翌朝早くに、その人は来た。

「お久しぶりです、フローシェ宰相」
「あぁ。しばらく見ぬうちに、立派になられた。愚息が世話になっております。オズ・ジュローデル公爵」

 白く整えられた髪と口ひげ。
 片目のモノクル。
 一つの乱れもない衣服。

 このアーレンシュタイン王国の鬼の宰相、フローシェ宰相閣下──!!

 ドルト先生のお父様ということだけれど……うん、やっぱり似てないわ。

 そしてその唯一似ているといえる緑色の瞳が、お茶をお出しする私をちらりと横目でとらえた。

「あなたがローゼリア嬢の──」
「宰相。今はセシリアです。ローゼリアは関係ない。ただの、俺の助手の、セシリアです」

 言葉をさえぎってぴしゃりと言い切ったオズ様に、宰相様がその小さなビー玉のような緑の瞳を大きく見開いた。

「そうか……。失礼した。初めまして、セシリア嬢。私はアーレンシュタイン王国宰相、テレシス・フローシェだ。ドルトからジュローデル公に良い人ができたということは聞いていたが……そうか、あなたが」
「いっ!?」

 良い人!?
 って、そういう、あれよね?
 ドルト先生なんてことをーー!?

「ドルトのやつ……。ちがいます。彼女はそういうのでは──」
「まぁまぁ、照れることはない。大切な存在があるというのはとても良いことだ。お父上、お母上もさぞ喜んでおられるだろう」

 人の話を全く聞いていない……!!
 あぁ……まぎれもなくドルト先生のお父様だわ……。

「ごほんっ。それで宰相。今日はどのような?」
「あぁ。それが……王都を襲った流行り病についてな──」

 流行り病……。この間の……。
 嫌な予感しかしない。
 それはオズ様も同じのようで、ぐっと眉間にしわを寄せている。

「ジュローデル公爵家のおかげで、王都の人々の流行病は収まりつつある。病院の方も落ち着きを取り戻した。それについて、感謝を述べさせてくれ」
「……それで? 感謝を言いにわざわざ来たわけではないのでしょう?」
 赤く鋭い瞳が宰相閣下を射抜く。

「……あぁ、そうだな。本題と行こうか。……実は、クリストフ王太子殿下が、その流行り病にかかってしまってな……」
「!! ……ひどい、ということですか?」

「あぁ。もともと身体のお弱い殿下には今回の流行り病は強すぎて、薬もなかなか効かず、食事も摂れていないから体力がどんどんなくなっていって、起き上がる事すらできない状態だ」

 王太子殿下が……。
 今回の流行り病はそれまでのものよりも強い。
 身体の弱い方やお年寄り、子どもは重症化しやすい傾向にある。
 起き上がる事すらできないって、かなりひどい状態なんじゃ……。

「王家も深刻な状態に頭を悩ませていた、そんなときに王立病院でジュローデル公爵とローゼリア嬢の妹君が、苦しむ人々を一瞬で救っていったという話を聞いてな。助けを乞いたく、ここまで来た次第だ」

 やっぱり、私たちのこと、噂になっていたのね。
 それもそうか。あれだけ大勢の人に力を使ったのだから。
 さすがに疲れて馬車の中でオズ様にもたれて眠ってしまったことを思い出して、私は首を横にぶんぶんふって振り払う。

「……うちに来ずとも、ローゼリア・フェブリール男爵令嬢がいるでしょう。神殿が聖女と認定した女が。それに、王太子の婚約者でもある。そちらに治癒させればいいのでは?」

 少しばかりいら立ちをにじませながらオズ様がそう口にすると、宰相様は苦々しい表情で頭を抱えた。

「ローゼリア嬢は未だ力を使うことができず……。フェブリール男爵家に救援要請に向かっても、ローゼリア嬢はやまいに臥せっていて会えないと一点張りで……」
「仮病か。散々持ち上げた結果がこれとは、哀れなものですな」

 オズ様の直球的な批判。
 私のために怒ってくれている。
 それが申し訳なく感じながらも、嬉しいと思っている自分がいる。
 だけどお姉様……。あれだけ王太子殿下と仲がよさそうだったのに。
 せめて傍についてあげられないのかしら。

「そうだな。それに関しては何も言えない。陛下は妹君の噂を聞いて、私に探してくるようにおっしゃった。だが──無理強いはしない」

「え?」

「あなたを見るジュローデル公爵の目は、とても大切なものを見る目だ。あなたはここでひっそりと幸せになるのが一番だと、今の様子を見て感じてしまった」

 大切なものを見る目?
 オズ様が、私を?

「やはり私は帰ろう。突然来てしまってすまなかった」
「大丈夫なんですか?」
「どうにかなる。殿下が耐えきることができなかなったとして、最悪、王女がいる」

 王女……ってあの……。
 オズ様のことが好きだって言う?

「アレが国の実権を握ったら悪夢ですな……。王太子がどうにか耐えきるよう、俺も微力ながら魔法薬茶を作ってお送りしましょう」
「あぁ、助かる。さて、愚息の様子でも見てから帰るかな。それではジュローデル公爵、セシリア嬢、失礼するよ」

 そう言って宰相様は立ち上がると、見送りは大丈夫だと断りを入れて部屋を出ていった。