レックス・オルレアンは、国王と側室アリソンの一人息子である。

正妃が王子ディアンを産んだ2ヶ月後に産まれた。母親似の美しい金髪と整った容姿の赤子だった。側室との子どもだったこともあり、ディアンのように特別待遇を受けることはなかったが、幼い頃はそれなりに王子としての教育を施され、遊ぶ時間もないことがレックスは不満に思っていた。
 幸い、母親のアリソンは王族特有の封建的な考えの持ち主ではなかった為、レックスが12歳になる頃には親子で王宮を出て、離宮で暮らすようになった。

 レックスは政治には全く興味がなく、義兄のディアンのように面白くもない貴族令嬢と婚約するなどまっぴらごめんだった。ディアンはレックスからすると、いつもすかしているような印象で、何を考えているのか読めなかった。自分よりも頭が良く、優秀なことは間違いなかったが、羨んだり妬んだりする気持ちは全くなく、むしろがんじがらめにされて気の毒だと思っていた。

 思春期になると、レックスは学友達と外に遊びに出かけたり、自由に恋愛をするようになった。王族ということもあってか、レックスの周りには男女問わず、常に人が群がっていた。レックスは好奇心旺盛な性格であったので、面白そうだと思えば友達になるし、好みの女性であれば本能に任せて寝ることもあった。
 深い関係になった女の子は皆、口を揃えてレックスの住む屋敷へ来たがった。特に断る理由もないので、何度か彼女達を離宮へ連れていったことがある。屋敷には母のアリソンがおり、にこやかに挨拶をしては、豪華なお菓子や紅茶でもてなした。
 しかし、女の子が帰ってしまってから、アリソンは必ずといっていいほどレックスに小言を言うのだ。
「レックス、あなたって本当に女性を見る目がないのね。みんな美人でスタイルがいいけど、すごく気が強いわ。あなたが好きなんじゃなくて、あなたの妻という立場に興味があるみたいだったわよ。」
 レックスは面白くなさそうな顔をし、アリソンに言い返した。
「美人で気が強いなんて最高だろ?俺は、誰かさんのように気弱で儚げで、男の言いなりになるような女は好きじゃないんだ。自分の人生なのに、逆らえずに流されて欲しくないんだよ。」
「·········なんですって!?それは私のことを言ってるの?」
「───別にそうじゃない。とにかく、俺は貴族令嬢なんかには興味ないんだよ。結婚はしたかったらするさ。」
 アリソンとレックスはよく言い合いをしたが、それは親子の仲が良い証拠だった。レックスは言い方は悪いが、母のことを尊敬していた。しかし、夫と子どもと離れ離れになってまで側室にさせられたということを知っていたので、王族や貴族というのは自分で言うのもなんだが、あまり好きではなかった。それに、平民の女の子は細かい建前や作法を気にせず、性に対しても奔放なので、レックスからすれば貴族令嬢よりもよっぽど一緒にいて面白かった。

 レックスが高等学校を卒業してからは、土地の売買や商品取引に興味が出始め、実践的な場に出て仕事をしたいということもあり、屋敷を出て住まいを転々としていた。
 仕事仲間の家に居候することもあれば、その時に付き合っている女性の家に泊めてもらうこともあった。

 仕事は軌道に乗り始め、仲間と本格的に事業拡大し、利益を出せるようになっていた。
 今付き合っているアネッサとは、もう2年の付き合いとなる。一緒に暮らしており、レックスは人生の中で最も居心地の良い女性だと感じていた。
 しかし、仕事から帰宅しヘトヘトのレックスを待っていたのは、アネッサからの渾身の平手打ちだった。

 バチンッ!!

 レックスは不意打ちで頬に食らった痛みによろけた後、ジンジンとする頬を擦りながらアネッサを睨んだ。
「··············いきなり何なんだ!?」
「自分の胸に手を当てて聞いてみたら??あんた、この前仕事仲間の彼女に手出したんだって?ナラって女よ!」
 レックスは曖昧な記憶を呼び起こした。ナラは、仕事先でよく顔を合わせていた、レックスの仕事仲間の彼女だ。仕事上付き合いがある為、愛想良く接したつもりだったのだが、それをナラが好意だと勘違いした。ナラも彼氏と別れるから、レックスもアネッサとは別れ付き合って欲しいなどと言うから、きっぱり断ったのだ。それを腹いせに、レックスから手を出されたなどと良い回っていたらしい。
「───アネッサ、それは勘違いだ。ナラを断ったのは俺の方で·······」
「何が勘違いよ!あんたがあの胸が大きい女を断るわけないでしょ!?」
 レックスは、アネッサから自分が誰とでも寝ると思われていることが心外だった。お互い合意の上であれば、その場限りの関係もありだとは思うが、レックスは複数の女性を同時に弄んだことはないし、そもそも誰でもいいわけではない。ただ、レックスの好みの女性や、レックスに集まってくる女性は、揃いも揃って気が強く嫉妬深いタイプが多かった。本人の知らぬところで、恋愛絡みのいざこざが起きてしまうということが度々あった。
「アネッサ······俺を信用してないのか?確かに俺はいい加減だけど、付き合っている時に不誠実なことをした覚えはないぞ。」
「────もううんざりよ。2年付き合ってるのに、結婚の話も出やしない。私のことなんかどうでもいいんでしょ。」
『結婚』という単語が出てきた瞬間、レックスは嫌気が差してしまった。
「アネッサ。周りの同年代で結婚してる奴らがいるか?貴族は家門を固めたいから早くから結婚するけど、事業をやってる俺や君はそんなに焦る必要は·······」
「あなたは貴族でしょ!?しかも王族よ!?何を迷う必要があるの!?」
「···········なぁ。俺が話をしなかったのは悪いけど、俺みたいなのでも、結婚するとなったらしがらみが多いんだよ。それにアネッサは······気に触ったら悪いけど平民だろ?周りから色々言われたり、我慢することも制限されることも多いんだ。だから、結婚することが必ずしもいいとは───」
「もういいわよ!!!」
 アネッサは部屋に飾ってあった輸入物の絵画を外し、思い切りレックスに投げつけた。寸前のところで避けたが、絵画は粉々にガラス部分が割れ、激しい音を立てて床に叩きつけられた。
 大きな音とは正反対に、気持ちが冷ややかになったレックスはため息をついてアネッサに言った。
「───分かった。じゃあ出てくよ。元気でなアネッサ。」
 レックスの終わりはいつも大体こんな感じだ。まだ20歳を過ぎたばかりだというのに、いつになったら結婚するんだと捲し立てられ、話し合いにならなかった。結局は、レックス自身と将来を共にしたいというよりも、『王族』というラベルのついたレックスが好きなのだろう。安易に結婚に踏み切れない理由はそこにあった。レックスは自由奔放なようでいて、人を信用しきれない疑り深い一面を持っていた。

 突然、今日寝泊まりする場所を失ったレックスは、とりあえず一度、母のいる屋敷に帰ることにした。アリシアはレックスがいつも長期屋敷を空けることに対して怒っていて、私のことが心配じゃないのか、親不孝な息子だと文句ばかり言っていた。
 久しぶりに母の様子が気になったレックスは、数ヵ月ぶりに離宮に足を踏み入れた。

 レックスが離宮の門をくぐった頃には月が真上まで出ていた。さすがに母も寝ているだろうと、静かに屋敷に入ろうと思ったのだが、外から2階のベランダに人影が見え、レックスは立ち止まり、目を凝らした。

 長くウェーブした髪が夜風になびいている。ほっそりとして色白の少女は、大人では着ないようなフリルのついたピンク色の夜着を着ていた。一瞬、妖精のように見えたが、そんなはずはないと自嘲した。
 レックスの目には、成熟が早い子どもにしか見えず、軽く手を振ってみた。少女はすぐに気付き、少し迷った後、微笑んで手を振り返してきた。
 レックスは何故か、柄にもなく気恥ずかしくなっていたところ、部屋の奥からアリシアが出てきた。
「········レックス!?あなたこんな時間に来たの!?本当に迷惑な········!ララ、風邪を引いてしまうわ。早く中に入って。さぁ。」
 アリシアは、レックスが聞いたことがないくらい優しい声で少女を部屋の中へ促した。そして、レックスの方を睨みながら叫んだ。
「早く中に入ってきなさい!この馬鹿息子!!!話は明日の朝よ!!」
 アリシアはベランダの窓を勢い良く閉め、カーテンをシャッと閉じた。

 それが、レックスとララの初めての出会いだった。

 自室で泥のように眠っていたレックスは、カーテンから差し込んだ朝の光で目が覚めた。目を開けると、不機嫌そうに腕を組んで立っている母のアリシアがいた。
「·········おはよう。母さん。」
「おはようじゃないわよ。突然真夜中に来て。どうせ、居候していた相手に追い出されたか、仲違いしたんでしょ?いつものことよ。」
 さすが母親というべきか、察しの良さにレックスは苦笑した。
「───そういえば、昨日の子は誰だ?」
「後で紹介するわ。きちんと顔洗って着替えてきてよね。変なことは言わないこと。いいわね。」
 すぐに答えない辺り、何か事情があるんだろう。不思議に思いながらも、支度をすませたレックスは食堂に顔を出した。
 既にアリシアと少女はにこやかに談笑しながら朝食を取っていた。
「·······おはようございます。」
「あら。来たわね。ララ、紹介するわ、私の一人息子のレックスよ。あなたより2歳年上のお兄さんね。いつもは屋敷にいないんだけど、一時帰宅してる。変わり者だから、驚かせちゃうこともあると思うけど·······しばらく仲良くしてやって。」
 ずいぶんな紹介だと思いながらも、レックスはにこやかに笑いながら「ララ、よろしく」と言い、手を差し出した。ララはきょとんとした顔をして、レックスの差し出された手を眺めていた。
「ララ、握手よ、握手。」
 アリシアに促され、はっとしたララは慌ててレックスの片手を力強く両手で握り返した。この子は何かがおかしいと感じつつも、レックスは笑顔で乗り切った。
「えーっと········それで母さん、ララはどういう経緯でここに───」
「ああ!そうだったわね。話すと長くなるから簡単に説明するわね。」
 アリシアが事情を説明している間、ララは全く話に入ってこず、食事に集中しているようで、丁寧にブドウの皮を剥いて食べていた。レックスは、自分のことを話している隣でこんなに真剣にブドウの皮を剥く人間を初めて見たので、母の話を聞きつつも、ララの様子を凝視してしまった。
「─────というわけなのよ。·······レックス、そんな怖い顔をしてララを見ないでくれる?」
「うん。大体分かった。母さん、ちょっと来てくれる?2人で話したいんだけど。」
 ブドウに集中しているララを食堂に残し、レックスはアリシアを別室に連れ出した。
 部屋に入るなり、レックスは真剣な顔をしてアリシアの手を取った。
「何よ。」
「母さん、悪かったよ。俺が屋敷を出ていって、そこまで追い詰められてると思わなかったんだ。さみしい思いをさせてごめん!」
「はぁ?」
「だって、赤の他人の子を自分の娘だと思い込んで強引に引き取って?家族ごっこをしてるなんて、頭がおかしいとしか思えないだろ?」
「········あなたはそう言うだろうと思ってた。端から見ておかしいのは承知の上よ。でも理屈じゃないの。これはお導きよ。失った娘が帰ってきたの。あなたには分からないわ。」
「母さんの娘さんなら俺も見たことあるけど········ララとは全く似てないよ。子どもの頃の姿と重ね合わせてるんだろ?彼女の境遇に同情してるのは分かるけど·····感情移入しすぎだ。目を覚まして。」
「レックス、悪いけど、私はララを一生見るつもりで引き取ったの。もう彼女は家族よ。あなたとは兄妹になる。仲良くできないなら、また屋敷を出たら?止めないわよ。」
「··························」
「それに、ララは赤の他人じゃない。ディアン王子の奥さんダリアの妹。つまり、ディアン王子はララの義兄でしょ?あなたとディアン王子は腹違いの兄弟なんだから、あなたとララも遠い親戚よ。」
 ほぼ赤の他人だと思うのだが、今のアリシアには何をいっても効かないだろうとレックスは思った。また、情緒不安定な母が心配になり、自分が側で支えてやらなければという謎の使命感に囚われた。
「·········そうか。分かったよ。もう何も言わない。ララとは仲良くするよう努力する。それで、ララはその······18歳だよな?上手い言い方が見つからないんだけど、精神的な障害が────」
「本当に言い方に気を付けなさいよ。障害というより、少し幼いだけよ。大人が取るようなコミュニケーションがまだ上手く取れないだけ。でも繊細な子よ。人を見ていないようで、顔色や雰囲気を感じ取ってる。あなたが彼女を疑ったり、内心馬鹿にしていれば相手にも伝わるわ。くれぐれも気を付けてね。」
 馬鹿にするつもりはないが、ララが無害を装って、娘を忘れられないアリシアの懐に入り込み、この屋敷を乗っ取ろうとしているのではないかという疑念は少なからずあった。ありとあらゆる方法で王族に近付こうとする輩はごまんといる。母には申し訳ないが、レックスはしばらくララを監視し、正体を暴いてやろうという心づもりでいた。

 食堂に戻ると、やっとブドウを食べ終えたララが満足げな表情をして2人を迎え入れた。
「おかえりなさい!」
「ララ、今朝のブドウはどうだった?」
「昨日のも美味しかったけど、今朝のブドウもすごく美味しかったです!」
 毎朝ブドウの皮剥きをしているのかと思いながら、レックスはララを改めてまじまじと見た。フワフワの栗色の巻き髪はボリュームがあり、触ると柔らかそうだった。華奢で色白で、薄いそばかすと潤んだ大きな目が印象的だ。貴族令嬢にも、平民の女の子にもいないような雰囲気で、どこか浮世離れしたような神秘的な感じがした。突然この子が目の前に現れ『神からのお導きだ』と心を奪われてしまった母の気持ちも分からなくはないなとレックスは思った。
「そうだ!ララ、レックスにあなたの描いた絵を見せてあげたら?すごく上手よ!私はちょっと出掛けるから、2人で仲良くしててね。」
 初日から2人っきりにはしないでほしかったのだが、兄妹で仲良くさせようという作戦なのだろうか?仕方がないと諦めたレックスはララに話しかけた。
「絵が得意なの?良ければ見せてほしい。」
 絵などさほど興味はなかったのだが、何か話すきっかけを作らなければララのことは探れないと思った。
 アリシアがいなくなった途端、ララはレックスに対してよそよそしい態度を取った。少し距離を開け、「こっちです。」と小さな声で呟くと、後ろをチラチラと見ながらララの部屋まで案内された。

 ララの部屋は、まるで小さな女の子の部屋だった。書きかけの画用紙が何枚か散乱していた。ベッドの中に大きな熊のぬいぐるみが寝かされていて、人間のように丁寧に毛布がかけられており、レックスは苦笑した。
 床に落ちていた画用紙を拾い上げ、描いた絵を見てみると、意外にもレックスが見たこともないくらい色鮮やかな味のある絵で驚いた。レックスは外国と絵画の取引をしており、日々多数の画家の絵を見慣れているが、ララの絵は、描写も細かくダイナミックで、常人には描けないような類いのものであった。ララの好きなブドウの絵だった。
「君、絵が上手いんだね。他のを見ても?」
 ララが小さく頷いたので、床に散らばっていた絵を広い集めてじっくりと見た。食べ物や風景の絵が多い中、一枚だけ人物が描かれた絵があった。
 大きな木の根本に子どもが2人入り込んで、仲良く本を読んでいる絵だ。これだけ妙に描写が細かく、レックスは気になってしまった。
「この絵は········女の子の方はララ?男の子は?」
 この絵について聞かれた時、ララは急に赤面し恥ずかしそうに下を向いた。
「あ······それは、物語で·····王子様です。」
 物語を読んで、ララと本の中に出てくる王子様が一緒に遊んでいることを想像して描いたということだろうか。
「そうなんだ。素敵な絵だね。」
 レックスが褒めると、ララは少し嬉しそうにはにかんだ。かわいいなと感じ微笑み返してしまった自分にはっとし、レックスは首を横に振った。
「あの··········レックス様は────」
「様はいらない。兄さんとかでいいよ。」
「··········兄さん──は、私がいて居心地が悪いでしょう?ごめんなさい。」
 突然ララが申し訳なさそうに謝ってきたので、レックスは驚いた。ララは自分のことなど何も気にしていないと思ったのに、微妙な表情や態度を感じ取っていたのだろうか。そう思うと、レックスは疑っていることを悟らせてしまったことがなんだか申し訳なくなった。
「いや、全然·······俺も妹が欲しかったんだ。君が来てくれて嬉しいよ。」
 社交辞令として言ったのだが、それを聞いたララの表情がぱぁっと明るくなった。
「············本当ですか!?私も、お母様や兄さんのような優しい方たちに出会えて幸せです。あの·····迷惑かもしれませんが、仲良くしてください!」
 ララはレックスの手を両手で掴み、ブンブンと振ってきた。握手のつもりだろう。レックスの方が何故か照れてしまい、自然に笑うことができなくなった。
「そうだ!兄さん一緒に来てください。見せたい場所があるんです!」
 ララはレックスの手を掴んだまま、早く早くと庭園に連れ出した。
 あんなによそよそしかったのに、気を許したのか、急に距離を詰められレックスは戸惑っていた。これが彼女の手口なんだろうか。だとしたら、自分はまんまと罠にはまっているし、演技であれば女優も顔負けである。
 庭園に来たララは、パンジーの花の方へ近付いていくと、何かを手に乗せレックスに見せてきた。
 見てみると、赤と黒の芋虫がララの手に乗っていた。仮にも王子として育ったレックスは、虫取遊びは経験がなかった為、一瞬怯んでしまった。平民ならまだしも、貴族で虫取に興じる男児も女児もまずいないだろう。
「この虫は·······なんだっけ。」
「ツマグロヒョウモンの幼虫です!暖かくなったらサナギになって、綺麗なチョウになるんですよ。パンジーの葉っぱをよく食べるので、この辺りに多いんです。兄さんも触ってみます!?」
『いや結構』と言おうとしたのだが、キラキラとした目で問いかけられ、しかも女の子が触れているのに、年上の男である自分が虫を触れないのは格好悪い気がして、レックスは恐る恐る手を伸ばした。手に乗せられた芋虫をよく見ると、動きが以外にも可愛らしく、見れば見るほど愛着が湧いてきた。
「ララは······虫が好きなの?」
「はい!虫は、個体によって形も性質も違うし、みんな精一杯生きていて尊敬します。───人間は······意地悪をするし、なんだか難しいから。」
 ララのような性格だと、周囲から苛められるだろうし辛い思いをしてきたのだろう。友達は虫しかいなかったのかもしれない。守ってくれる家族もおらず、結果的に今は、赤の他人の思い込みでここにいるのだから、彼女のことを『かわいそう』だと思わざるをえなかった。
「あ───でも、私をかわいそうだと思わないでください。」
 心を読まれたのかと思い、レックスはドキリとした。
「周りに迷惑をかけてきたのは本当です。姉さんはみんなを笑顔にできるのに、私はできなかったから。───だから、今こうしてお母様や兄さんに出会えた私は、本当に幸せ者なんです。毎日がもったいないです。」
 ララの笑顔を見ていると、なんだか心が苦しくなった。
 この短時間で、ララのいくつもの顔を見た気がした。その度にレックスの心の中は嵐が吹き荒れているような感覚だった。レックスは、常に人と接するときは、無意識のうちに主導権を握っていて、相手を振り回すことの方が多かった。だが、今は明らかにレックスの方がララに振り回されていて、以外にもそれが楽しく心地好かった。ララのような人間にこれまで会ったことがなかったので、これから何が起こるのか全く予想がつかず、心なしかワクワクしていた。
 結局、その後もアリシアが帰ってくるまでララと遊んだ。遊びが楽しかったというよりは、コロコロと変わるララの表情や仕草を見ていることに飽きず、アリシアが帰ってきた時は『あぁ、母さんもう帰ってきたんだな』と少し残念に思ったほどだった。


 ここ数週間、ララと一緒にいて分かったことがある。それは、ララ自身が何かを企み、屋敷に潜り込んだということはまずないということだ。万が一そうであったとしても、もはやアリソンとレックスはララに対して強い愛情を抱いており、嫌うことも見捨てることもできなかった。

 レックスが屋敷に帰れば、真っ先にララを探した。顔を見たかったし、『おかえりなさい!』と抱きついてくれるのが可愛かった。レックスの豹変ぶりはアリソンも呆れてしまえほどで、母娘の時間を堪能していたアリソンからすれば、レックスが邪魔だと感じるようになっていた。
「ねぇ。あなたいつまでここにいるつもりなの?また放浪の旅に出たら?」
「母さん、俺の家は元々ここだろ?そろそろ落ち着こうと思ってさ。」
 さらさら出ていく気のないレックスに嫌気が差したアリソンだったが、ララを受け入れてくれたことには感謝していた。やはり親子で通じるものがあるのか、元々いたかのようにララはこの家に馴染んでいた。