だが、すんなり出ていくわけがないと思っていた父テレンスの反応は、エステイアの予想とはだいぶ異なっていた。
「お前は気に食わぬが、実の娘。餞別ぐらいくれてやる!」
「……は?」
それを言うのはむしろ追放するエステイア側ではないか?
首を傾げていると、テレンスが魔法を発動した。
「確率変動魔法、発動!」
テレンスの目の前に縦列三列、九つのカラフルな光のオーブが浮かんだ。
『ミニゲーム! 照れ照れテレンスの確変パズル~! さあ好きなオーブをひとつ選んでね!』
(これ、本編でテレンス君が担当してたご褒美ゲーム?)
確率変動とは、前世の日本でならパチンコやカジノ用語で、大当たりが連続して継続する状態のことを指す。
テレンスの確率変動魔法は最初にひとつ当たりが出ると、次に当たりが出る確率が爆上がりする。その繰り返しで次々と幸運が続く運気操作型の魔法だった。
ただし、逆もあり得る。
最初にハズレを引くと次もハズレの可能性が高くなる。
当たりにしろハズレにしろ、その一回のみで止めることもできるし、続けて運任せも可能だった。
なお、オーブの効果はそのときのテレンスの気分次第である。
「さあ、どれでもひとつ、好きなものを選ぶがいい!」
「選べと言われても……」
(あれ? この魔法、随分昔に遊んだことがある……わね……?)
前世のミナコがプレイした本編ではない。エステイア自身が経験した記憶がある。
『ぱーぱー! あたりどーれー?』
『ふははははは、おしえなーい!』
『パパのいじわるー!』
母の腕に抱っこされて、父テレンスの出した魔法のオーブをどれにしようか悩んだ出来事が想起されてきた。
(そうだった。仲が良くて、家族でお父様のパズル魔法で仲良く遊んでいた頃もあったのよ。……どうして、私たちはこんなに拗れてしまったのだろう)
九つのオーブはすべて色が違う。白と黒、赤、青、黄、ピンク、グレー、水色、そして緑色。
たまに虹色に点滅するオーブもあるが、これは引っ掛けだ。初心者がよく引っかかって痛い目を見る。
何となく青色を選ぼうとすると、父の緑色の目があからさまに泳いだ。
(本編でミニゲームの攻略ヒントがあるのよね。当たりを選ぼうとオーブにカーソルを合わせて、実際当たりだとちょっとつまらなさそうに唇を尖らせる。ハズレだとちょっとにんまり。大ハズレを選ぼうとするとぷるぷる震えて大慌て)
どの表情と態度も、ものすごく可愛くて、正解がわかっても全部のオーブにカーソルを合わせてしまうプレイヤーは前世のミナコの頃から多かった。
青色は違うらしい。
ではピンクに指先を向けるとショックを受けたような顔になる。
乙女☆プリズム夢の王国の本編ではテレンス君の背後に「がびーん!」と効果音が手書きで表示された。そういうところは三十年前の古いゲームの演出だったなと思う。
(確かこの顔は、術者がダメージを受けるやつだったはず)
数秒そのままピンクオーブを検討するように指を揺らしていると、次第に生意気な顔をしていた父テレンスが明らかにしょんぼりしてくるのがわかった。
(あああああ。クズの父親でもこの人はテレンス、テレンス君! 私には選べない)
仕方なく正解と思われる緑オーブを選ぶと、パァッと父の美しい顔が輝いた。
(推しが、尊い)
何だかもう追放はやめてしまいたくなってエステイアが自己嫌悪に陥っていると。
正解を選ぶなり九つのオーブが一つの大きな光の球になって、後には背の低い木箱にぎっしり詰まった大量の小瓶が現れた。
「これ、魔力ポーションですか?」
「上級ポーションだ。形見分けにくれてやる! いいか、形見だからな。ちゃんと全部飲むのだぞ、形見だからな!」
と捨て台詞なのだかよくわからない念押しをして、父テレンスは慌ただしく荷物をまとめて伯爵家を出て行った。
「……形見?」
セドリックとカーティスがエステイアの居場所を尋ねようと伯爵家の使用人を探していたところ。
当のエステイアが父テレンスに追放を言い渡したと噂話しているのを聞いて慌てた。
「これ取り返しのつかないことにならないか?」
「だがエステイアに何と言う? 所詮我々は部外者だ」
顔見知りの執事から主人は執務室だと教えられ向かうと、当主の机に座ってエステイアが項垂れていた。
胡桃の無垢材に漆を塗り重ねた重厚な執務机の上に、背の低い木箱が無造作に置かれていた。
「それ何だ?」
「魔力ポーションだそうよ。手切れ金代わりなんですって」
カーティスは思わずセドリックと顔を見合わせてしまった。
詳しい話を聞き出したカーティスとセドリックは何とも言えない顔になった。
(どこまでが本当なんだ? パラディオ伯爵領が臭いから喧嘩になってた? テレンス様の性格だと普通に言いそうな話だよな)
(……作り話なのか、本当にあったことなのか。絶妙のストーリーではあるな)
ひそひそと小声で話し合う男二人の前で、エステイアはどんよりと光のない死んだ魚のような目で肩を落としていた。
「愛のない結婚や、その両親から生まれた子供はかわいそうよね……」
自嘲するように口元だけで笑うエステイアは痛々しかった。
これはどうフォローしたものか。
セドリックが内心冷や汗をかきながら思案していると、隣のカーティスから肘で小突かれた。
(弱ってるときにすかさず慰める! イチコロだぜ!)
(………………)
赤茶の髪とグレー目の快活な男がぐっと親指を立ててきた。よし行ってこい!
(な、難易度が高い!)
そこでするっと甘い言葉がかけられる男だったら、今頃セドリックはとっくにエステイアとゴールインできていただろうに。
こんなとき、何と言って慰めたら良いかセドリックにはわからなかった。
伯母、いや実の母である王姉ギネヴィアから厳しく教えを受けていたセドリックは紳士として完璧なはずだった。
だが、いざ本命が落ち込んでいるのを見ると、習ったマナーや社交術など何の役にも立たなかった。
世間から厳格だなんだと恐れられているセドリックだが、実際はただの堅物で融通が利かない男に過ぎない。
(こういうときは肩でも抱けば良いのだろうか? いやまだエステイアはアルフォートと婚約中。手……ぐらいなら触れても……?)
などとセドリックが考えていると、執務室のドアがノックされパラディオ伯爵家の家令が入ってきた。
「何かあった?」
「ご当主様、お父上のテレンス様はひとまず領内の愛人宅に身を寄せることにされたようです」
「……そう。すぐご実家に戻られるかと思ったけど」
行き先だけ念のため確認し、報告に来たようだ。
「よろしいのですか? 伯爵家から籍を抜いた男が領内に残っているのは問題があるかと」
「父の実家のモリスン子爵家はなんて?」
「抗議が来ていますね。王命で婿入りした者を追放とは何事かと」
「こちらでの事件や、父が伯爵家で何をしたかの手紙は送ったのよね?」
もちろん、と家令が頷く。証拠付きで分厚い報告書を送ってある。
「子爵家を訴えることも辞さない、と手紙を送りつけてやって。まだ文句を言うようならパラディオ伯爵家に害を成す男を婿養子に送り込んだツケを払ってもらいましょう」
亡くなった前女伯爵カタリナや、エステイアへの暴力や心的苦痛に対する慰謝料を請求する。
少なくとも20年分は貰わなければ割に合わない。
今回のエステイアの結婚式での惨状はもちろん王家にも事の顛末を報告してある。
そもそも母伯爵とあの父との婚姻をお膳立てしたのは王家だ。
さすがに一伯爵家が王家に責任を問うのは不敬にあたり難しかったが、今回の婚約破棄の原因の一つにサンドローザ王女がいる。
多少、チクチク刺して溜飲を下げさせてもらおう。
むしろ、父親の実家の理不尽を諌めるぐらいしてもらわなければ、割に合わない。
「ご当主様。テレンス様の愛人親子についてはどうされますか?」
「放っておいてもいいけど、伯爵家の権利を主張されると厄介ね。これも実家と王家、本人にも真実を知らせておきましょうか」
父親テレンスの愛人の娘は、本人は実子だと思っているようだが、実は愛人の別の恋人との間にできた子供なのだ。
顔立ちは愛人の母親そっくりだが、耳と指の形が母親にも、父テレンスにも似ていない。
調べさせると愛人には別の男がいて、そちらによく似た形らしい。
「強かな女にずーっと騙されっぱなしだったのね。かわいそうなお父様」
机に戻って手紙を書くと言うエステイアに、カーティスが機転をきかせて声をかけた。
「エステイア。この後セドリックも王都に向かってこいつの立場から国王陛下に報告してくれるってさ。王家への手紙を預けるといい」
「そう? ならお願いしようかしら」
ちら、と話を振られたセドリックはカーティスを見た。小さく頷きを返される。
(アルフォートの語った話が事実なら、今は下手にプリズム王家を刺激しないほうがいい)
手紙はひとまず預かって様子を見たほうがいいだろう。
「えっ。テレンス君を追放した? マジで?」
客間のサンドローザ王女に会いに行って報告すると驚かれた。
「あ、あのさ。あんた、スマホ版の追加ルートをもしかして周回してないの?」
「え? 百合とBLストーリーのこと? 事前情報ほどそういう要素なかったあれ?」
「……うっわ。あんたライトユーザーだったのね。それ物語の表面しかなぞれてないわよ?」
どういうことか、と眉間に皺を寄せたエステイアに王女は彼女の知る乙女ゲーム『乙女☆プリズム夢の王国』の全体像を教えてくれた。
「乙プリはクソ古いゲームでしょ。昔のゲームってすごい複雑で入り組んでるのよ。スマホ版が出た頃はネットで攻略情報が網羅されたから、それ見た新規ファンは悲鳴を上げたもんよ」
「そう……ね。家庭用ゲーム機で遊んでた私の頃は、中学の友達と章ごとの分岐をノートにまとめてたわ。選択肢は常に三つだったから数人で手分けしてなんとかやってた」
「なにそれ昭和の話?(笑)」
「失礼ね、平成に入ってからよ!」
事前情報だけで大炎上したスマホ版の追加要素の百合とBLは、実は本当の乙プリ古参ファンたちには今さらネタだったとサンドローザが言った。
「元祖乙プリのCD-ROMをパソコンでリッピングすると、ゲームに反映されなかったシナリオの生原稿が出てくるの」
「リッピング……?」
「ゲームソフトのデータをパソコンに取り込むことよ。大半は違法とされてる。そのリッピングで確認できる乙プリの生原稿によると、あたしの国王陛下がテレンス君を可愛い可愛いって言ってるセリフなんかがあるわけ」
「まあ」
エステイアは思わず手のひらで口を覆ってしまった。
「旧版だと実際のゲームを構築する中で、そういうあからさまな感じのBLとか百合のある部分は使われなかったみたい。だけどソフトのCD-ROM内にテキストデータが丸々残ってるのよ」
サンドローザによると、まだインターネットが一般的になっていない時代の乙プリファンは限られた人間しか使っていなかったパソコン通信でコミュニティを作って情報交換していたようだ。
「それを知ってるってことは、あなたもリアルタイムで乙プリを遊んでた人?」
「ううん。シリーズ最新の数作を遊んでたし、この世界に転生する前は大学受験が終わったばかりだった。リッピングの話はスマホ版が出てからSNSで情報が流れてきて知ったの」
そもそもエステイアとサンドローザ王女は、前世では同じお嬢様学校の卒業生と在校生だったようなのだ。
なぜお嬢様学校の生徒が乙女ゲームを遊んでいたかといえば。
シリーズ一作目の乙女☆プリズム夢の王国では本編での貴族令嬢たちの淑女マナーを監修したのが学校の当時の女学長だった経緯からだ。
その縁で在校生たちにゲーム会社から体験版がプレゼントされていた。
テレビゲームなんてとんでもないと目を釣り上げる厳しい親御さんのいる家庭でも、学長が監修したこのゲームだけならとゲーム機本体を買って親子で楽しんでいた。
前世のミナコの家もその口だった。
ゲーム自体が全年齢向けで、スマホ版のように余計な百合やBL要素がなかったからPTAも騒がなかったわけだ。
「あたしの時代になると最新作がパソコン教室でプレイできるようになってたの。各教室一機ずつ本体があって、クラスメイトたちと放課後に遊んでたっけ。もちろん全年齢向けの作品だけだったけど」
「学長先生はお元気だった?」
「もちろん! たまに乙プリシリーズを遊んでるとこに来て生徒たちを見守ってくれてたわ。でも乙プリのスマホ版が出る前年に退職しちゃって」
もう年だったから仕方がないと残念そうにサンドローザが笑う。
「そんなわけで元々の旧版ソフトのテキストデータに百合もBL要素もそれなりに入ってたわけ」
「でも、私がスマホ版で遊んだときはそこまでなかったわよ?」
百合にもBLにも馴染みがなかった前世のミナコは、何が出てくるかと緊張しながら薄目で恐る恐るプレイしてしまったほど。
「スマホ版で本編を正ヒロイン、サブヒロインそれぞれで攻略対象全員をエンディングまでトゥルーエンドからバッドセンドまで全クリすると、追加の百合ストーリーとBLストーリーも全容が解放されるの」
「えっ。そんなの知らない!」
むしろ一般ユーザーでそこまでやり込む人は少ないのではないか?
「攻略サイトを見てたら気付いたはずだけど」
「さ、最初はそういうの見ないで遊びたいなあって思って……」
「出たよライトユーザー(笑)」
何だかイヤな感じで笑われてしまった。
それはともかく、サンドローザ王女はエステイアが父テレンスを追放したことに驚いていた。
理由は何なのだろう?
「百合ストーリーは本編正ヒロインだったあたしの母さんロゼットが、あんたのママのカタリナ様が大好きだったって推し萌えや尊みを叫んでるだけ。問題はBLストーリーのほう」
ごくり、とエステイアは唾を飲んだ。
(なに、いったい何が出てくるというの!?)
「そもそも、あたしたちって王家の親戚じゃない?」
「……遠縁だけどね」
プリズム王家は王国のアヴァロン山脈から名前を取った、アヴァロニスなる聖者から始まる。
アヴァロンはアーサー王伝説では伝説の聖剣エクスカリバーが作られた逸話のある楽園だ。
この世界では山脈の名前になっていて、建国の祖アヴァロニスが今も仙人として住処にしているとの神話がある。
「もう随分前に王族が臣籍降下したのがあんたのパパの実家モリスン子爵家。今はあんたの祖父、大魔道士マーリンが当主よね」
「ええ、そうだけど」
エステイアは母カタリナの葬式のとき一度だけ会ったことがある。
かつて魔法騎士団の団長まで務めた偉大な魔法使いで、父テレンスの実父だけあって老いても美しい男だった。
顔つきは厳しかったが、母親の棺を泣きながら見送る幼かったエステイアの頭を優しく撫でてくれた乾いた手のひらの感触を今でも覚えている。
(マーリンもアーサー王伝説の主要人物なのよね。魔法使いなのも共通)
「で、実は王家の正統はモリスン子爵家なわけ」
「……は?」
笑えない冗談だ。
「知ってる人は知ってるのよ。プリズム王家は長子相続じゃなくて一番強い魔力の持ち主が王位に就くようになってるの」
「まさか、モリスン子爵家の祖先って」
「そ。当時の一番強かった王族が実力を隠して王家から外れたのね。しかも下位貴族の子爵家を興したことで、その後の王位継承権争いからも外れた。上手いことやったもんだわ」
「………………」
モリスン子爵家は王家の遠縁だが、なぜか当主や子息子女たちには末端ながら王位継承権が授けられている。
子爵家なのになぜ、とエステイアは思っていたがそういう事情なら理解できる。
「モリスン子爵家はまったく、これっぽっちも王位に興味なかったから王家も親戚だけど放置ぎみだったわけ。だけどあんたの祖父マーリンが出た」
「……プリズム王国の歴代最強魔法使い、だったかしら」
「子爵家なのに伯爵家以上が慣例の魔法騎士団長にまでなったでしょ。そこまではいいのよ」
まだ何かあるのか。嫌な予感がする。
「マーリンの三男、あんたのパパのテレンス君が今この国で最強の魔法使いなのよ。実質、一番王位に近い男だったわけ」
特大級の爆弾が来た。
「で、でも、お父様はとてもそんな強い人には見えなかったわ!」
母カタリナが最強だったというならわかる。光と闇以外の全属性持ちだった。
父テレンスはエステイアと同じで魔法属性は風のみ。そしてエステイアは父がパズル魔法以外を使ったところは見たことがなかった。
「あんたの目も節穴よね。『テレンス君の確変パズル魔法』」
ぴた、とエステイアは混乱していた自分の動きを止めた。
つい先ほど追放を言い渡し追い出す寸前、その魔法を体験したばかりだった。
「ステータス盛り盛り効果が最大で百倍。そんな効果の出せる魔法、テレンス君しか使えないわよ」
「まさか……そんな、お父様が……」
だとすると王位継承権の持ち主の中で最も王位に近い者は父になるのか?
「当時の王家に王女がいたら婿に迎えれば正統がまた王家に戻ってきたけど、あたしの父さんしかいなかったから無理だった」
そこで王家というより、当時の王太子アーサーがテレンスを自分の世話役、小姓として王都の学園に入学して側に置いたそうだ。
「それで変な野望を持たないよう躾けるつもりでいたところを、あんたのママのカタリナ様が危ういところで掻っ攫って婿にしたわけ」
「躾けるって……」
「BL的な感じで」
「やっぱりいいい!」
ただ、とサンドローザは意味深に笑った。
「この辺の事情はBLストーリーでもそこまで深く語られてたわけじゃなかった。あくまでもあたしがわかる範囲での情報ね」
母親の正ヒロイン、ロゼット王妃から聞かされた話も多いそうだ。
「あれ? じゃあお父様を追放なんてしてしまったから」
「ヤバいわね。早く追いかけて回収して保護したほうがいいんじゃない?」
エステイアが血の気を失って青ざめたところへ、侍女のマリナが慌てて部屋に駆け込んできた。
「え、エステイア様、大変です! アルフォート様がお部屋におられません! お父上のテレンス様が連れ出したようで……!」
「!?」
事態が大きく動き出した。
侍女に案内された客間には確かにアルフォートの姿がない。
あったはずの荷物のうち、貴重品と手荷物程度のバッグだけがなくなっていた。
テレンスが出ていくときに連れ出してしまったらしいとの報告に、エステイアはまた頭が痛くなってきた。
「嘘でしょ、アルフォートまで……くそっ、こんなことならあたしの部屋に連れ込んでおけばよかった!」
事態を知ったサンドローザ王女も飛び出して行こうとするが、エステイアが慌てて止めた。
「駄目よ、ヒューレット君がまたあなたを迎えに来るのに! 勝手に出奔したらあなただけじゃない、私やパラディオ伯爵家まであらぬ疑いをかけられる!」
腕を掴んでくるエステイアに、意地悪げにサンドローザ王女が笑った。
「あら、そう? 初めてを捧げた男だし私はアルフォートと添い遂げられるよう頑張るつもりだったの。現王家の王女と王家の正統なら良い組み合わせじゃない? どうせ純潔じゃなくなった王女じゃ公爵令息のヒューレットとは結婚できないだろうしね」
「それは」
話を聞く限りだと良い案だった。
だが、女伯爵エステイアの婚約者を寝取った王女なんて醜聞を王家、特に今のアーサー国王が許すだろうか?
「ヒューレットも駄目、アルフォートも駄目なら次の私の婚約者は誰になるかしら。ねえ、エステイア?」
「ま、まさか」
ものすごく嫌な予感がする。
「傷物のあばずれ王女と、不義の子の隣国王弟。お似合いだと思わない?」
「サンドローザ!」
次に狙うのがセドリックだというのか。
「ははは、冗談言ってるわけじゃないのよ。現実的な代替案がそれしかなくない? でもどうせ仮面夫婦よ、愛人があんたになるなら見て見ぬ振りしてあげる」
「いやあああ……想像できちゃうところが怖いわ!」
リアリティありすぎる想像をエステイアに植え付けて、笑ってサンドローザ王女はドアへ向かった。
去り際、サンドローザ王女は手痛い攻撃を仕掛けてきた。
「ねえ。テレンス君関連のことは乙プリをプレイしてなくても、普通に情報収集してたらわかるレベルの話よ?」
「え?」
「テレンス君やアルフォートにちゃんと向かい合ってたらもっと関わる全員にとって良い結果になったかもしれないのに。あんた、自分のことばっかりで全然周りが見えてないのよ!」
「!」
言うだけ言って今度こそサンドローザ王女は去っていった。
「おいエステイア、何があった!?」
「エステイア?」
カーティスとセドリックの声がどこか遠い。
ここで気を失えるようなか弱い女性なら可愛げもあるだろうが、生憎と弱いメンタルで女伯爵などやっていられない。
「セドリック……」
(何よサンドローザのやつ! 人の結婚式をダメにした挙句、セドリックまで奪おうっていうの!?)
心配げな顔で駆け寄ってくるセドリックに胸の奥がぎゅうっと締め付けられそうになった。
(私だって彼を諦めたくなんかなかった。攻略対象……ううん、もう乙女ゲームなんてどうだっていい。私はセドリックが欲しい!)
エステイアが本命の再攻略を決意した瞬間だった。
濃いめのミルクティ色の癖毛と緑の瞳の美男テレンスは、金髪青目の自分とよく似たこちらも美しい青年アルフォートを引きずるように道連れにして山道を歩いていた。
向かうはプリズム王国の聖域、アヴァロン山脈だ。
「叔父貴ぃ。こんな遠回りして何やろうっていうんだ?」
パラディオ伯爵家を出る際、テレンスは軟禁されていたアルフォートを強引に連れ出していた。
護衛の騎士たちをわざわざ魔法で眠らせて。テレンスは風魔法の使い手。風魔法には人間の精神に作用する術も多い。この手の悪戯は学生時代からお手の物だった。
しかも一度、〝愛人〟親子のいる別宅を経由してから、アヴァロン山脈に登っている。
監視の目を欺けていたら良いのだが。
「こんな三文芝居いつまでもやってられるか! アルフォート、お前だってそうだろう!?」
「いやー俺はサンドローザ様がいればそれでいいかなあって」
まさか学生時代の憧れの王女様と自分が両想いとは思いもしなかった。
しかもお互い初体験で初めてを捧げ合った。まさに奇跡。
やに下がった顔でアルフォートはへらへら笑っている。
「この野郎。エステイアの結婚式を台無しにした報いは必ず受けさせてやるからな!」
「あー……。それ叔父貴に報復される前に隣国の王弟殿下に殺されそう」
美形の叔父が凄んでくるがあんまり怖くはない。もっと怖いものをアルフォートは知っている。実家の祖父マーリンだ。
「お前さえエステイアと結婚してたら親父が賢者の石をくれたのに。そしたらもうポーション研究も必要なくなる。エステイアがカタリナの二の舞になったらどうしてくれる!?」
「カタリナ伯母さん、魔物退治の過労で亡くなったんだっけ? 叔父貴が代わりに戦ってやりゃよかったのに」
「そのカタリナが私を戦わせなかったんだ! 代わりにポーション開発で助けてくれって言うから、私は……私は……くそ、まさかあんなに早く死んでしまうなんて」
悔やむテレンスをよそにアルフォートはそびえ立つ山脈を見上げた。
「おい見ろよ、叔父貴。ヤバいぞ、中腹から上が瘴気で真っ黒。しかも」
ギャオーン……と遠くからドラゴンの鳴き声まで響いてきている。
「こんな場所に本当に聖杯があるのかよ? 情報間違ってないか?」
「学生時代のロゼット王妃やカタリナと一緒に、山頂付近で確かにこの目で見ている。……王家がエステイアに目をつける前に確保だ!」
「……何で俺まで巻き込むかな」
一度寄った愛人宅で装備は整えてきたが、テレンスもアルフォートも典型的な魔法使いで剣や弓など武器は苦手だ。
この状態で魔物に襲われたら結構きつい。
「『条件を満たした者の願いを叶える』だっけ? そんな眉唾ものがあるとは思えねえけどな」
かつてロゼット王妃とアーサー国王たちは同じアヴァロン山脈に登って聖杯を探し出し、プリズム王国を覆い尽くそうとしていた黒竜の瘴気被害を解決した。
二人は結ばれてサンドローザ王女が生まれたが、彼女はロゼット王妃が持っていた光の魔力を受け継がなかった。
受け継いだのは父王の火の魔力だ。そこそこ強いが両親を上回るほどじゃなかった。
(そこで何でわざわざ親戚とはいえ王家の遠縁のモリスン子爵家を思い出すんだよ。サンドローザ様が跡継ぎでいいじゃないか。母親が平民なのが気に食わないならモリスン子爵家だって王族の血はだいぶ薄まってるのに)
ただでさえ面倒くさい王家の事情に巻き込まれているのに、特にテレンスは妻カタリナを早死にさせたことで、カタリナのファンだったロゼット王妃に恨まれている。
その上、アーサー国王は学生時代から寵愛していたテレンスをまだ諦めていないとの噂もある。
(叔父貴なんて顔が良いだけのオッサンじゃん。国王なら若くてピチピチの女でも男でもよりどりみどりじゃないのかね)
そこに来て最近また国内に広がり始めた瘴気被害。
(今の王家から天命が薄れてきてるってことなのかねえ)
言い伝えでは、国王が良く治める時代にはアヴァロン山脈を寝ぐらにする黒竜は大人しく、瘴気を発しない。
国が乱れたときに暴れ出して、瘴気で国内を汚染し、人の心を乱す。そう言われていた。
パラディオ伯爵家の婚約破棄騒動は当事者のアルフォートと、不貞相手のサンドローザ王女、二人とも居なくなってしまったことで後味の悪い終わりとなってしまった。
「あとは王家との交渉。はあ、気が重いわ」
元凶のアルフォートとサンドローザ王女だけで何とかしてほしい。
「エステイア。このまま居ても役立たずだろうし、俺は帰るよ」
「私は預かった手紙を持って王都で国王陛下に謁見を……」
その日の夕食の席でカーティスとセドリックから、明日の朝出立すると聞かされた。
「そう。……寂しくなるわね」
エステイアはこのパラディオ伯爵家で独りになる。
この日はもう食事も味気なくて食べた気がしなかった。
「セドリックも、元気で。こちらが落ち着いたら手紙を書くわ」
「ああ。待っている」
翌朝、カーティスやセドリックと別れを惜しんでいるところに、再び王都からサンドローザ王女の婚約者、近衛騎士のノア公爵令息ヒューレットが単騎でやってきた。
「ヒューレット君! 申し訳ないわ、実はサンドローザは勝手に出奔してしまって」
「その話は後です、エステイア嬢! カーティス君、セドリック君もまだこちらに居ましたか。アヴァロン山脈に異変が!」
「え?」
軍装姿のヒューレットはいつも整っているはずのヘーゼルブラウンの髪を乱して息も荒い。
途中で異変を察知して無理に馬を全速力で走らせてきたという。
パラディオ伯爵家は山脈を背にする形で屋敷が立っている。
セドリックたちを見送るためエントランスにいたエステイアは、自分の風の魔法でその場にいた者たちを家人たちも含めて浮き上がらせ、屋上へと上がった。
「うそ、あれ……」
「黒竜か!」
プリズム王国と他国を隔てる第山脈の一番高い山の上空を巨大な黒いドラゴンが旋回している。
「しかも瘴気で山頂が見えねえ……」
黒いモヤのような瘴気は少しずつ山を降りて人里、エステイアのパラディオ伯爵領や隣のザックス辺境伯領を汚染しつつある。
「あのドラゴンが瘴気の発生源なのは間違いありません。今ならドラゴンを討伐すれば瘴気被害は最低限で抑えられるはず」
ヒューレットの指摘はもっともだ。
そのまま全員、屋敷の中に入って執務室で各自、必要な各所に連絡用の手紙を書いたり伝令を飛ばしたり慌しく動いた。
「王都に報告を。パラディオ伯爵家は騎士団と兵団を準備、いつでも出発できるようにしておいて。私は先に現地を確認してくるわ」
「ご当主様、お一人では危のうございます!」
家令や執事が慌てて止めてきた。けれどエステイアは引かない。
「亡くなったお母様ほどじゃなくても、私だって戦える。大丈夫、危険なところまでは近づかないから。せめて瘴気避けの魔導具ぐらい設置してこないと」
単独で向かうつもりだったエステイアだが、男たちも一緒に同行すると次々申し出てきた。
「お前ひとりを向かわせるわけにはいかない。エステイア」
「セドリック。心強いわ」
(出発の前に私からも隣国に手紙を出しておきましょう。アヴァロン山脈に瘴気が溢れたら彼の国だって危ないもの。あちら側でも備えておいてもらわないと)
「当然俺も行く! ザックス辺境伯でも騎士団を山のふもとで待機するよう指示しておいたぜ!」
「助かるわ、カーティス」
(元々、辺境伯はこういうときのための一族。フットワークも軽いでしょうし背後は安心ね)
さて、サンドローザ王女の婚約者のヒューレットはどうするのか?
彼は近衛騎士、つまり王家の直属の騎士だ。さすがに王都から離れたこの地で勝手な行動はできないはずだった。
だがヒューレットは青ざめた顔でとんでもない情報をもたらしてきた。
「先ほど、街を探索させていた部下が報告に戻ってきました。サンドローザ王女らしき人物がアヴァロン山脈に向かったところを目撃した複数の証言があったと」
「彼女、アルフォートを探しに飛び出してるんだけど……まさか、お父様とアルフォートまでアヴァロン山脈に?」
「私もあなたたちに同行することになりそうです。エステイア嬢」
(貧乏くじ引いたわね。ヒューレット君)
結果、エステイア、セドリック、カーティス、ヒューレットの四人で急遽アヴァロン山脈に登ることが決定した。
登山装備はパラディオ伯爵家の騎士団のものを使い、携帯食や水筒、野営用設備は手分けして持参する。
(お父様からの魔力ポーションも)
乙女ゲームでなら99個までは自動でストックできたがここは現実世界。
背負うリュックやウエストポーチなどに詰め込めるだけ詰めて持っていくことにした。
プリズム王国は大山脈のアヴァロン山脈で他国と隔てられている、少々閉鎖的な国として知られている。
もっとも悪いことでもない。古い時代からの魔法が現在でも生きていて、聖杯や聖珠など神話の時代から伝わるアイテムが今でも使われている。
(この国は人の心が乱れると瘴気を発する魔物が現れて、人々の目を覚まさせるシステムになってるのよね。瘴気を祓うアイテムの第一が聖杯)
建国の祖と言われる聖者アヴァロニスが聖杯、聖珠、聖剣をもって国土を切り開き、今のプリズム王国の基礎を作った。
聖珠は行方不明で、聖剣は古の時代に魔王の息子を討伐するのに使われてそのまま消失。
いまプリズム王国に残っているのは聖杯だけだ。
「なあ。あの黒ドラゴンが現れたってことは国が乱れた証拠だよな? いったいこの国に何が起こってるんだと思う?」
日暮れ近くなり、山道の途中の山小屋での休憩時にカーティスが訊ねてきた。
「それはやはり、国のトップの問題だろうな」
「国王陛下か、もしくは王妃様か」
とはいえエステイアは学園卒業後はパラディオ伯爵領から出ていないし、今の王都で何が起こっているかはわからなかった。
これは辺境伯令息のカーティスや隣国人のセドリックも同じだろう。
となると詳しいのは王女の婚約者で近衛騎士のヒューレットだが。
皆の視線を受けて躊躇いがちにヒューレットは口を開いた。
「近年、国王陛下と王妃殿下の仲が冷え込んでいるのは事実です。どちらも不貞などは犯しておられないようですが……」
ヒューレットは言葉を濁した。
一応、現国王夫妻は『真実の愛』で結ばれた建前があるから離婚はできないし、大っぴらに愛人も持てなかった。
だがそんな話はひとまず後回しだ。
「私たちの親世代が今の国王ご夫妻が中心となって若い頃に聖杯で瘴気を祓ってるはずでしょう? それから二十年と少し。いくら何でも次が来るには早すぎる」
「まあ状況から見たら、正しく聖杯を使えていなかったか、瘴気を完全には祓いきれてなかったってことなんだろな」
カーティスが集めた木の枝の山に火の魔法で着火した。防寒装備は用意してきたがさすがに標高が高くなってくると冷える。
「母から聞いた話だが、聖杯は真実の愛の持ち主でなければ起動しないと言われているそうだな? そして聖杯を使ったのは現国王夫妻と」
「ああ。当時王子だったアーサー国王と光の聖女リゼットの間に愛はなかった。そうなっちまうよなあ」
カーティスとセドリックが遠慮なく話す内容に、近衛騎士のヒューレットはやはり顔色が悪い。
それでも否定しないということは、彼もそう認識しているということだろう。
「状況から見るとそうなります。最初は愛があったけど、時間が経つにつれ愛が薄れた可能性もありますが」
プリズム王国では国の雰囲気は王族、特にトップの国王と王妃の在り方が左右する。
「ここだけの話にしてほしいんだけど。学園時代、サンドローザ王女が言ってたわ。『あのクソ両親たちに真実の愛なんてあるわけないわ。打算でしか動かないクソどもよ』」
王女が淑女にあるまじき悪態をついていた記憶がエステイアにある。
「真実の愛で結ばれた二人なのに? って聞いたの。でも、とっくに関係の凍えた仮面夫婦なんだって」
「でもよ、当時の国内を覆っていた瘴気が晴れたことは事実だろ?」
「ええ、近年の歴史書にもしっかり記されています」
ヒューレットは公爵家の人間だ。遠縁のエステイアより王家に近く、その分詳しい。
「聖杯を求める旅に参加したのは、主要メンバーだけでなく彼らの護衛たちも含めるとかなりの大人数だったそうです。推測ですが、その中に一人や二人、真実の愛持ちがいたとしても不思議じゃないです」
(一番モテてたのは正ヒロインで光の魔力持ちのロゼット様。サブヒロインのカタリナお母様も人気はあった。まあ攻略対象もなんだけど)
「それさあ。そもそも『真実の愛』ってなんなの? ふわっとし過ぎてない?」
「単純ですよ。聖杯が認定する真実の愛は、『自分に素直に誠実に人を愛すること』だそうです」
「んー。つまり?」
「誰かを好きって自分の気持ちをちゃんと受け止めて、大切にしてるってことじゃないでしょうか」
単純に、『誰かを本気で愛したこと』が乙女☆プリズム夢の王国の設定だった。
乙プリではその基準は、ヒロインたちはステータス画面か、日常フェイズのデフォルメされた攻略対象の頭の上に浮かぶハートの大きさと色で判断できた。
大きさの最大はサッカーボールぐらい。
色は白から始めて関係が冷え込むと青に、ホットになるにつれ暖色になってオレンジ、赤と続き、最終的に濃いピンクに変わる。完全に縁が切れるとブロークンハートでひび割れて真っ黒になり修復不可能になる。
(乙プリだと聖杯にスイッチが入る最低基準はオレンジだったな)
だからエステイアはヒューレットがもっと単純に『真実の愛』を捉えていることに驚いた。
「相手と想いが通じ合うことは条件にないのですか?」
「ええ。だから当時の探索メンバーの中に一人ぐらいいたんじゃないかって思います」
(でも、今こうして黒竜と瘴気被害があるってことは、その誰かの愛は聖杯が決めた真実の愛基準を満たしてなかったってことに)