い光が札ごと男の手を包んで弾けた。

「ぐ、あぁぁっ」

 皮膚が裂けて血が噴き出し、男は手を抱えて悲鳴を上げる。床に落ちた札は焼け焦げたように真っ黒になって、もう役目を果たせなくなっていることは明らかだ。
「保護魔法……? 何よこれ、こんなに強力なもの見たことないわ、忌々しい。もういいわ、そこに媚薬があったでしょう。それを飲ませてやればいい」

 手を傷つけた男に目をくれることもなく、ベルナデットは不機嫌そうにため息をついた。そして背後に控える別の男に、棚にある小瓶を取るよう命じる。とろりとした赤い液体の入ったその瓶を手にすると、ベルナデットはシェイラに向き直った。

「淫紋であろうと媚薬であろうと、大した違いはないもの。発情した人間の娘だなんて、きっと珍しいから高く売れるわ。可愛がってもらえるように、せいぜい媚びを売ることね」

「い、や……」

 逃げようとした身体を再び押さえつけられ、首を掴まれて口を開けた状態で固定される。小瓶の蓋を開けたベルナデットが、ゆっくりと近づいてきた。

 甘ったるい香りがして、気分が悪くなる。飲んでしまえば、きっともうイーヴのもとに戻れない。

 必死にもがくが、押さえつけられた身体は少しも動かすことができない。

「……や、嫌……っ!」

 こぼれ落ちた涙が、頬を伝って落ちる。

 ベルナデットが小瓶を口に近づけるのを見て、シェイラは強く目を閉じた。