凛の部屋で10分ほど話して、家を出た。凛の家から俺の家までは徒歩3分ほどですぐ近くだ。凛の家とは違い、俺の家はすごく古い。一戸建てではあるものの決して広いとは言えない。父親はただのサラリーマン、母親はスーパーで働くごく普通の家庭である。この家庭が他のと少し違うというのは後々、わかってくることだろう。
 「ただいま。」
 強い日差しから解放され、涼しい室内に入った俺は、速攻でリビングへ続くドアを開けて、ソファに寝転がろうとした。
 「お兄ちゃん、今ダメ。」
 入ってすぐ横にある階段の上から妹の湖心(ここ)の声がした。びっくりして振り向くと階段から降りてきた湖心の姿がある。
 「今、喧嘩中。見ればわからん?」
 確かにいつもより少し騒々しい。ドアについている小さな窓から覗けば、テレビの前で言い争っている両親の姿がある。
 「ああ、ほんとだ。しょうがない、先に部屋行くか。」
 湖心はそうしなと言うようにうんうんと頷いている。
 「てか、今日、ちょっと遅かったんね。凛ちゃんとなんかあったん?」
 「いや、別に。」
 突然そう聞かれ、慌てて答えたからか少し食い気味になり、湖心に怪しい目で見られた。
 「さてはお兄ちゃん、なんかあったんでしょ。全く、いい歳して。呆れちゃう。」
 湖心は笑って言って、後ろ手でドアを開けると部屋に入っていった。パタンという音の後には気味の悪い静寂が残った。俺は、湖心の隣の部屋に入り、扉を閉めた。

 いつの間にか、窓の外は陽が落ち、雨が降っていた。最近は夜雨が多い。いつの間にやら降っていて、窓の下のベッドを濡らしていく。
 何時間勉強していたんだろうか。湖心と少し話してから部屋に入って以来、気を紛らわすためにずっと勉強をしていた。時計を見ると18時過ぎ。伸びをして立ち上がると、暗い廊下に出た。向かいの姉の部屋には電気がついていて、帰宅しているようだった。その隣、俺の部屋の斜め向かいの兄の部屋はまだ電気がついていない。俺は、静かに階段を下り、リビングのドアを開けた。
 「あら、おかえり。帰ってたのね。」
 音で気づいたのか台所から母の声が聞こえた。
 「うん、父さんは?」
 喧嘩していたからあまりいい返事は返ってこないだろうと思ったが、何故かしら聞いてしまった。
 「ああ、あの人なら仕事に行ったわ。どうせ、また女と遊んでるんでしょうけど。」
 「そう、いつも通りか。」
 父親はいつも女と遊んでいる浮気男である。それも何人もの女と。堂々と連れ込んでいたことだってある。おそらく、今回の喧嘩もそれ関連だろう。以前、なぜ、離婚しないのかと真剣に聞いたところ、子供がたくさんいるかららしい。子供は俺を含め4人だ。長男が大学4年生の奏瑪(かなめ)、長女が大学1年生の心葉音(こはね)、次男が俺、次女が中学1年生の湖心である。この家は父さんの家だから離婚したら俺たちが出ていくことになる。しかし、そうなれば、湖心の学区もあるし、兄さんは家を出ていくにしても3人はまだ養わなければいけない。どう考えてもスーパーで働く母親には難しいだろう。俺たちはこれが理由であるとわかっているから、しつこく言うことは無いし、1度無神経に聞いたことがあるがもうその話題は極力出さないようにしている。
 「風呂入ってくるわ。ご飯はその後で。」
 俺は母に一方的にそう告げるとリビングから続く扉をくぐり、風呂場に行った。
 独りになると色々と変な考え事をしてしまう。よく考えてみれば、俺は凛と付き合っていること以外、特に幸福でもないのかもしれない。