マリナ・ルベライトは鏡の前で何度も自分の姿を確認する。
 ピンク色のまっすぐ伸びた長い髪。パッチリとした薄紫の目。長い睫毛(まつげ)はその薄紫の目に影を落としている。自分で思うのもどうかとは思うが可憐な容姿。
(間違いない……! 私、ヒロインのマリナに転生してるわ!)
 マリナはワクワクした様子で目を輝かせた。

 三日前、マリナは熱を出して寝込んでしまった。その時、熱にうなされながら別人物がたどった人生の記憶が脳内に流れ込んできたのだ。それはマリナの前世の記憶。前世のマリナは可もなく不可もない平凡な日本の女子大生。大学の卒業旅行帰りに乗っていたバスが崖から転落したところで記憶が途絶えていた。恐らくそこで亡くなったのだろう。

(まさか大好きだった乙女ゲーム『光の乙女、愛の魔法』のヒロインになれるなんて……!)
 マリナはうっとりと表情を綻ばせた。

 前世のマリナが夢中になっていた『光の乙女、愛の魔法』という乙女ゲーム。このジュエル王国を建国した女神アメジストと同じ希少な光の魔力を持つ男爵令嬢マリナが魔法学園で攻略対象者達と恋を楽しむゲームだ。恋だけでなく、邪魔してくる悪役令嬢を退けたり、ジュエル王国に災をもたらす闇の魔獣と戦い、ハッピーエンドを目指すのだ。

(いや、でも冷静にならないといけないわね。ゲームに登場する王太子の婚約者で悪役令嬢のエヴァンジェリンも転生者かもしれないもの。前世よく読んだライトノベルやWeb小説では転生悪役令嬢が自分の破滅を回避してヒロインが逆ざまぁされる作品が多数あったのだから)
 マリナは前世のゲームやライトノベルなどの記憶を思い出し、少しだけ不安になった。
 その時、自室の扉がノックされる。
 マリナの母親が入って来た。
「マリナ、明日は魔法学園の入寮日だけれど、体調は大丈夫?」
「ええ、お母様、ありがとう。大丈夫よ。準備も完璧だわ」
 マリナは満面の笑みだ。
 男爵令嬢マリナ・ルベライトとして生きた記憶も残っているので令嬢らしさが出ている。
(ヒロインのマリナはWeb小説とかであった平民上がりでマナーのなっていない男爵令嬢ではないのよ。ルベライト男爵領はそこそこ田舎ではあるけれど)

 ルベライト男爵領はジュエル王国の王都からはそこそこ離れた場所にある田舎町だ。前世のマリナの言葉を借りるなら、絵本のような中世ヨーロッパ風の町である。

(『光の乙女、愛の魔法』のゲーム開始は明後日の魔法学園の入学式から。もしゲーム通りならば攻略対象者達と恋を楽しんでみたいけれど、似て非なる世界の可能性もありえるわ。行動には気をつけないと。お父様とお母様とお兄様達に迷惑はかけたくないし)
 前世の記憶が蘇ったとしても、マリナにとってルベライト男爵家の者達は大切な家族である。


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 翌日。
「お父様、お母様、お兄様方、それでは行ってきます。長期休みには帰ってくるわね」
 マリナは家族に見送られながら、魔法学園に向かった。
 魔法学園は全寮制で、王族、上級貴族、下級貴族例外なく全員寮生活だ。
(攻略対象者達とはどうなるのかまだ分からないけれど、楽しみね)
 マリナは魔法学園での生活に思いを馳せた。

 しかし魔法学園に着くと、マリナにとって予想外の出来事が起こった。
 ジュエル王国の魔法学園は城のように広くて大きな建物だ。門をくぐり抜けると、中央校舎入り口までは大きな広場になっている。その中央に建っている女神アメジスト像が、神秘的な美しさを放っている。そして女神アメジスト像の前には前世のマリナにとって見覚えのある者達が、とある令嬢を守るようにして険しい表情で仁王立ちしていた。『光の乙女、愛の魔法』の攻略対象者である。

 蜂蜜色の髪に青い目の、王太子エドワード・ジュエル。
 銀髪に紺色の目の、次期宰相として有望な公爵令息ショーン・ダイヤモンド。
 青い髪に向日葵色の目の、騎士団長候補の侯爵令息アンソニー・サファイア。
 赤い髪に緋色の目の、高い魔力を持ち魔導士として将来有望な伯爵令息ライアン・ルビー。

 乙女ゲームの攻略対象者だけあって全員見目麗しい。おまけに国の未来を担う主要人物なので周囲から注目を集めている。
(本物だわ……。やっぱり素敵ね。でもどうしてあんな態度なのかしら?)
 早速攻略対象者達を目にしたマリナは視線を奪われてしまうが、彼らの態度も気になるのであった。
(まあ、もしゲームが開始するならば明日からのはずよね)
 マリナは少し気になりつつも、入寮手続きのために広場を通り抜けて寮まで向かおうとしていた。
 その時だ。
「お前がマリナ・ルベライトだな?」
 マリナは仁王立ちしていたエドワードから威圧的に声をかけられたのだ。
 エドワードの目は恐ろしいほどに冷たかった。他の者達もマリナを冷たく睨んでいる。
「はい……そうですが……」
 その態度に思わず怯んでしまうマリナ。
「マリナ・ルベライト! お前がこれから我々に何をしようとしているかは分かっている! 今後我々に近づこうものなら容赦しない! 分かったな!?」
 エドワードからそう宣言されたマリナ。突然のことに頭が追いつかない。
(え……? どういうこと? 私はまだ何もしていないのに)
 そしてマリナは彼らに守られるように立っている令嬢に気づいた。

 ふわふわとした長い黒髪にカナリアイエローの目の、儚げで庇護欲そそる美少女だ。

(悪役令嬢エヴァンジェリンが守られているなら分かるけれど……この子は誰なの? ガーネット公爵家のエヴァンジェリンは、銀髪縦ロールに真紅の目で華やかだけどキツそうな顔立ちだったわ)
 マリナは完全に戸惑っていた。前世で読んだWeb小説のような、悪役令嬢が破滅を恐れて事前に攻略対象者達を味方につける展開があるかもしれないと予想はしていた。しかし、守られている令嬢はマリナが知っているキャラではない。
 彼女はエドワード達のマリナへの対応にホッとし、唖然とするマリナを見て勝ち誇ったような笑みを浮かべていた。
「さあ、イーリス。もう大丈夫だ。行こう」
 エドワードはマリナへの態度とは打って変わり、優しい表情を向ける。
 エドワード達に守られていた令嬢はイーリスというらしい。
「はい、エドワード様」
 イーリスは表情を綻ばせる。男なら誰もが守りたいと思ってしまうような雰囲気が醸し出されている。
「イーリス嬢、僕達がいる限り貴女の不安は現実になることはありません」
 優しく頼もしい目をイーリスに向ける宰相候補ショーン。
「イーリス嬢、この先も何かあるか分かりませんから私もお供します」
「何かあれば俺の魔法で撃退しますから」
 騎士団長候補のアンソニーと魔導士として将来有望なライアンもイーリスを守るように歩き始めた。
「お前達、イーリスは俺の婚約者だぞ」
 エドワードはイーリスの腰を抱き、他の三人を牽制していた。

 マリナは一人取り残され立ち尽くすことしかできなかった。


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 何とか入寮手続きを済ませ、割り当てられた部屋にたどり着いたマリナ。
 魔法学園の寮は全員一人部屋だ。
(本当にどういうことなの? 私はまだ何もしていないのに、どうしてあんな風に言われないといけないの……? 状況を見てこの先どうするか考えようと思ったのに)
 先ほどの女神アメジスト像の前でエドワード達から一方的にキツく絶縁宣言されたことを思い出すマリナ。荷物を整理する気分にはなれず、ため息をついた。
 攻略対象者達への憧れなどは一瞬で砕け散り、ただ戸惑いと悲しさだけが残った。
 そしてイーリスの勝ち誇った笑みを思い出す。
(あの子……イーリスと呼ばれていたわね。エドワードの婚約者らしいけれど、ゲームには登場した記憶はないわ……)
 マリナは前世でプレイした『光の乙女、愛の魔法』の記憶をじっくりと思い出してみた。
(きっとイーリスは私と同じように前世の記憶を持つ転生者なのね。前世で『光の乙女、愛の魔法』をプレイしていたのでしょう)
 マリナはそう結論づけた。
(というか、悪役令嬢のエヴァンジェリンは一体どこに行ったのかしら? エドワードの婚約者ではないみたいだし……)
 また別の疑問が思い浮かんだマリナだが、まずはイーリスのことを考えることにした。
(確かに好きなゲームの世界に転生できたらモブでも嬉しいわよね。攻略対象者達に近づきたいと思うとも当然かもしれないわ。上手く婚約者になれたとしても、ゲームの強制力があるかもしれないからマリナ()の存在が脅威なこともよく分かるわ)
 マリナはようやく荷物の整理を開始した。
(でも……イーリスが攻略対象者達に呼びかけたのかは分からないけど、大勢の目の前でまだ何もしていない私に対してあんな風に宣言させなくてもいいんじゃないかしら? そのせいで寮の部屋に入るまで色々な方々からヒソヒソ言われたり、好奇の目を向けられたわ)
 荷物の整理をしながらため息をつくマリナ。
 かなり大勢の前でジュエル王国の未来を担うエドワード達にあんな風に言われたせいで、マリナは寮の部屋に入るまでの間好奇の目に晒されたのだ。
(別に無理にゲーム開始して攻略対象者達を攻略しようとは思っていなかったけれど、明日からの学園生活はどうなるのかしら……?)
 再びため息をつくマリナ。
 マリナの学園生活はハードモードになる予感がした。