騒ぎの避難所を後にしたマリナは浮かない表情である。
(本物のヒロインなら、もっと心優しいはずよ。きっとみんなの傷を治してあげるわ。だけど、私はそれができなかった。私に嫌がらせをした奴らを許すことはできない。苦しめって思っちゃう)
 マリナはため息をついた。
「マリナ、大丈夫か?」
 アルジャノーンは心配そうにマリナの顔を覗き込む。
「私、全然心が綺麗じゃないわ。きっと本物のマリナなら、あの場で全員の傷を治癒していると思うの。だけど、私、いじめ加害者に未来なんか必要ないって言ったわ。確かに前世の私も同じことを思っていたけれど……」
 マリナは再びため息をつく。
「マリナは散々な目に遭わされたんだ。そのくらい思って当然だ。それに、君はこれから私の妻、アステール帝国の皇太子妃、そして次期皇妃になる。時には冷酷な判断も必要になる立場だ。今回の件は、その練習だと思えばいい。それに、マリナがそんな選択をしたとしても俺は絶対に軽蔑しない」
 アルジャノーンは優しくマリナを見つめていた。
「そうよ、マリナ様。たまには強火ざまぁが欲しい時だってあるもの。(わたくし)も前世では時々強火ざまぁがあるWeb小説を漁っていたわ。それにマリナ様の可憐な見た目に少しの毒、そのギャップが堪らないわ」
 ふふっと笑うエヴァンジェリン。
「謝罪の言葉だけで許すのは、やられた側にとって理不尽過ぎるからね」
 ヴィクターも深く頷いている。
「アル、ありがとう。エヴァンジェリン様もヴィクター様も、ありがとうございます」
 マリナは少しホッとしたような表情になる。
「私は……私で突き進むわ」
 マリナは前を向いた。穏やかな笑みである。


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 その後、ルベライト男爵家に事情を話し、アステール帝国への留学及びインテクルース公爵家への養子入りが確定した。
「いやあ、学園でこの国の元王太子にとんでもない目に遭わされたと思えば、まさか次はマリナがアステール帝国の皇太子妃に……!」
 マリナの父はマリナに起こった目まぐるしい出来事に目を回していた。
「マリナ、貴女が幸せなら、私達はそれでいいわ。貴女が幸せであることが一番よ」
 マリナの母は、優しくそう言ってくれた。
「それにしても、マリナはインテクルース公爵家に養子入りしてアステール帝国に行ってしまうのか」
「ルベライト男爵家が少し寂しくなるな。手紙くらいはよこしてくれよ」
 歳の離れた二人の兄達は少し寂しそうにしつつもマリナを応援してくれている。
 ルベライト男爵家の家族は、マリナが幸せであればどんな選択をしても応援すると言ってくれたのだ。
「ありがとう、お父様、お母様、お兄様達。私、ルベライト男爵家に生まれて来ることができて幸運だと思っているわ。連絡も定期的にするわね」
 マリナは思わず涙をこぼしながら、家族に満面の笑みを向けた。
 こうして、マリナはアステール帝国へ旅立った。


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 アステール帝国のインテクルース公爵家の養女となったマリナ。
 皇太子妃教育は厳しいが、ジュエル王国でエヴァンジェリンが上級貴族のマナーなどを学べるよう手配してくれたお陰で、マナー面は苦労せずに済んでいる。
(本当にエヴァンジェリン様とカリスタ先生のお陰ね。下地が身についているからまだ少し楽だわ)
 マリナはそう感じながら、この日も皇太子妃教育を受けていた。

「マリナ様、調子はどうかしら?」
 エヴァンジェリンが皇太子妃教育休憩中のマリナの様子を見に来た。この日のエヴァンジェリンの髪型はハーフツインのお団子だった。
「エヴァンジェリン様、来てくださったのですね」
 マリナは表情を綻ばせた。
「ええ。マリナ様の様子が気になって」
 エヴァンジェリンは現在マリナと同じくインテクルース公爵邸に滞在中だ。
 インテクルース公爵家次期当主ヴィクターの婚約者なので当然である。
「学ぶことが多いですが、新たな知識を身につけられるのでやり甲斐があります。前世でも勉強は嫌いじゃなかったので」
 マリナは紅茶を飲み、肩の力を少し抜いていた。
 エヴァンジェリンはそんなマリナをじっと見つめている。
「あの、エヴァンジェリン様? どうかしたのですか? 私に何かついてます?」
 マリナは困ったように微笑みながら首を傾げる。体や髪を確認しても、何かが付着している様子ではない。
「ねえ、マリナ様。(わたくし)のことをエヴァンジェリンお義姉(ねえ)様って呼んでみてちょうだい」
 ワクワクとした様子で真紅の目を輝かせているエヴァンジェリン。
 インテクルース公爵家の養女となったマリナは、エヴァンジェリンがヴィクターと結婚すれば彼女の義妹(いもうと)になるのだ。
「……エヴァンジェリンお義姉様?」
 苦笑しながら恐る恐るそう呼んでみた。
 すると、エヴァンジェリンは悶絶する。
「ああ! いい! いいわ! 推しからお義姉様と呼ばれるのも最高ね! たまにはそう呼んでちょうだい! マリナ様から上目遣いでエヴァンジェリンお義姉様と呼ばれたら本当に最高だわ!」
 興奮状態になったエヴァンジェリンである。
(エヴァンジェリン様は……姉というより妹みたいだわ)
 マリナは薄紫の目を細める。だがそう思っていることはエヴァンジェリンには内緒である。本当に妹を見守る姉のような目だ。
「ご機嫌よう、マリナ。エヴァンジェリン嬢もいたんだね」
 そこへやって来たのはアルジャノーン。

 マリナがインテクルース公爵家に養子入りしてしばらくすると、インテクルース公爵家主催のパーティーが開催された。それがマリナのお披露目の場となった。また、同時にそこでアルジャノーンとの婚約が発表された。
 上級貴族として及第点を超えたマナー、希少な光の魔力持ち、インテクルース公爵令嬢ということで、マリナが皇太子妃になることはアステール帝国全体で快く受け入れられたのだ。

「ご機嫌よう、アル。今休憩中なの。皇太子妃教育は覚えることが多いけれど、とても楽しいわ」
 花が咲いたような笑みのマリナ。
「ご機嫌よう、アルジャノーン殿下」
 エヴァンジェリンはいまだ興奮気味である。
「至福の推しカプタイムだわ! ああ、壁になりたい!」
 マリナとアルジャノーンを交互に見て興奮度合いが高まっている。
「エヴァンジェリンは相変わらずだね」
 更に、ヴィクターまでやって来た。エヴァンジェリンを愛おしげに見ている。
「あら、ヴィクター、どうしたのかしら?」
 エヴァンジェリンはヴィクターの姿を見ると、嬉しそうに真紅の目を細めた。エヴァンジェリンも、ヴィクターのことをちゃんと好きなのである。
「マリナさんに手紙が届いてたんだ。ルベライト男爵家のお兄さんから」
 ヴィクターはマリナに手紙を渡す。
 今までマリナ嬢と呼んでいたヴィクターだが、一応今はマリナと義兄妹(きょうだい)になった。義妹に嬢をつけて呼ぶのは少しおかしく、近い将来皇太子妃になるマリナを呼び捨てにすることもできない。そこでヴィクターはマリナのことをさん付けで呼ぶことにしたのだ。
「ありがとうございます、ヴィクター様」
 マリナは相変わらずヴィクター様と呼んでいる。
 手紙を受け取り中身を確認するマリナ。
「兄君は何と?」
 アルジャノーンは興味ありげな様子だ。
「ああ……何か元王太子エドワード達がどうなったのか教えてくれています」
 苦笑しながらマリナは手紙をアルジャノーンに渡した。

 マリナの兄は、手紙で一応エドワード達がどうなったのかを教えてくれた。
 エドワード、ショーン、アンソニー、ライアンの四人は光の魔力を持つマリナをアステール帝国に流出させた罪で投獄されていた。その投獄場所がえげつなかった。彼らは一糸まとわぬ姿を強要され、人としての尊厳を奪われた地下牢生活を送らざるを得なかった。おまけに地下牢の見張りには加虐趣味の男色家がおり、何と彼らは毎日のように門番から陵辱されていることがぼかして書いてあった。そんな生活の末、死罪が確定して毒杯を賜ることになった。四人の死体は見せしめのためジュエル王国の広場に数日間吊るされていた。

「えげつないざまぁだわ。でも、マリナ様をあんな目に遭わせたから当然よ」
 エヴァンジェリンは若干引きつつも鼻で笑っていた。
「イーリス嬢についても書いてある」
 アルジャノーンはその部分を確認する。

 イーリスは研究所で搾取される生活を送ることになった。
 優しさ半分でできているらしい痛み止めの薬、手術用で抜糸の必要がない溶ける縫合糸、お湯を入れて三分待てば食べられる麺、手っ取り早くバランスよくエネルギーや栄養補給できるブロック型のショートブレッドなどを開発したイーリス。その頭脳(ゆえ)、殺すのはもったいないと判断された。そこで、まずはイーリスが今まで開発したものの権利や利益を全てルベライト男爵家に渡すことになった。また、今後もその頭脳(要するに前世の知識)を活かした開発を強要されるが、その名義は研究所、そして利益の半分は研究所、残り半分はルベライト男爵家が受け取ることになる。要するにイーリスは名前も出すことはできず利益も受け取ることができない。おまけに開発したものに不具合が出た場合、その補償は全てイーリスがしないといけないことになっていた。一生馬車馬のように働かされ、不具合が出た時のみ矢面に立たされ賠償金も用意しないといけない、要は一生搾取される運命にあるのだ。早速不具合を出したイーリスは体を売って補償金を捻出しているようだ。
 それから、マリナをいじめていたドロシアは自死を選択。最初にマリナを殴った男子生徒は魔獣に襲われて頸髄損傷し、首から下が一生動かなくなった後は生家から捨てられ、柄の悪い輩に川に投げ捨てられそのまま水死体となったそうだ。その他の者達も、散々な結末を迎えている。

「マリナ?」
 アルジャノーンは手紙を読んだマリナを心配そうに見る。
「大丈夫よ、アル。もう何とも思わないの。そんなことより、私達が幸せになることの方が大切だから。どうでもいい人達のことを考えている暇はないわ」
 マリナは穏やかに微笑んでいた。
 その表情に、アルジャノーンは安心した。
「ええ、そうよ、マリナ様。嫌な奴らへの復讐は自分が心の底から幸せになることよ」
 ドヤ顔のエヴァンジェリン。
「大切なのは今だからね」
 深く頷くヴィクター。
(本物のヒロインなら、ここで心を痛めると思うけれど、残念ながら私は清らかな心は持っていない。だけど、私を大切にしてくれる家族や仲間がいる。どうでもいい人達のことは忘れないと)
 マリナ達は幸せな今を大切にして生きるのであった。