最後の夜

「真子ちゃん、もう夜も遅いし、ラブホテルに泊まろうか」真子は、えっと、首を傾げたが、うなづいた。私は、この時代に生きていたが、ラブホテルに泊まるのは初めてだ。渋谷のラブホテル街、道玄坂裏から神泉にかけての円山町界隈が浮かぶだろうが、あの当時は公園通りの裏方あたりにも散在していた。渋谷の方から坂を上っていって、パルコの先の交差点の右奥。ちょうどこの頃、「スウェンセンズ」というゴージャスな感じのアイスクリームを出す店の横の坂道を上っていったあたりにラブホテルが何軒も並んでいた。
そのラブホテル筋の入り口あたりに「ナンバー2」玄関に設置された各室の写真入りのキーボックスのパネルを操作して、好みの部屋のカギを手に入っていく。室内に用意されたバスローブやティーカップの柄はブルーストライプに統一され、「1983」のロゴがブランド気分で刻まれていた。部屋に入ると、私は、真子に風呂に入ろうと誘った。そしてこう言葉を付け加えた。この先、どうなるかわからない。とにかく、裸になろうの言葉に、同時にふたりは服を脱いで湯船に入る。私は、興奮したが、真子はそれ以上に興奮しているのかもしれない。なかなか、先に出れなくて、30分間。お互い無言で、出ようの言葉に、浴室を出て。バスタオルで吹いた身体に、何も身につけずに、ふたりは、ベッドの布団の中に潜り込んだ。真子の身体は、温もりでポカポカしていた。そして、明かりを、消した。翌朝は、6時に目が覚めたのであった。真子の顔を見ると、笑みをこぼした。
料金精算。壁の一隅に設置された懐中電灯みたいな格好のカプセルに万札を挿入してセット。壁の内部のパイプライン(いわゆるエアシューター)を通って受付へ届き、やがてオツリやレシートを入れたカプセルが戻ってくる。外に出ると、今日一日。どう行動するか、思考に湧いてくる。歴史を変える事は出来ないはずだ。だとすると、15時間後に、あの出来事に遭遇するはずだ。

再現

40年前のこの日。私は会社を休んでいる。アパートの部屋で被害妄想の真っ最中だった。部屋を出たのは、夕方だ。真子は何をやるのとしつこく聞いてくるが、私は、今晩のお楽しみとだけ伝えた。真子は、ぷっと膨れた顔をしている。夕方まではまだ、時間はある。予想通りに、部屋を出るのは、何故か、記憶している。夕方丁度、17時だ。その部屋を出る瞬間に、身体がすり替わればいいが。私は、真子に、あの瞬間を、見てもらおうと思っている。康子と真子。奇妙だ。私は真子とは運命の相手なのだろうか。この時代には。眞子はまだ、生まれていない。宇宙にいたのだろうか。私は、真子の前世の記憶を辿っているのか。せっかく、テレポーテーションしたのだ。あの時の自分をもう一度体験して、確かめたい。あの時、空の上から聞こえてきた声。テレポーテーションした現在が今なのか、それとも、現実に存在してた時代が本物なのだろうか。私は、真子と東京タワーに足を進めた。見物して。お昼ご飯を食べる。時計を見ると、15時。私は、真子に、上野駅に行ってくれと頼んだ。真子は、なんでなんで、嫌と言うが、とにかく、20時の山手線に乗ってくれ。そして、品川駅に着いた時に、良く、周りを観察しておいてくれと、頼む。理由は聞かないで、私を信じてくれ。私は、山手線の、上野駅で、真子に、20時までは。まだ。時間はあるが、喫茶店でもハシゴして。暇を潰していてくれ。「龍太郎さんは、何処へ行くの」
「私は。目黒の自分の住んでたアパートに行く」真子は、その言葉に。また、涙を浮かべた。「絶対、ひとりにしないでよ」私は。真子と、小指で約束した。私は、山手線に乗った。真子はいつまでも。手を振っている。私は、もうひとりの自分と身体が入れ替わった瞬間に。統合失調症の症状にも。憑依されると思う。しかし、あの時もそう。思考の意識の中には、ふたりの意識があった。狂った自分と正常の自分。だから、被害妄想の行動も全て覚えている。目蒲線に乗り、武蔵小山駅に降りた。その時。私は。計算間違いの思考に気がついた。あの出来事の後。私は。精神病院にぶち込まれていたのだ。もう遅い。武蔵小山駅に来た。時計を見ると、16時半。予定時刻まで、あと、30分。私は、徒歩で20分のアパートまで、ゆっくりと歩いた。時計は、17時。アパートの前の、板の扉が開いた。中から出てきたのは、もうひとりの私だ。私は。猛ダッシュで走り。自分と。身体ごと体当たりした。その、瞬間。相手の身体が消えた。意識がテレポーテーションに成功した。思考は。意識がテレポーテーションした事に気がついてない。とにかく、正常な意識を保たなければ。そして、目黒駅に向かった。到着したのは、18時。上野駅に、20時に通過するには、19時30分に、電車に乗る。多少の。ズレがあるかもしれないが。歴史は変えられない筈だ。電車は、上野駅のホームに入る。ホームの前方に、真子の存在に気がついた。その瞬間。私の正常な思考が脱線した。思考が。電車の。ナンバーの数字に、引っ張られる。そして。思考の中に、真子の存在が消えた。電車の後部車両に移動する。思考の中は、被害妄想。そして。誇大妄想に変化する。天皇陛下の子孫と言う妄想も絡んでくる。浜松町に停車した。そして、ドアが閉まる。私の思考が爆発する。
「お前は、不死身だ、電車にぶつかっても、死なない。お前はスーパーマンだ」もう、真子の存在は思考の中に存在しない。品川駅のホームに近づき。ブレーキのかかる音がする。私は。後部車両から、猛ダッシュで、前方車両へと走り抜ける。一両目に、入ると。「あっ」と言う、声が聞こえた。真子の声だ。しかし、もう、眞子の存在は思考から削除されている。電車のドアが開くと同時に。ドアを走り抜け、一気に、線路に飛び込んだ。左手の、視界に。電車が見える。その瞬間。私は。ホームに手を伸ばし駆け上がろうとする。後ろから。女性の叫び声が聞こえる。「りゅうちゃん。りゅうちゃん」真子の大きな叫び声。あの時も、聞こえた、その声。あの時は、まだ見ぬ、宇宙にいる。真子の声だった。そう、確認した瞬間。ホームに這い上がる。背後を電車の、空気の渦巻く風が、音を立てて、そして、ガーンと。目の前が、真っ暗になり、意識を失った。真子もその瞬間。目の前が、真っ暗になり。意識を失った。