ララが目を覚ますと、見慣れぬ天井に、大きなふかふかのベッドの中にいた。横を見ると、ララの母親と同年代くらいの美しい金髪の女性が、ララの手を握ったままベッドに突っ伏して寝ていた。

 ララはひどく驚き戸惑ったが、この女性とディアン王子が屋敷に来たことを思い出した。ふらついたララを運び、馬車に乗せてくれたところまでは覚えている。きっとこの女性は自分を助けてくれたのだろう。ひどく申し訳なくなり、謝りたかったが、ぐっすり寝ている女性を起こすのも悪い気がして、ララは途方に暮れていた。

 そうしていると、すぐに女性が目を覚まし、ララと目が合った。
「───ララ。気が付いたのね。初めまして。私は王の側室のアリソンよ。ここは私が暮らしている離宮よ。あなた、まともに食べていなかったでしょう?痩せて、フラフラだったからここに連れてきたの。とりあえず何か食べましょ!ちょっと待ってて。」
 アリソンから状況を説明されたが、ララは一部しか理解できなかった。とにかく自分はいい人に助けられ、今から食事を出してくれるというのだ。

 ダリアが出ていき、両親が屋敷を開けるようになってからは、元々ララを軽んじていた使用人達が、ララに対して食事を出すということをしなくなり、仕方なく厨房に置いてあるパンをこっそり盗んで食べるという生活をしていた。常に空腹で、体調が悪かったのは事実だった。
 出された料理はそれはそれは美味しそうで、食べきれないほどの量だった。ずいぶんまともに食事を取っていなかったこともあり、胃が急にはうけつけず、ララはまずスープだけをいただいた。
「うわぁ·····このスープ、本当に美味しいです!今まで食べたことがないくらい、本当に美味しいです。」
 スープ一つで感激したララを見て、アリソンは危うく涙が出そうになってしまった。きっとまともな生活を送っていなかったのだろう。貴族令嬢であるのに、姉は王子に嫁ぎ、方や妹は、両親や使用人にすらまともな扱いを受けていなかったとは、なんとも酷い話だった。
「ゆっくり食べてね。食べれるものだけ。残してもいいのよ。」
「いえ、残すだなんて······でも、一度に食べれそうにないので、良かったら後でいただいてもいいですか?それか、持ち帰ってもいいですか?」
 恥ずかしそうにしているララの肩をそっと掴むと、アリソンはララの顔を覗き込んでこう言った。
「ララ、あなたはもうファーレン家には帰らなくていい。食事もさせてもらえないなんて異常よ。この屋敷で私と暮らしましょう。」
 突然のアリソンの申し出に、ララは状況が飲み込めず目を白黒させた。
「えっと········奥様は·······側室?の方ですよね?なぜ私を、その······助けようとしてくださるのですか?それに、両親は悪くないんです。私は何の役にも立たないので、屋敷にいさせてもらえるだけでもありがたいです。」
「あなたを助けたいのは、私がそうしたいからよ。何を言ってるんだと思うでしょうけど、初めてあなたを見たときから、あなたのことを自分の娘としか思えないの。私を哀れだと思ってくれていいわ。でも、あなたの両親の元へは返せない。あそこよりはここの方がマシなはずよ。少なくとも食事には困らない。」
 ララは、今にも泣き出しそうなこのアリソンという女性が可哀想になってしまった。この素敵な女性の娘もまた、さぞ素敵なんだろう。ララとはかけ離れているのに、何故かララと娘を重ね合わせているのだ。ララの境遇など同情してもらう義理はないのに、何故だかアリソンはララに対して特別な感情を抱いている。
「あの········私のこと心配してくださって、ありがとうございます。でしたら、その、奥様が私を手放したくなったら·······そうしてください。それまでお世話になってもいいですか?本当に私は何の役にも立ちませんが────」
 アリソンは、自分を否定する言葉を続けようとするララを強く抱き締めた。
「あなたは、この屋敷でただ私と普通の娘のように過ごしてくれるだけでいいの。それがあなたの役割よ。一緒に食事をして、お話をして、お出掛けをしましょう。あなたにしかできないことよ。お願いできるかしら?」
「────えっと······はい。しかし、両親がもしかしたら怒るかもしれません。私が勝手に出ていったから········屋敷から出ないよう言われてたんです。」
 ララは両親の報復を恐れているようだった。連れ戻された後、酷い目に合わされることを心配しているのだろう。
「ララ、安心して。何も心配しなくていい。これまで辛かったわね。」
 ララはアリソンの言葉を完全に信用できないようだった。幼い頃から刷り込まれた両親の洗脳は解けないのだろう。時間がかかることを覚悟したアリソンは、少しずつでもララがこの屋敷に慣れ、安心できる場所になればいいと願った。

 その日、ララは残りの食事を時間をかけて平らげ、ゆっくりとお風呂に浸かったあと、アリソンが用意してくれた綺麗なドレスを着させられ、屋敷内を案内された。
 離宮の使用人達は皆いい人ばかりで、少し変わった雰囲気のララを馬鹿にする様子はなく、皆歓迎してくれた。

 その日の夜、案の定、ララを連れ出されたと知ったファーレン夫妻がアリソンを訪ねてきた。

 アリソンは、離宮の応接間に通されたファーレン夫妻の元に現れた。ララは部屋で待っているように言ったのだが、迷惑をかけるのが申し訳ないとアリソンに無理やりついてきた。
 ファーレン夫妻はララを見るなり、大袈裟に涙を流し駆け寄ってきた。
「ララ!心配したんだよ·······体調が悪くなったんだって??アリソン様が助けてくださったんだね······アリソン様!本当にララを助けてくださってありがとうございます!感謝します。さぁ、ララ家に帰ろう。」
 ララの父親は、ララの腕を強引に掴み、引っ張って連れて帰ろうとした。アリソンは2人の間に割って入り、ララを背中に隠すようにしてファーレン夫妻をキッと睨んだ。
「心にもないお礼は結構です。まどろっこしいのは嫌いなんです。ファーレンさん、取引をしましょう。」
「···········取引!?」
「はい。あなた方は、ララの存在を世間から隠し、ろくに食事も与えず虐待してましたよね?手も上げていたと聞いてます。貴族として醜聞を広められたくなければ、ララを私にください。」
 ファーレン夫妻は目を白黒させ、アリソンの言葉が理解できないようだった。
「な!?虐待など·······!!そんなことはしておりません!ララは何もできないから、屋敷の中で守っていただけです!言いがかりですよ!?」
 埒が明かないと踏んだアリソンは、侍従に目配せをしてララだけを別室に連れていかせた。ララに聞かせることができない話をしたかった。

「ファーレンさん、偽善ぶるのはやめにしましょう。ララの存在が邪魔だったんでしょう?調べましたよ。ララが通っていた中等部では、ファーレンの姓は隠し、ダリア様と姉妹だということも隠していたそうですね。ララが邪魔ならちょうどいいじゃないですか。彼女を私にください。」
「················!!!」
「もちろん、ララがあなた方の娘であるという事実は隠します。誰にも漏らしません。あなた方がララに対して行った仕打ちも黙っておきます。遠方に持っている私の土地もあなた方に譲りましょう。どうですか?」
 土地を譲ると聞いた瞬間、ファーレン夫妻の顔色が変わった。互いの顔を見合せ、この取引の損得を考えているようだった。
「話を聞く気になりましたか?では、誓約書があるので内容をご確認ください。こちらへ。」
 誓約書を読み終え、内容に納得をした夫妻は、どこか浮かれた様子で迷わず誓約書にサインをした。
「ご理解いただきありがとうございます。もう関わりになることもないと思いますが······気をつけてお帰りください。」
 用の済んだアリソンは、ファーレン夫妻の顔を見るのも嫌で早く帰らせようとした。帰り際、ララの母親の方がふと立ち止まり、アリソンの方を振り返った。
「あの········ララに会うのは、これが最後ということでしょうか?」
「ええ。あなたの娘として会うのは先程が最後でしたね。」
 今さら、娘を手離してしまったと母親として感傷的になっているのだろうか。
「なぜ、アリソン様はララに固執するのですか?あの娘は見ての通り、知能が普通と比べて劣っています。·······何か理由でも?」
 まるで、両親の気付かないララの利用価値について探るような言い方に、アリソンは辟易してしまった。
「それをあなたに言う必要がありますか?個人的なことです。さぁお帰りを。」
 まだ何か言いたそうにしていた婦人であったが、ララの父親に促され、アリソンの屋敷を後にした。
 すぐに、アリソンはララの待つ部屋へ行った。今回のことで傷付いていないか、ララの様子が気になった。
「奥様·········両親は帰りましたか?あの、ご迷惑をおかけしました。」
 アリソンは元気のないララの手を握りしめた。
「ララ······勝手なことしてごめんなさい。あなたにとっては血の繋がったご両親だものね。··········屋敷に帰りたかった?」
 アリソンは恐る恐る尋ねると、ララは首を横に振った。
「いえ·········私は屋敷にいるしかないと思ってたから。帰りたいわけではないです。ぶたれるのも、食べるものがないのも嫌だったし········それに、私は邪魔だったので、家を出た方がみんな幸せだと思います。」
「これからは、あなたは邪魔者なんかじゃない。今日からここがあなたの家よ。私のことは、奥様じゃなくてアリソンと呼んで。お母様と呼んでくれてもいい。」
 ララは目を丸くした。こんなに優しくて綺麗で上品な方がお母様?そんなことはありえないが、それが許されるならまるで夢のようだ。
 ララは幼い頃から、母親の愛情に飢えていた。いつか自分もダリアのように愛してもらえるという希望を捨てきれなかったが、いつしかその希望がララを苦しめるようになり、両親に期待をすることは無駄だ、自分に愛される価値はないのだと思うようになった。
 ララはおずおずとアリソンに抱きついた。
「アリソン様──お母様·····私を抱き締めてください。」
 幼い子どもが母親に甘えるような仕草に心を打たれたアリソンは、ララを優しく抱き締め、頭を撫でた。
「今日は一緒に眠りましょう。そうだ!寝る前にお話を読んであげるわ。好きなお話はある?」
「········えっと·······お姫様と王子様の······」
「ああ!私も好きよ。ララおいで。」

 ララは産まれて初めて寝る前に本を読んでもらい、初めて誰かと一緒にベッドで眠った。ドキドキと嬉しさで胸がいっぱいになった。その日は、家族から苛められていた女の子が、素敵な王子様に見初められ、お城で幸せに暮らす夢を見た。お城には王子だけでなく、それはそれは優しくて美しい継母も一緒だった。
 ララは、これがいつか覚めてしまう夢でないことを願った。