「あの人たち、響の学校の人?」
「うん、同じ学年。今日海に行こうって言われて断ってたの、忘れてた。……ちょっと行ってくる」
「待ってるね」

 詠がそういう頃には、もう石段を駆け下りて颯真の元に走っていた。
 話しかけられて愛想笑いはしたくないと思う詠だったが、今更隠れるのは感じが悪いと思った詠は、石段に座って響の事を待っていた。

 響と颯真はクラスメートと少し離れた所で話をしている。それから颯真は詠に向かって笑顔で手を振った。詠もそれに応えて手を振る。その間に響のクラスメートが颯真の元に近づいて来る。その中には鈴夏の姿もあった。

 一瞬、先ほどの鈴夏の誘いの電話はこの事だったかと思ったが、それならさすがに響は最初から海に行くことを渋ったはずだ。
 やっぱり鈴夏は響を夏祭りに誘ったんだろう。

 嫌な気分。しかし、何をどうしたらそれが解消するのか、全く見当がつかない。

 鈴夏は真っ直ぐに詠を見ていて、眩しい笑顔で手を振った。
詠もそれに応えて手を振り返すと、鈴夏の周りは騒がしくなる。

 〝詠ちゃんと知り合いなの?〟
 〝えー凄い。いいなあ〟

 ありきたりで、捻りのない感想。
わかるに決まっている。飽きるくらい何度も何度も、そのやり取りを聞いて来たんだから。今までそんなやりとりに一切調子に乗らなかったと言えば嘘になるし、言われなくなったら終わりだという事も理解していた。

 先ほどこれが初心だと気持ちを改めたばかりだが、それでもこの二週間だけは放っておいてほしい。

 颯真は響に手を振った。どうやら二人の話は終わったらしい。しかし、クラスメートの数人が響に何かを言って引き留めているようだった。
響は首を横に振っている。その話題の中心が自分だという確信はあった。

 しばらくたっても状況は何も変わらない様子だったので、詠は石段を降りて響の元に歩いた。

「せっかくだから、みんなで遊ぼうよ」

 響を引き止めていたのは女の子達。騒がしくなり始めて詠が近くに来たと気付いた様子の響は、詠を見た後すぐにクラスメートを振り返った。

「だからいいって。俺、もう行くから」

 どこか冷たい口調でそういう響の向こうで、颯真は詠に向かって申し訳なさそうに両手を合わせていた。

「引き止めてごめんね、詠ちゃん。みんな響と詠ちゃんと遊びたかったみたいで」

 鈴夏は申し訳なさそうに眉を潜めている。嫌がる響とみんなを止めようとする鈴夏に任せていれば、また響と二人の時間を過ごすことができる。

「どうせ海で涼むつもりだったんだし、みんなで遊ぼうよ。響」

 鈴夏もそう言うのだから何事もなかったようにこの場を去ればいいのに、そう出来なかったのは自分の印象が悪くなるからなんて保守的な考えではなくて。
 自分が原因で響がクラスの輪から外れる可能性が少しでもあることが、響が辛い思いをすることが嫌だっただけ。

 こういう事で一般人の機嫌を損ねれば〝お高くとまっている〟と言われるのが芸能人。自分がとる行動で矛先はその後、響に向くのだ。

 そんな事を言えばきっと響は余計なお世話だと言うだろう。もしかすると、無理して付き合うくらいなら関わらなくていいと思っているかもしれない。
 詠の知る響という人間はそういう人だ。

 響は少し驚いた表情をして詠を見ていたが、すぐに視線を逸らした。納得いかないと言いたいことは分かっていた。

「いいよ。詠がいいなら」

 響がそう返事をすると、響のクラスメートはすごく喜んだ。
 ただ一人だけ。鈴夏だけは心配そうな様子で詠を見ていた。鈴夏は本当に心根が優しくて、人に気遣い出来る子。詠は鈴夏の視線に気づかないふりをした。

 響はクラスメートに交じってビーチバレーを始めた。
 女の子のほとんどは詠の近くにいた。どうやったら綺麗になれるのかとか、化粧の仕方とか、イケメン芸能人の話とか。

 この手のやり取りはテンプレートを用意しているくらいありきたりな話の内容。詠はそれに精一杯答えるように努めた。たった二週間しかいないこの場所は、響にとっては日常だから。

 鈴夏の響に寄せる想いは、見ているだけでじれったくなる程に慎ましいものだった。
 ビーチバレーをしている響をぼんやりと眺めては、別の所を見て気をそらす。決して自分からワザとらしくアピールすることも、話しかける事もない。話す必要がある場面では、全く不自然な様子もなく必要最低限の話をする。
 プライベートで来ている詠の事を心底心配して、響と二人の時間を作ろうとしてくれる。

 二人きりになるのに。
 響の事が、好きなくせに。

 鈴夏を見ていると、自分の汚い部分を嫌でも認識する。女の自分でさえ素敵な子だと思うのだ。そんな彼女が常に響の側にいるという事実が、意味もない焦燥感を掻き立てる。

 鈴夏は友達にも恵まれていた。女友達は鈴夏がそれとなく響と関わる機会が増えるように気を配っている。意識していないと気が付かないくらい小さな気遣いだった。

 きっと小学5年生の時に響に告白したのは鈴夏だ。周りがはやし立てて勢いのまま告白したのかもしれない。

〝好きって言われたから、なんか変に意識してるだけだし〟
 何気なく好きな人がいるのかと聞いた時、響はそう答えた。今も変に意識してしまう感覚は変わらないのだろうか。
 いやもう、あれから3年もたっているんだから。いやでも、鈴夏の気持ちはきっとあの時から変わっていなくて。

 いろいろ考えて、詠はパラソルの下で膝を抱えて座りながら俯いた。

 どうせ、敵わない。
 これから先、誰もが振り向くほど綺麗な大人に成長したとしても、どれだけ世間から注目を浴びる大女優になったとしても、きっと鈴夏には敵わない。
 だってどんなドラマも映画も、最後に幸せになるのは素直ないい子だと決まっているんだから。

 いつのまにこんな捻くれた考えになったんだと思いながら、詠は人知れず溜息をつく。

「お疲れ、詠ちゃん」

 颯真は詠にジュースを手渡した。詠は足を崩しながら、颯真の方へと手をのばす。

「ありがとう、颯真くん」
「おー」

 受け取った缶ジュースは冷たい。詠はプルタブに指をひっかけて炭酸ジュースを飲んだ。普段は甘いジュースを飲むことを控えているからか、それとも暑さからか、骨身に染みる。

 隣に座った颯真の顔を盗み見ると、どこかぼんやりとした顔をしている。
 暑さのせいじゃない。颯真の視線を辿るとその先にはやはり、鈴夏がいた。

 鈴夏はモテるんだろうな。という考えを上回る颯真の感情の隠しきれなさがおもしろくて、詠は思わず笑った。

「颯真くん、颯真くん。本人にバレちゃうよ」

 小さな声でそう言うと、颯真は顔を真っ赤にして立ち上がった。

「違うって! そういう事じゃなくて!!」
「しー。だから、バレるって」

 詠は自分の隣をポンポンと手のひらで叩いた。

「聞かせて聞かせて。いつから?」

 颯真は立ったままおどおどした後、もう一度詠の隣に腰を下ろした。

「よくわかんないんだよね。小さい頃からずーっと一緒でさ。気付いたら、って感じ」

 そう言って颯真は、本当に優しい顔をして鈴夏を見る。

「本当にさ、誰にでも優しいんだよ。鈴夏って」
「幼馴染の恋愛。……うわ、いいなあ」

 詠は思わず自分の顔を手で覆って俯いた。こっちまで恥ずかしくなるくらい真っ直ぐな気持ちだ。颯真は見るからに素直で真っ直ぐだ。きっと好きになった人を全力で幸せにしてくれるタイプで、人を見る目があるに違いない。 

「俺も恥ずかしくなってきた!!」

 颯真は顔を真っ赤にしてその場に寝転がると、ゴロゴロと行ったり来たりして転がっていた。

「詠ちゃんは? 響とどんな感じ? 響さ、なーんにも教えてくれないんだ」
「いや、私たちはそんなんじゃなくて」
「えっ。付き合ってるんじゃないの?」
「付き合ってないよ、全然。そういうのじゃないし」
「でも、毎年一緒にいるんだよね? じゃあ何? ひと夏の……過ちみたいな?」
「過ちも犯してないし」
「いや、気を付けた方がいいよ。この年頃の男なんて考えてる事みんな一緒だから」
「どんな事?」
「どうやって過ちを犯そうかなって」
「……ええー響が? ありえなくない? それって颯真くんだけじゃないの?」
「いいや、違うね。断言していい。絶対響も頭の中では詠ちゃんと過ちを犯してるから」

 頭の中で犯す過ちってなんだと思いながら颯真を見ていると、彼はゴロゴロと転がる動きを止めて少し考えるそぶりを見せた。そして横になったまま遠くにいる響とそれから隣にいる詠を順番に見る。

「なんか照れるな」

 意味の分からない事を呟いてまた行ったり来たりとゴロゴロ転がった。

「痛ェ!!」

 響はいつの間にかゴロゴロと転がる颯真と座り込む詠の間に立っていた。颯真は響の足に思いきり顔面をぶつけて鼻を抑えて起き上がった。

「颯真、チェンジ」
「おう。俺が敵を取ってきてやるよ」

 颯真はそんな捨て台詞を残してビーチボールに参加していったが、みんな口をそろえて「響の方がうまかった」と言っていて、詠は落ち込む颯真を遠目に見て思わず笑った。