アリソンには、平民の元夫との間に1人娘がいた。視察で訪れた国王をもてなした際、彼に見初められたことでアリソンの人生は変わった。

 国王からの命令に、平民のアリソンが断るという選択肢はなかったった。夫とは別れさせられ、娘とは金輪際会うことを許されなかった。

 しかし、アリソンは不幸だったわけではない。国王はアリソンを愛してくれ、側室として十分な待遇を受けた。アリソンも国王を愛するようになり、男児にも恵まれた。しかし、時折残してきた娘の姿を思い出すのだ。栗色の巻き毛が可愛い女の子だった。アリソンが王宮へ発つ日は、「お母さん行かないで!!」と泣き叫び、馬車が見えなくなるまで走って追いかけてきた。アリソンは夢にまで娘の姿をみるようになった。死ぬときに心残りなのは、娘に最後に会いたい、ただそれだけだった。

 アリソンには国王との間にレックスという王子がいた。王子といっても、継承順位は高くないので、王宮ではなく離宮でアリソンと共に暮らしている。
 アリソンは、どうしても実の娘の様子が知りたかった為、以前、息子にお願いし、町に娘の様子を見に行かせたことがある。
 娘は既に結婚しており、子どももいて、幸せに暮らしているということだった。元夫も健在で、アリソンがいなくなった後も不幸になることはなく、今は平穏な日々を送っていると聞いた。
 もはや大人の女性になり、娘はアリソンのことなどおそらく過去の人として捉えているだろう。家族を捨て、王宮に入ったのは事実であるし、もはや忘れられていても、恨まれていても仕方がなかった。
 しかし、アリソンの中で、幼い娘の姿が脳裏に焼き付いて離れないのだ。泣き叫ぶあの子を抱き締めてあげたかった。それだけが人生の悔いであった。

 ある日、ファーレン家のお茶会に招かれた。ファーレン婦人と、長女のダリアと話をし、何の変哲もないお茶会だった。
 アリソンの他にも招待客がおり、婦人達はそちらと談笑を始めた為、アリソンは庭園が美しいと噂の屋敷内を散策してみることにした。

 その時、庭園の外れで枯れ葉を掃いている女の子を見つけた。女の子といっても、おそらくダリアとさほど変わらないくらいの年齢だとは思うが、身なりや表情が『貴族令嬢』という雰囲気ではなく、『少女』としかいいようのない、どこか幼い感じのする女の子だった。
 栗色の巻き毛にドキリとした。色白で、薄くそばかすがあるが、潤んだような大きな瞳が人形のようで、非常に可愛らしい子だった。
 見れば見るほど、アリソンの当時の娘が成長したようにしか見えず、アリソンは声をかけようと少女に近寄った。
 その時、後ろからファーレン婦人に呼び止められ、慌てて茶会の場所へ連れ戻された。先程の少女のことを聞くが、使用人の子が遊びに来ていたのだろうなどと歯切れの悪いことを言い、あの子の存在を隠したがっているようだった。

 どうしてもあの少女のことが忘れられなかったアリソンは、後日、ファーレン家と繋がりのある、国王と正妃との息子、ディアン王子に、少女へ取り次いでもらうよう頼み込んだ。
 ディアン王子は、両親から愛情を与えられず、周囲の期待が重く厳しい環境の中でも、歪まずに育った聡明な王子だった。いくら高貴な立場とはいっても、甘えたい盛りの幼い男の子が同年代の子とも遊ばず、毎日毎日授業ばかりさせられ、管理されているのを気の毒だと思った。せめて少しでも気を許せる場所をつくって欲しいと思い、アリソンは昔からディアンを息子のように可愛がっていた。
 ディアンはファーレン家の「ララ」という少女に取り次いではくれたのだが、ララは少し変わったところがあり、屋敷を出たことも、家族から人に紹介をされたこともないという。かなり繊細な人物なので、高貴なアリソンと会うことを怖がり、承諾してもらえなかったと言っていた。

 一旦はしょうがないことだと諦めていたアリソンだったが、やはりこれは何かのお導きだという思いが拭いきれなかった。
 あの日見たララは、どこか悲しそうで痛々しかった。ファーレン婦人のあの様子やララの身なりからしても、あの屋敷でまともな扱いは受けていないのだろう。
 泣きながら馬車を追いかけてくる昔の娘の姿と重なり、アリソンは彼女に会いたいという気持ちと、自分がララを救ってやらねばならないという一種の盲信に囚われていた。

 ダリアとの結婚を終え、執務に追われ忙しいディアンをやっとのことで掴まえたアリソンは、再び彼に頼み込んだ。
「ディアン王子。本当に何度も申し訳ないのだけれど·······私、やっぱりララを諦めきれないのよ。今度は私も一緒に行くから、彼女に一度会わせてもらえない?あなたは義理の兄でしょう?私1人で行くより、話を聞いてもらいやすいわ。どうかお願い。」
「·············彼女を諦めきれないのは私も同じです。今から行きましょうか。」
 驚くことに、すぐにディアンはアリソンの頼みを聞いてくれた。予定は詰まっていただろうに、そのままディアンはアリソンを連れて、ファーレン家を訪れた。


 ファーレン家は、以前訪れた時よりも静かに感じた。ダリアが家を出たことで、ファーレン夫妻は家を開け、社交の場に顔を出すことが多くなった。使用人はいるものの、仕事に取り組んでいるという雰囲気ではなく、使用人同士で雑談をしたり、休憩したりしている姿を見かけた。
 ディアンとアリソンが訪ねると、急に使用人達は慌て出した。ファーレン夫妻は外出中で、ララの居場所は知らないという侍従を前に、ディアンは苛立った声で侍従を問いただした。
「いないだと?ララはこの家の次女だろう。仕えている身でありながら、当主の娘の居場所が分からないというのか?」
「·········お言葉ですが、ララ様のことは、対外的には娘として扱わなくていいと言われております。屋敷内でも、立場としては使用人と同等と······」
「ふざけるな!もういい。勝手に入るぞ。アリソン様、行きましょう。」
 侍従を押し退け、ディアンとアリソンは屋敷内へ入った。
 ディアンはララの居場所を知っているのか、迷わず歩を進め、屋敷の端にある庭園の辺りまでやってきた。
 庭園の隅のベンチにぼんやりと膝を抱えて座っている少女が見えた時、以前見たときよりも痩せたように見える彼女を、アリソンは何故だか抱き締めたくなった。
「·········ララ。久しぶりだね。ここで何してるの?」
 アリソンは、ディアンのこのような慈愛に満ちた優しげな声を初めて聞いた。彼は、誰に対しても王子として節度のある態度を取ってはいたが、王子としてではなく彼自身の感情を出すことがほとんどなかったからだ。
 ララはきょとんとした顔でディアンを見ると、すぐに慌ててベンチから立ち上がった。
「ディ·····ディアン殿下!ここにはどうして······」
 急に立ち上がったからなのか、元々体調が悪かったのかは分からないが、ララの足元がふらつき地面に倒れそうになった。
 倒れる前にすぐにディアンが気付き、軽々とララを支え抱え上げた。
「すみません殿下····!大丈夫です。歩けます!下ろしてください────」
「いいから。一緒においで。こんな状態じゃ、ここに君を置いておけない。」
 嫌がるララを無視して、ディアンとアリソンは馬車に乗り、ララを連れて王宮に戻った。見知らぬ少女を王子が運んで帰れば騒ぎになるため、一旦アリソンの住む離宮にララを連れていくことにした。

 疲れたのか、ララはディアンの腕の中で眠ってしまった。ディアンは痩せてしまったララの体を大事そうに抱え、終始辛そうな顔をしていた。

 ララを離宮の客室用の大きなベッドに寝かせた。ララは安心したような顔をして、スースーと寝息を立てて寝ていた。
 アリソンはララの顔をまじまじと見た。顔にかかった髪を払ってあげると、あどけない表情で眠る美しい少女の顔がよく分かった。おとぎ話に出てくる、不思議な国に迷い込んだお転婆なお姫様のようだ。
 赤の他人で、容姿が似ているというだけの少女にこんな感情を抱くのはおかしなことだと分かってはいるが、この子はアリソンの娘であり、アリソンが迎えに来るのをずっと待っていたのだ。そんな気がして、愛しさと申し訳なさが込み上げた。

 部屋を出ていこうとせず、ララの寝顔を見つめているディアンにアリソンは声をかけた。
「ディアン王子、ここまでしてくれて本当にありがとう。ララは私に任せて。きっとララが屋敷から連れ出されたとファーレン夫妻やあなたの奥さまが知ったら、私やあなたに抗議してくるに違いないわ。それに備えなきゃ。」
「·············はい。そうですね。ララを──よろしくお願いします。」
 ディアンの『よろしく』には、ララをファーレン家に戻さないで欲しいという意味と、この離宮では、良く接してあげて欲しいという意味が込められているように感じた。ララは王宮では暮らしていけない。敵ばかりの周囲から守ることは不可能に近い。それは平民から突然王宮へ上がったアリソン自身も経験があり、身に染みて分かることであった。子どもでもやらないような幼稚な嫌がらせ、一歩間違えば命を落としかねない悪質な嫌がらせも経験した。ララをそのような場所に放り込むわけにはいかなかった。
 ララが目覚めるまで、アリソンはララの側から片時も離れず、ずっと手を握っていた。