「倍率はどの位がいいのかしら?」

 店主は木箱のフタを丁寧に開けながら聞いてくる。

「一番大きいのをください!」

 俺の即答に、店主は俺を見て眉をひそめた。

「倍率が高いってことは見える範囲も狭いし、暗いし、ピントも合いにくくなるのよ? ちゃんと用途に合わせて選ばないと……」

「大丈夫です! 僕は武器屋をやってまして、刃物の()げ具合を観察するのに使いたいのです。だから倍率はできるだけ高い方が……」

 咄嗟(とっさ)に思いついた嘘を口にする。しかし、店主の鋭い眼差しが俺を射抜いた。

「嘘ね……」

 彼女はメガネをクイッと上げ、厳しい表情で俺を見つめる。

「私、嘘を見破れるの……。お姉さんに正直に言いなさい」

 え……?

 その言葉に、俺は冷や汗が湧いた。彼女のスキルなのか、それとも……。いずれにせよ、面倒な事態になってしまったことにキュッと口を結んだ。

 この世界がゲームの世界かどうかを調べたいなどという荒唐無稽(こうとうむけい)な話を、とても口にできるはずがない。俺は頭を巡らせ、どうにか説明をごまかそうとした。

「実は……」

 完全な嘘はバレてしまう。だが、全てを明かすわけにもいかない。表面的な真実を巧みに紡いだ説明を、俺は慎重に話し始めた。

「……。参りました。本当のことを言うと、この世界のことを調べたいのです。この世界の仕組みとか……」

 彼女はじっと俺の瞳の奥をのぞきこむ。その鋭い眼差しに、まるで心の奥底まで見透かされているような感覚を覚えてゾクッと背筋に冷たいものが流れる。

「ふぅん……嘘は言ってないみたいね……」

 店主の表情が、僅かに和らいだ。その表情には、俺への興味が浮かんでいる。

「私ね、こう見えても王立アカデミー出身なのよ。この世界のこと、教えられるかもしれないわ。何が知りたいの?」

 彼女の笑顔に、俺は少し緊張が解けるのを感じた。

「ありがとうございます。この世界が何でできているかとか、細かい物を見ていくと何が見えるかとか……」

 店主は自慢げに知識を語り始める。

「この世界の物はね、火、水、土、風、雷の元素からできてるのよ」

 その説明に、俺は中世の錬金術を思い出した。しかし、それだけでは納得できない。

「それは拡大していくと見たりできるんですか?」

「うーん、アカデミーにはね、倍率千倍のすごい顕微鏡があるんだけど、それでも見ることは出来ないわね……。その代わり、微生物は見えるわよ」

「え!? 微生物?」

 予想外の回答に、俺は思わず声を上げた。

「ヨーグルトってなぜできるか知ってる?」

 彼女の質問に、俺は日本での知識を思い出す。

「牛乳に種のヨーグルトを入れて温めるんですよね?」

「そう、その種のヨーグルトには微生物が入っていて、牛乳を食べてヨーグルトにしていくのよ」

「その微生物が……、見えるんですか?」

「顕微鏡を使うといっぱいウヨウヨ見えるわよ!」

 俺の脳裏に、かつて見たヨーグルトのCMの映像が蘇る。

「もしかして……、それってソーセージみたいな形……してませんか?」

「えっ!? なんで知ってるの!?」

 彼女の驚きの声に、俺は慌てて言い繕う。

「いや、なんとなく……」

 俺はうつむき、深い思考に沈んだ。この世界にも乳酸菌が存在する。しかし、MMORPGの世界に乳酸菌を実装する意味はない。顕微鏡でしか見えないものをわざわざ作り込む必要などないはずだ。

 しかし、彼女は確かに「顕微鏡の中で生きている」と言った。この世界がゲームの世界ではないとすれば、一体何なのか? 魔法の存在はどう説明できるのか? 死者が復活するような非科学的な現象が、なぜこんなにも緻密に構成された世界に存在するのか……。

 俺の頭の中で、疑問が渦を巻く。この世界の真実は、想像以上に複雑で深遠なものかもしれない――――。

「不思議な子ね。で、拡大鏡(ルーペ)は要るの、要らないの?」

 その問いかけに、俺は我に返った。

「あ、一応自分でも色々見てみたいのでください」

 俺は顔を上げ、笑顔を作りながら答える。彼女は微笑み、棚から皮袋を取り出すと、拡大鏡(ルーペ)を丁寧に収めた。

「まいどあり~。はい! 金貨九枚に負けてあげるわ」

「ありがとうございます……」

 俺は金貨を一枚一枚丁寧に数えながら支払いを済ませる。その様子を見ていた店主は、突然言った。

「良かったらアカデミーの教授紹介するわよ」

 彼女は上目遣いに、ちらりと俺を見る。その眼差しには、好奇心と期待が混ざっているようだった。

「助かります、また来ますね」

 俺は深々と頭を下げ、店を後にした。外の空気が、俺の混乱した思考を少し整理してくれる。

 歩みを進めながら、俺は考え続けた。乳酸菌を実装しているこの世界。一人前のヨーグルトには約十億個の乳酸菌がいるはず。それを全てシミュレートしているとすれば、誰かが作った世界にしては手が込みすぎている。そんな無駄な労力をかける意味がない。

 しかし、もしこの世界がリアルだとしたら……。ドロシーの不可解な再生や、レベルアップ、鑑定といったゲーム的システムの存在をどう説明すればいいのか。この矛盾は、一体どう解決できるのだろうか。

 帰り道、俺は公園に立ち寄った。池の水面が、夕陽に照らされてキラキラと輝いている。俺は水筒を取り出し、観察用の水をくみ始めた。

 水面に映る自分の姿を見つめながら、俺は呟く。

「この世界の真実は、一体どこにあるんだ……」

 水面にはポチャンとカエルが飛び込んだ小さな波紋が広がっていった。