この日はレックスは仕事が休みだったので、初めて3人で買い物に出掛けることにした。ララはドレスを買い揃えてる途中であったので、アリソンがララに新しいドレスを買ってあげたいと言い出したのだった。
「私、今まで買ってもらったもので十分です。そんなにたくさんあっても······」
 以前、いつも同じ簡易的なワンピースを来ていたララにとって、屋敷内でドレスで着飾るというのは違和感しかなかった。
「いや、買った方がいい。今日は俺が選ぶよ。」
「何を言ってるの?ララがドレスを選べないなら、私が選ぶに決まってるでしょう。」
「母さんはララを小さな女の子だと思ってるだろ?今持ってるドレスも、似合ってるけど年相応じゃないっていうか、淡い色とかフリフリしたやつばっかり。俺は他のも着てほしい。」
 親子の言い合いになり、ララは自分の服のことでケンカをするなど嬉しいなと思いながら笑っていた。
 端から見ると、髪の色が似ていることもあり、3人は本当の親子にしか見えなかった。衣装を選びに来た際、店員から
「娘さんはお母様やお兄様に似てお美しいですね。すごく素敵なご家族で羨ましいです。」と言われた。家族で外出すること、仲が良いと褒められることを夢にまで見たララにとっては、泣くほど嬉しい言葉だった。

 アリソンは淡いブルーのドレス、レックスは赤いドレスを選び、2つとも試着してみた。アリソンもレックスも、ララのドレス姿を見ると、「本当にかわいい」しか言葉が出ず、結果2着とも買うしかないと結論を出していた。
「あの·········私赤いドレスが欲しいです。1着で·······お願いします。」
 ララはどちらも気に入ったのだが、赤いドレスに黒い手袋をすると、なんだかツマグロヒョウモンみたいだなと思い、こちらの方が気に入ってしまった。
 ララが何かを選ぶことは珍しかったので、意見を尊重したいと今回は一着だけ買うことにした。
「このドレスなら大人っぽいし、今度の祝賀パーティーの時着ていけるんじゃない?私は王様の横に付くことになるから、レックスはララをエスコートしてあげてね。」
 パーティーという単語を聞いたララは、恐怖で身がすくんでしまった。
「パ、パーティー?それは、食事がたくさん出てきて、みんながお話したり、ダンスを踊ったりする·····あれのことですか?」
「そうよ!ララははじめてかしら。何も心配しなくていい。パーティー中はレックスに付いていればいいし、ダンスは少し練習しておけば適当で大丈夫よ。私も下手だし。」
 ララにはその『適当』が難しいのだ。何かをやらかす自分を想像してしまい、ララは顔が青くなっていると、レックスに手を握られた。
「ララ、大丈夫だよ。帰ってダンスの練習をしてみよう。誰でも初めては怖いさ。」
「·········はい、兄さん─────」
 幾分気分がマシになり、ドレスを買い終えたので店を出ようとしていた時だった。店内に入ってきた客を見て、ララは驚いてしまった。

 ダリアとディアンだ。

 ララはとっさにレックスの後ろに隠れ下を向いたが、アリソンが向こうに気づき、声をかけてしまった。
「ディアン王子!ダリア様、お久しぶりです。奇遇ですね。」
 ダリアはにこやかにアリソンに挨拶を還した後、後ろにいるレックスにも礼をし、後ろに隠れているララに気付き、一瞬顔が固まった。ダリアはそのままアリソンと雑談を始めた。ララには話しかけてくることはなく、ここではあえて無視すると決め込んだようだった。
 ディアンはレックスの方へ歩いてきた。お互い会うのは一年ぶりだったようで、久しぶりと言いながら儀礼的に握手をした。ララは、ディアンと会うのはファーレン家で連れ出された時以来だったので、何と言えば良いか分からず顔が見られなかった。兄弟で再会しているのに、自分は場違いな気がして気後れしたし、レックスがいる前でディアンにあの時のことを礼を言うのもなんだか変な感じがして躊躇われた。
「兄さん、ご結婚おめでとうございます。ダリア様のように美しく素晴らしい方に出会われて、本当に羨ましいです。」
 レックスはダリアのことをよく知らないが、儀礼的にこう言っておくのは普通だろう。好き勝手に恋愛をしているレックスが言うと嫌みに聞こえただろうか、などと考えていると、ディアンが口を開いた。
「レックス、ありがとう。元気そうで何よりだ。ところで········最近、離宮の方に帰ってるのか?しばらく外に出ていると聞いていたが───」
「はい。そろそろ落ち着こうと思いまして。少し前から屋敷に戻ってます。そうだ、今日はララも一緒にきていて───ララ、殿下にご挨拶は?」
 兄が妹に挨拶を促すような物言いに、ディアンは一瞬眉を寄せた。
「で、殿下·······お久しぶりです。────この前は、助けていただきありがとうございました。それと········その、ご結婚おめでとうございます。ずっと言えず、すみませんでした······!」
 あまりのララの動揺ぶりを、レックスは不審に思った。
「なんだよ。殿下だから緊張してるのか?高貴な人だけど、俺の兄上だし優しい方だから心配するな。─────お邪魔しました兄さん、それでは、ダリア様とごゆっくり!」
 2人でよろしくやれよというような意味を込めて、レックスは満面の笑みをディアンに向けると、ララの手を引いてディアンの横をすり抜けていった。すれ違いざま、ララとディアンは一瞬目があったが、ララはそのままレックスに連れられ店を出ていった。

 カランカランと扉が閉まり、ディアンは無表情で扉の方を見ていた。そして、ダリアが明らかに不機嫌そうにディアンに近付いてきた。

「殿下。お話があります。」
 ディアンはダリアをチラリと見て、「どうした?」と問い掛けた。
「前に、殿下とアリソン様がララを屋敷から連れ出したことも、その後アリソン様の住む離宮であの娘が暮らしていることも知っています。そのことについて、私は何も言うつもりはありません。」
「ああ·········それで?」
「しかし、このように堂々と、まるでアリソン様の娘のように振る舞われては、私の立場というものがありません!ドレスを選んでいたということは、パーティーに来るつもりなのかもしれません。これ以上、私に恥をかけと仰るのですか!?アリソン様に、ララを屋敷から出さないよう言っていただけませんか?」
 ダリアのあまりの自分勝手な言い分に、さすがのディアンも我慢ならなくなった。
「ダリア。君は恥をかきたくないから、先程ララと対面したときも無視したんだろう?ララもそれを承知の上で、君には話しかけてこなかったじゃないか。君たちはもう知らないもの同士だ。周囲も誰もララと君が姉妹だと知る者はいない。それで何の不満がある?」
「········しかし!あの娘は恥さらしですよ!?公の場に出れば、何かしでかすに決まってます!!アリソン様もレックス様も恥をかくことになりますよ!?」
「ダリア。勘違いしないで欲しいんだが、恥さらしなのは君のご両親だ。実の娘を屋敷に隔離し、食事も与えず殺しかけただろ?これがどういうことか分かるか?アリソン様のお陰で穏便に事が済んでるんだ。」
「········殺しかけたなど大げさな·······!!」
「大げさじゃない。実際に痩せて衰弱していた。君は以前、『民衆の母になりたい』と言ったな。では、そんな君は妹への慈愛の心はないのか?」
「···················」
「貴族の家が複雑なことは分かっている。僕だって、思い通りにならないことばかりだ。ダリア、君は名家に産まれてしまった故の被害者だと思っていた。しかし、ご両親に賛同して、不器用だからという理由で自ら妹に辛く当たっていたのなら、同罪じゃないか?」
「殿下··········私は─────」
 ダリアが涙をこぼすのを堪えているのに気付き、ディアンは言い過ぎたことを悔いた。
「··········この話しは終わろう。言い過ぎてすまないダリア。頭を冷やしたいから先に帰るよ。」
 ディアンはそう言うと、静かに店を出ていった。衣装選びどころではない事態に店員はおろおろしていた。
 ダリアは立ち尽くし、悔しさで叫びだしそうだった。ララは拳を固く握りしめ、店員にも聞こえないような声で呟いた。
「ララ········昔も今も、本当に目障りな子。」

 ◇

 一足先に王宮に帰ってきたディアンは、珍しく苛立っていた。
 苛立ちの原因は、衣装店で会ったレックスだった。
 レックスは義弟であるものの、ディアンとは真逆の性格をしている人物だった。同じ学園に通っていたが、常に噂に事欠かなかった。見かける度に女性が変わる印象で、しかも華やかで目立つ女の子ばかりだった。何故か教師には気に入られていて、遅刻をしたり、授業にこなかったりする割に、いつも成績は上位だった。とにかくディアンの中で、レックスは悪い人間ではないが、遊びにも恋愛にも奔放でだらしがないという印象だった。

 そんなレックスがララと一緒に暮らしているなど、考えたくもないことだ。レックスの好みとララはかけ離れているので、何事も起こらないとは思うが、年上の女性といるのを見かけたことがあるし、恋愛対象の守備範囲が広いのかもしれない。
 先程のララへの可愛がり方も気に食わなかった。ララとは最近知り合ったばかりのくせに、まるで本当の兄のように振る舞っていることに腹が立っていた。
 (あいつは家を出ていると聞いて安心していたのに······最悪だ。)
 今度はまた別の悩みの種ができてしまい、ディアンは頭を抱えた。

 それから、ララは祝賀会のパーティーに向けて、ダンスの練習をすることになった。はじめはアリソンも一緒に練習を見ていたのだが、ダンスが初めてのララに対して
「そこはもう少し早く」「そこは丁寧に」などとストップをかけることが多かった為、レックスはアリソンに苦言を呈した。
「母さん!ララは初めてなんだから、まずは楽しく踊ることを覚えないと。細かいところは後からでいいんだよ!まったく自分はダンス下手なくせに口ばっかり出して······」
「な、何よ!だって見てるとつい·····昔の自分を見ているようで気になってしまうのよ。私は先生に厳しく教えられたから───」
「はぁ····昔と今は違うし、母さんとララも違うだろ。だったら、今後は母さんが見ていないところで練習するよ。その方がお互いにいいだろ。」
 アリソンは確かにそれがいいとしぶしぶ了承し、それからはララとレックス2人きりで練習をするようになった。
 ララはまず、ヒールのある靴を今までに履いたことがなかったので、靴に慣れることすら苦労した。しかし、リズム感は悪くなかったので、何度か練習するうちに、レックスの足を踏むこともなくなった。
「うまいじゃんララ。母さんより素質あるよ。相手に身を任せて、動きを合わせてればいいんだ。細かいところは実はそんなに見られてない。誰も目の前の相手にしか興味ないさ。」
 レックスの言葉に気が楽になった。ララは褒められて嬉しくなり、次第にこのダンスの練習の時間が好きになっていた。

 一方、レックスはというと、内心心穏やかではいられなかった。
 ララは練習を重ねる度に、固かった表情がリラックスし、楽しそうに踊ってくれるようになった。至近距離で見るララの笑顔は破壊力があり、純情でもないレックスが柄にもなく、恥ずかしくて目を合わせられなくなった。おまけに、ダンスの練習の際、手を繋ぎ体を密着させているせいか、ララはレックスに対して普段も距離が近くなっていた。常にベタベタしてくるわけではないが、ふとした時に突然、背中にもたれかかってきたり、腕を絡ませたりしてきた。ララは精神年齢は幼いが、身体的には普通の女性と変わらなかったので、その度に一瞬理性が飛びそうになり大変だった。
 しかし、これはアリソンに対しても同じような感じだったので、ララなりの愛情表現の一種なのだろう。赤の他人とはいっても、仮にも慕ってくれる妹に邪な気持ちを抱いてしまい、申し訳ない気持ちになっていた。

 その日は、外が暖かく気持ちがいいので、レックスは庭園のベンチに座り本を読んでいた。そこへララがやってきて、構って欲しいのか隣に腰をおろした。
「··············兄さん、何読んでるの?」
「────小説。」
 本当は、『自分の感情を相手に悟らせない方法』という実用書を読んでいた。ララが隣に来たときから感情が波打だし、この本にはどうすればいいと書いてあったっけ、などと考えながら冷静を装った。
「そうなんだ。じゃあ、私はお昼寝しようかな。」
 嫌な予感がしたが、ララはよいしょと言いながらベンチに横になり、レックスの膝の上に頭を乗せた。
 さすがにこの体制はまずいと思い、ララの肩を掴み、体を起こさせた。
「········ララ、こういうのはちょっと。母さんにはしていいけど、男と女だったら普通しないんだ。兄妹だとしても······」
「そうなの·······?ごめんなさい、困らせちゃって。昔、お友達としたことがあって。笑ってくれてたから、していいことなのかと思ったの。」
 ララにそのような距離の近い友達がいたことが意外だった。言い方的に、きっと男子なのだろう。子どもの時のことであるのに、その友達とやらに嫉妬心を抱いてしまう自分が馬鹿らしくなった。
 その時、以前ララに見せてもらった絵のことを思い出した。ララと男の子が2人で仲良く本を読んでいる絵。他の絵に比べて妙に具体的だったのは、想像ではなく実体験だったからだろうかと思い当たった。
「それって、あの絵の·····?絵本の王子様なのかと思ってたけど、お友達だったんだ?」
 ララははっとし、顔を赤くし下を向いた。その反応を見る限り、初恋の相手だったのだろうか。絵に描いたり、『王子様』と言う辺り、きっとララにとって特別なのだろう。レックスはひどく嫌な気分になってしまった。
「あぁ、うん。今はお友達じゃないけど······王子様なのは本当。」
 ララはきっと『王子』と呼ばれる人は数多くいると思っているのだろう。理解していないのだと思うが、この国で王子と呼ばれるのは、国王と直系の子どもだけだ。側室の子も含めれば複数人いるが、ララと面識がありそうな王子といえば、自分以外には一人しかいない。
「ディアン王子?」
 ララは言い当てられるとは思っていなかったのか、ひどく驚いてレックスを見た。
「──え、え?········兄さんどうして分かったの?」
「分かるさ。ララの屋敷に昔から出入りしてる黒髪の王子って、ディアンしかいない。」
 思えば、アリソンの妄言に加担し、ララを屋敷から連れ出すという強行手段に出たのもおかしいと思っていた。妻のダリアの妹なのだから、そんなことをすれば夫婦の関係は悪くなるだろうにそうしたのは、元々ララに対して特別な感情があったからだろう。
 この前衣装店で会った時も、レックスが屋敷に戻ったのかどうかを気にしていた。要するに、ララの近くに男を近付けるのが嫌だったのだろう。
 思春期のように一人で熱に浮かれていたレックスは、冷や水を頭からかけられたような気分になった。
「ララ、少し疲れたから部屋に戻るよ。」
 レックスはぶっきらぼうにそう言うと、ララを残して自室に戻った。

 それから、夕食の時もレックスは普段のようにララに話しかけず、目を見ることもなかった。ララもレックスの態度には気づいていて、きっと自分が何か気に触ることをしたのだと思っていた。しかし、どの部分に怒っているのか見当がつかず、謝ることもできなかった。2人のよそよそしい雰囲気を見たアリソンは、
「ちょっと何よ、初めての兄妹喧嘩?というよりレックスが勝手に怒ってるわね。大人げないわよ。何があったか知らないけど、許してあげなさい。パーティーは明日なのよ?仲直りして。」
「違う。怒ってるんじゃない。·········少し放っておいてくれ。」
 レックスはそう言うと、椅子から立ち上がり食堂を出ていった。

 夕食が終わり少し経った頃、屋敷に訪問者が来た。こんな時間にどなたかしらとアリソンは不思議に思った。貴族であれば、事前に約束を取り付けることがほとんどだし、こんな遅い時間にやってくるのは、よほど急用の場合に限るからだ。
 しかし、訪問者がやってきた理由は急用でもなんでもなかった。
「初めましてアリソン様。レックスはいますか?私はアネッサといいます。」
 アネッサは豊満な体つきの美女で、スタイルが良く堂々としていた。貴族ではない雰囲気であったが、貴族令嬢に引けをとらないほど魅力的な女性だった。
 アリソンは突然の訪問に面食らってしまったが、せっかく来てくれたのにお引き取りいただくのも悪いと思い、とりあえず客間に通した。
 アリソンは急いでレックスを呼びに行った。
「レックス!!アネッサって女性があなたを訪ねてきてる!早く来て!」
「アネッサ!?なんでまた急に·········」
「知らないわよ!どういう関係の人なの····?」
「元彼女だよ。一緒に住んでたけど、浮気を疑われてケンカ別れした。」
「············はぁ。あなたって本当に揉めごとばかり持ち帰ってくるわね。とにかく、さっさと話して帰ってもらって!落ち着かないわ。」
 2年付き合い、それなりに本気になった相手であったが、ここ最近アネッサのことを思い出すことはなくなっていた。
 客間に現れたレックスを見ると、アネッサは笑顔になり、勢い良くレックスに抱き付いた。その場にはアリソンもいたのだが、アネッサのなんとも大胆な行動にアリソンは眉を寄せた。
 ドアの影から様子を伺っていたララは、『女性の塊』のようなアネッサに見とれてしまった。あんな素敵な女性と付き合っていた兄は、きっとすごくモテる人なんだろう。ララに優しくしてくれるが、やはりここの人達はララとは住む世界が違うのだと感じ、少し気後れした。かつて、ディアンを異性として意識し、あまりに自分とは違う存在であることを自覚し、普通に接することができなくなったことを思い出した。
「アネッサ、いきなりどうしたんだ??」
 アネッサをやっとのことで引き離したレックスは単刀直入に聞いた。
「謝りたくて来たのよ。この前は·······本当にごめんなさい!あなたを疑ってしまって。まさか、本当に出ていくなんて思わなかったのよ。すぐに戻ってくると思ってた。」
「いや、そんな今さらもういいよ。俺たち別れたんだし··········」
「別れたくないわ!!私もうあなたを疑ったりしない!愛してるの。お願い戻ってきて。」
 涙ながらに復縁を迫るアネッサの積極性に、アリソンは脱帽してしまった。貴族の女性であれば、本音でそう思っていたとしても言葉には出さない。女性から気持ちを伝えたり、追い縋ったりすることは恥だとされているからだ。
「ねぇ········お取り込み中悪いけど、そういった話はまた後日にしてくれない?明日は大事なパーティーがあるのよ。朝も早いし·····」
 アリソンの「パーティー」という言葉にアネッサは反応した。
「あら。明日パーティーがあるんですか?もしかして貴族が集まる祝賀会かしら?確か、パートナーであれば身分関係なく参加できるのよね?レックス、私行ってみたいわ!」
 突然のアネッサのパーティー参加への申し立てに、アリソンもレックスも驚いた。
「い、いえ、あなた何言ってるの?レックスは妹と参加する予定なの。それに、突然前日にパートナーとして参加したいだなんてちょっと非常識じゃ······」
 アリソンがそう言いかけた時、アネッサはドアの外に隠れていたララに気づき、声をかけてきた。
「そこにいるのは妹さん?お話したいわ。こっちに来て!」
 突然名前を呼ばれたララはビクっとし、逃げるわけにもいかずゆっくりと扉から顔を出した。
「まぁ可愛らしい妹さんね。でも、男女だったら普通恋人と行かない?レックスは有名人でしょ?レックスの仕事仲間から聞いたけど、妹さんとは血が繋がってないって聞いてる。王子と一緒にいる女の子は誰だ!って悪目立ちしちゃうわよ。」
 そう言われればその通りなのだが、パーティー前日にナイーブになっているララにはきつい言葉だった。自分が笑われるのはいいが、アリソンやレックスが笑われるのは耐えられなかった。
「アネッサ、もう帰れ。君とはパーティーには行かないし、やり直すつもりもない。」
「レックス·······考え直して!」
 なおも押し問答している彼らを見て、ララは思い切って声を上げた。
「───────あの!!」
「私のことは気にせず、兄さんはアネッサさんと、パーティーに行ってください。」
 元々、レックスを怒らせてしまったと思っていたララは、そんな中で、こんなに素敵な女性を断ってまで自分をパートナーにすることにこだわらないで欲しかった。兄は兄と相応しい人と参加するべきだ。
「················ララ。」
 レックスは暗い表情をしてララを見たが、ララは下を向いて両手を握りしめていた。
「ララは、俺がアネッサと行った方がいいと思ってる?」
「────はい。その方が、いいと思います。」
 ララがそう答えると、レックスは諦めたように頷いた。
「そうか。分かった。じゃあ、明日はアネッサと祝賀会に参加するよ。母さん、もう遅いから、アネッサを泊めてもいい?ドレスは急遽だからないけど·······母さんのならサイズも合うだろ。アネッサ、それでいい?」
「ええ!もちろんよ。レックスありがとう。大好きよ。」
 黙って聞いていたアリソンが憤然として怒り出した。
「全然良くないわよ!!レックス、その子と行ったら許さないわよ!!ドレスもかさない!その女をすぐに屋敷から出して!!」
 アリソンの叫びも虚しく、アネッサは聞こえないふりをしてレックスの腕にしがみついた。レックスは「行こう」と言い、アネッサを連れて部屋を出ていってしまった。
「·········信じられない!ララを一人で行かせるつもりなの?······」
 涙目になっているアリソンを見ると、自分のせいで失望させてしまった気がして、ララはいても立ってもいられなくなった。
「お母様·········違うんです。私が、自分に自信がないんです。兄さんを責めないでください。」
「···········ララ·······」
「何か失敗したらと思うと、足がすくむんです。誰かに話しかけられた時に、おかしなことを言ってお母様や兄さんが笑われたらと思うと泣きたくなるんです。だから、アネッサさんが来てくれて、今ほっとしてます。········期待に応えられなくて、ごめんなさい。」
「そうだったの······ララ、私こそごめんなさい。無理をさせてしまって。」
「いえ!ダンスの練習は······楽しかったんです。だから、早く兄さんと仲直りしたいです。」
 ララがそういうと、アリソンは笑ってララの頭を撫でてくれた。
「じゃあ、ララはパーティーには参加してくれる?あなたが来ないのは悲しすぎる。私の知り合いに、壮年で、奥さんを亡くして独り身の男性がいるの。パートナーはいらないと言ってた。とても面倒見のいい人だから、あなたのことを話しておくわね。その人の隣で食事をしたり、好きに音楽を聞いたりすればいい。帰りたくなったら帰れるようにしておくわ。」
「はい。ありがとうございます。」

 ララは自室へ戻ろうと廊下を歩いていた。途中、客室の中からアネッサの笑い声が聞こえた。なんとなく聞きたくなかったララは、耳を塞いで、走って自室まで戻った。

 ◇

 アネッサを客室まで連れてきたレックスは、「じゃあまた明日。お休み」と言い、部屋に戻ろうとした。
 アネッサは部屋を出ようとするレックスに抱きつくと、強引に唇を重ねた。
「レックス·····会いたかったわ。久しぶりだし、あなたとしたい。」
 かつて、アネッサのこの強引さも、自信満々な言動も好きだった。この体を目の前にして、誘われて断ったことなど一度もない。
 それなのに、今は、彼女を見ても触れても何も心を動かされなかった。ララの傷ついた顔だけが頭に浮かび、パートナーを断られたこともショックだった。かつての、派手で気が強い美女が好きな、直情的な自分に戻りたい気もするが、もはや戻れなくなっていた。
「アネッサ、悪いけど気分じゃないんだ。じゃあな。」
「···········何よ!」
 男に断られたことなどないであろうアネッサは、ひどく悔しそうにしていたが、レックスは彼女の方を見ずにさっと部屋の扉を閉めた。



 翌日、ドレスに着替え終えたララは、鏡で自分の姿を見た。今日は、侍女達がいつになく張り切って身支度を手伝ってくれた。いつも下ろしているふわふわの巻き髪は、今日は結い上げているのでいつもと印象が違う。普段は着けないアクセサリーはなんだか重かったし、化粧をしてもらうと、自分ではないような気がして違和感があった。ララには、自分の美醜が分からず、『似合ってないのではないか』と心配になってきた。

 アリソンとレックス、アネッサは既に準備を終え一階で待っていた。ララが2階から現れ、階段を降りてくると、皆一瞬シーンと静まり返った。ララに注目しているのが分かり、やはり自分は変なのだと泣きたくなってきた。
「あの·········お待たせしました······」
 消え入りそうな声でララが呟くと、アリシアが感激したように声を上げた。
「ララ、あなたって本当に可愛いわ。可愛いというか、綺麗ね。あなたの元お姉さんよりずっと美人よ。」
 ダリアより美人などありえないのに、褒めてくれるアリソンの心が嬉しかった。
 レックスは何も言わず、ただ呆けたようにララを見ていた。すると、アリシアから肘で脇腹を小突かれ、ハッと我に返った様子だった。
「全く······妹に見惚れてどうするのよ。本当に馬鹿ね。」
 レックスの隣にいたアネッサは、黒いロングドレスを着ていた。アリソンのものではあるが、本来の着方よりも体のラインが強調され、さらに魅力的に見えた。アネッサはララを見ると、面白くなさそうな顔をし、レックスの腕に手を回した。レックスが、アネッサよりもララの姿に見惚れていた為気に触ったのだろう。アリシアはそんな様子を見て、いい気味だとほくそえんだ。

 馬車で移動し、ララは初めて王宮のパーティー会場に足を踏み入れた。もう既に人が多く集まっており、アリソンの後ろに隠れていた。パーティーが始まる頃には、アリシアは国王と王妃の隣にある側室用の席につかねばならず、ララは一段と心細くなった。幸い、アリソンの知り合いだという独り身の50代の男性はとても親切で、ララが周囲に話しかけられないよう常に一緒にいてくれた。

 途中、ディアンとダリア夫妻が2階から登場し、拍手が巻き起こった。2人は本当にお似合いで、ララは自分は関係がないのに何故か誇らしくなった。ララが2人を見ながら笑顔で拍手していると、遠くからレックスがこちらを見ていることに気がついた。どうかしたのかと思い、ララもレックスを見つめ返すと、彼はあわてて目を反らした。

 ダンスの音楽が流れはじめ、ララは急に居心地が悪くなった。兄とあんなに何度も練習したのに、何も意味を成さなかったという少し残念な気持ちと、ララ自身がそう望んだはずなのに、レックスとアネッサが仲睦まじそうに寄り添っているのを見ると胸がチクッと痛くなるのだ。
 ダリアとディアンはさすがという感じで、踊っている間も周囲の注目の的だった。次の曲は、パートナー以外の女性と踊ることができるので、ダリアはさぞかし男性からお声がかかることだろう。
 ララは扉を開け、会場の外にでた。中庭に出られるようになっていて、ララは会場から流れる音楽を聴きながら、一人夜風に当たっていた。
 曲が変わりしばらくすると、後ろから声をかけられた。
「ララ。」
 振り向くと、そこには何故かディアンおり、ゆっくりとララの方へ近付いてきた。
「!!殿下········あ、ダリア様は·····」
「ダリアは人気者だから、今は代わる代わる色んな殿方と踊ってる。僕は少し疲れたから、外の空気を吸いたくて来たんだ。」
「そうですか。では、私は失礼しますね!」
 邪魔をしては悪いと思い、ララはいそいそと立ち去ろうとした。その時腕を掴まれ、ララはディアンに引き留められた。
「ララ、そんなに逃げなくても。久しぶりだし少し話さないか?」
「え?·········あぁはい───」
 話そうと言われても、ララは緊張して何を話せば良いのか分からなくなった。昔はあんなに遊んでいたのに、ララは彼に何を話していたんだろうか。能天気だった自分が羨ましくなった。
「今日はいつもと違うんだね······すごく綺麗だ。」
 まさかのディアンに褒められ、ララは嬉しかったが、とても恥ずかしくなり赤面した。
「なんだっけ、あの虫。君と最初に会ったときに見せてくれた·········」
「ツマグロヒョウモンですか?」
「そう!そのドレスを見ると、そのツマグロなんとかを思い出すよ。って褒め言葉じゃないよな。すまない、なんだか懐かしくて·······」
「いえ!嬉しいです。実は私も、ツマグロに色が似てるなと思ってこのドレスを買ってもらいました!」
 ディアンがララと同じことを考えていると分かり、ララはすごく嬉しかった。長らくまともに話せていなかったが、やはり話すとあの頃の感覚がよみがえった。
「今日はレックスと来るかと思ってたよ。」
「あぁ、はい、そのつもりだったんですけど、私自信がなくなってしまって····ダンスの練習までしたのに、馬鹿みたいですよね。」
「────練習したんだ。良ければ踊ってみる?誰も見てないし。」
「え!?殿下とですか·········?いえ、そんな私となんて··········」
「ララ。こういう時は、断らないのがマナーだよ。」
 ディアンはイタズラっぽく笑うと、ララの手を取り一歩前に出た。
 ディアンと踊る機会など、この先二度と訪れないだろう。そう考えたララは、ディアンの動きに合わせステップを踏み出した。ディアンは上手かったので、レックスのいう通り、ディアンの動きに身を任せていると以外にスムーズに踊ることができた。
「上手だよララ。········たくさん練習したんだね。」
「あ········はい。兄さんが手伝ってくれました。」
「ララとダンスの練習に付き合えるなんて役得だな。羨ましいよ。」
『役得』の意味は分からなかったが、自分と踊ることが羨ましいわけはないので、ララは乾いた笑いが出た。こんなに顔が近いことは子どもの時以来だ。ディアンが至近距離でじっと目を見てきたので、ララは目を逸らせなくなってしまった。
「昔を思い出すよ。」
「え?」
「あの秘密基地で········この距離で君が近くにいて、僕はすごくドキドキしたんだ。じっとララを見つめていたけど、君は本ばかり見ていて全く目が合わなかった。」
「·······殿下は私を見ていたんですか?何故───」
 答えを聞きたいような、聞きたくないような気持ちがして、ララの鼓動はディアンに聞こえそうなほどに鳴っていた。
「何故ってそれは·······あの時僕は君のことが───」
 ディアンがいいかけたその時、はっきりとした声で名を呼ばれた。
「ララ!」
 振り向くとレックスが一人で立っており、こちらに近付いてくるのが見えた。
「あぁ、兄さんも一緒でしたか。お取り込み中すみません、ララ。母さんはまだ遅くなるから、俺達は先に帰ろう。」
「え?じゃあ、アネッサさんも一緒に·····」
「アネッサは一緒に帰らない。2人だけだ。外で馬車を待たせてあるから行こう。」
「あぁ·······はい。」
 ララはディアンに握られていた両手をそっと離そうとしたが、ディアンは手の力を緩めようとせず、再びぎゅっと握られた。
「········レックス。僕はララと踊ってたんだ。何故途中で話しかける?もう少し待てなかったのか?」
「すみません、こんな人気のないところで2人きりでいたら、あらぬ誤解を生むかと思いまして。」
「はは!性に奔放な君に心配されるとは思ってなかった。ご忠告ありがとう。」
 端から見れば、男2人の嫌味の応酬なのだが、ララには兄弟の普通の会話にしか聞こえなかった。
「殿下········それでは、私行きます。」
「ああ。今日はありがとうララ。楽しかったよ。」
 今度はすんなり手を離してくれたので、ララは一礼してレックスと共に馬車の待つ入り口付近へ向かった。
 途中、人気のない控え室に、アネッサと男性が笑いながら入っていくのが見えた。ララは見間違いかと思い二度見してしまった。
「え·········兄さん、今の人達────」
「ああ。アネッサはお楽しみ中だ。」
 (どういうことだろう。アネッサさんは兄さんと来たのに、他の男性とお楽しみ中??)
『お楽しみ』がなんなのか、ララにはよく分からなかったが、兄は平然としているのでそれ以上聞くのを止めた。

 馬車に乗ると、しばしの沈黙が流れた。兄はまだ怒っているだろうか。ララは上目遣いでレックスの顔を盗み見た。
「ララ」
 突然名前を呼ばれ、ララはビクッとした。
「··········はい、兄さん。」
「なんであんなところにいたんだ?人気のないところで、男性と2人きりになるのは良くない。危ないだろ。」
「············ ごめんなさい。」
 ディアン王子に限って、ララの嫌がることをしてくるなどあり得ないことだと思ったし、ダンスは断らないのがマナーだと言われた。しかし、兄の言う通り、他の見知らぬ男性だったら危なかったかもしれないとララは反省した。
「ところで兄さん、アネッサさんに振られたんですか?」
「··········ああ。」
「·········───フフっ」
 パートナーに振られて妹と帰る兄が格好悪く感じ、ララは思わず笑ってしまった。

 実際は振られたのではなく、レックスがアネッサに放った言葉によって、アネッサの逆鱗に触れ、腹いせに他の言い寄ってきた貴族の男に乗り換えた、というのが真実であった。
 バーティー中、どこか上の空でララの姿ばかりを目で追っていたレックスに対し、アネッサは苛ついていた。
「ねぇ。あなたが結婚したがらなかった理由が分かったわ。」
「··················?」
「妹さんのせいでしょ?妹が障がい者だから、私に見せたくなかったんだ。でも安心して、私、そういう類いの人に偏見はないわ。上手くやっていける。」
 ララを馬鹿にされたと感じたレックスは、とうとうアネッサに対し我慢ならなくなった。
「ララが障がい者??お前の方がよっぽど話ができないし頭悪いだろ。そんなに玉の輿に乗りたきゃな、この会場にいる貴族の男でも引っ掛けてこいよ。きっとたくさん釣れるぞ。」
「···············あんた最低!!!」
 アネッサは持っていたグラスワインをレックスに思い切りかけると、先程声をかけてきた男の元へ行ってしまった。

「兄さんがどうせ振られるなら、最初から私と踊れば良かったね。········ちょっと寂しかった。」
 その言葉を聞いたレックスも笑い出した為、もう兄は怒ってないのだと思い、ララは胸を撫で下ろした。
「···········なんだよ!それなら、最初から『アネッサとは行って欲しくない』って言えばいいだろ?」
「だって!あの人怖いんだもん······───兄さん、私さっきから気分悪いかも。」
 気持ちが緩んだことで、今まで耐えていた気持ち悪さが強くなってしまった。緊張していたことと、ドレスがきつかったのでずっと息苦しかったのだ。顔が青くなっているララを見て、レックスは焦り始めた。
「ララ大丈夫か?」
「あの········背中のファスナーを下げてくれない?自分じゃ届かなくて────」
 レックスはしばらくためらったが、意を決したように、ゆっくりと背中のファスナーを下げてくれた。
 胸元が緩まり、息が上手く吸えるようになった。前が下がらないよう押さえてはいたが、背中は丸出しだしひどい格好だった。すぐにレックスがジャケットを肩にかけてくれた。
「兄さんありがとう。·········少し横になってもいい?」
「········あ、ああ!いいよ。」
 今度は断られなかったなどと思いながら、ララは兄の膝に頭を乗せた。
 馬車の揺れと、兄の体温が心地良く、屋敷に着く頃にはララは寝てしまっていた。


 馬車の中で眠っていたララは、レックスの声で起こされた。
「ララ。着いたぞ。まだ気分悪いか?」
 自分が寝てしまったことに気づいたララは、長時間兄の膝を借りてしまったことを申し訳なく思った。
「ううん。もう良くなった。───ごめんなさい!私重かったでしょ?·····」
「いや全然。気にするな。」
 ララの寝顔を見たり、髪を撫でたりしていたレックスにとっては至福の時間だった為、謝られるどころかむしろ感謝したいくらいだった。

 屋敷に戻った2人は、着替えと入浴を済ませ、それぞれの自室でゆっくりしていた。
 ララは、前にアリソンからもらったオルゴールを開けたり閉めたりしていた。蓋を開けるとかわいらしい音楽が流れ、男の子と女の子の人形がくるくると踊り出すのがなんとも可愛らしく、お気に入りだった。
「あっ····いいこと思い付いた!」
 ララはオルゴールを抱え、レックスの部屋をノックした。

「兄さん、入ってもいい?」
 中から声がしたので、ララは扉からひょこっと顔を出した。
 レックスは就寝前に、一人で酒を飲んでいたようだった。ララが部屋に来ると思っていなかったレックスは少し驚いた様子だった。
「ララ。·········どうした?」
「これ見て。お母様からもらったの。」
 ララは、持ってきたオルゴールを見せ、蓋を開けた。ララがこのオルゴールを自慢しに来たのだと分かり、レックスは微笑んだ。
「いいものもらったな。綺麗な音だ。」
 ララは嬉しそうに笑い、レックスの手を取り引っ張った。
「···············ララ?」
「兄さん踊りましょ。さっき踊れなかったから。」
 オルゴールの音に合わせ、2人はゆっくりと踊った。誰も見ていないし、慣れないヒールも、きついドレスも着ていない。ララはリラックスしていた。
「私、踊るのが楽しいかと思ってたんだけど、違った。兄さんと踊るのが好きなだけだった。」
「俺と踊るのが?········それは嬉しいな。じゃあ、たまにこうして踊ろうか。2人だから、何も気にせず好きに踊るんだ。」
「うん!」
 ララは微笑み、レックスの胸に頭を預けてきた。
「·········兄さんの心臓の音聞こえる。」
「あ、ああ········酒飲んだからな。」
 2人はしばらくオルゴールを聞きながら静かに踊った。

 ◇

 翌朝、レックスとララが食堂に行くと、アリソンの姿がなかった。
「母さん───まさか朝帰りか?」
「朝帰り?どういう意味?」
「··········王様と『お楽しみ』だったってことさ。」
 昨日もアネッサが男性と『お楽しみ』だと聞いた。具体的に何をするのかよく分からなかったが、大人の男女がゲームで盛り上がるのが『お楽しみ』だとララの中では解釈した。

 食事をしている途中、アリソンが王宮から帰ってきた。何でもない顔をして席につくと、「きょうの朝食も美味しそうね。」などと言い食事をし始めた。
 聞くのも野暮だと思い、レックスは黙っていたが、ララは覚えたての単語を使いたくてしょうがなかった。
「お母様、昨日は王様と『お楽しみ』だったんですか?」
 アリソンは、飲んでいたスープが気管につまりそうになり、咳き込んだ。
「どこでそんな言葉を·······レックス!」
 アリソンは40半ばになるが、同年代の女性よりも若く美しかった。とても20を越える息子がいるようには見えず、未だに王妃よりも寵愛を受けていた。
「ごめんなさい·······!使ってはいけない言葉でしたか?ところで、前から気になっていたんですが、旦那様はどこにいらっしゃるんでしょうか?」
 ララの突然の質問に、アリソンとレックスは顔を見合わせた。
「───私の夫のこと?」
「はい。兄さんのお父様です!」
 ララは実のところ、アリソンが何者か分かっていなかった。ディアンから『側室』とは聞いていたので、高貴な身分だとは分かるが、『一夫多妻』は理解できていなかった。レックスがディアンのことを兄と呼ぶのは、ララがレックスのことを血が繋がらないのに『兄さん』と呼ぶことと同レベルのことだと考えていた。
「ララ、俺の父はこの国の王様だよ。母さんの夫は王様だ。王様は、この国で唯一側室を持てるんだ。意味分かるかな·······つまり、奥さんがたくさんいるんだよ。」
「·············奥さんがたくさん!?そ、そうですか······」
 ララからすれば、妻がたくさんいるというのは不誠実に思えたが、アリソンやレックスはそれを当然のように受け入れている。また、レックスは『高貴な家に産まれたが自由にしている息子』くらいに思っていたので、まさか本当の王子だとは思わず、今までの自分の振る舞いに恐怖を覚えた。
「兄さ···········で、殿下、大変失礼ばかりしてしまいました。お許しを··········」
 急に恐縮し出したララを見て、アリソンとレックスは困惑した。
「ララ、今まで通りにしてちょうだい。私達は何も変わらないわ。それに、レックスを見て。とても王子に見えないでしょう?誰だってそう思うわ。」
「そうだよララ!俺が『殿下』なんて呼ばれる柄に見えるか?今さら態度を変えられるのはすごく寂しい。」
 本当に身分の高い人は皆こうなのだろうか。ララが中等部に通っていた頃、クラスの中でははっきりと身分差が生じていた。ララは名もなき貧乏貴族だと周囲には思われていたので、『俺は~~家の息子だぞ!図が高いんだよ阿保女。』などとはっきり言うような生徒は珍しくなかった。
 ララは幼いながらに、『貴族の偉い人には頭を下げなければならない』という考えが染み付いていた。
「はい·········分かりました、お母様、兄さん。」
 ララはこう言ったが、表情は固いままで、アリソンとレックスはララの様子が心配になった。

 朝食を終え、ララが部屋にいるとレックスが訪ねてきた。
「ララ出掛けるぞ!連れていきたい場所があるんだ。」