小学校入学した頃に、新しい父親と妹ができた


その頃は純粋にすごく嬉しいかった私にもかわいいかわいい妹ができた


のだ、けれど、その裏腹に嫉妬もしていた。私はお母さんと一緒に住め


ていないのにっと幼ながらに思ってしまった。


小学校3年になった時から始まった、いじめ


クラスメイトとすれ違うたんびに、『 キモイ』『 こっち来るな』
『 なんで学校に来るんだ』っと言われ続けた、それでも、児童養護施設の先生やお母さんに迷惑をかける訳には行かない私が我慢すれば大丈夫っと言い聞かせて、朝きちんと起きて学校に通っていた。


私の心は限界を超えていたが、人に頼ること甘えることができないため必死に頑張った。

そんな矢先に、私は難病にかかってしまった。


病名は『 アレルギー性紫斑病』この病気は何らかなの菌が腎臓に攻撃をし、血管がボロボロになり内出血、そして腎炎になる。
そのため、歩くことは血管の負担になるため、内出血が無くなるまでは、1回歩ける時間は30分が限界だった。いわゆるドクターストップだ。


そのため児童養護施設の先生が学校に送れない時はお休みだった。お休みの時はすんごく暇だったけど、いじめのことを忘れられて幸せだった。
いじめに会うことがないのならこのまま内出血が治らなければいいのにと何度も思った。
けど、病気は治ってしまう。
そして、またいじめが始まってしまう。



そんな時に聞いてしまった
いじめっ子の家の事情を、親が再婚そのため環境が代わり、そのいらだちを私にあてていたのだ。
あ〜私と一緒で辛かったんだなぁと思った。
けど、いじめは良くない、それは変わりない。




そこからいじめっ子はまだいじめては来るけど、気持ちがわかるから、我慢した。
そして小学校高学年になってその子とクラスが離れた、すごくすごく平和な日常になった。




そんな時に作文発表会があった、作文にする内容は、『 どうしたらいじめが無くなるのか』だったと思う。


私は自分のいじめの経験を元に、作文を書いた。
内容は忘れてしまったが、先生に選ばれクラスメイトの前で読まれた、その際私は泣いてしまったがクラスメイトの数人も泣いてくれた。

「あ〜この先生やクラスメイトは、私の作文を見て感動してくれたんだなぁ」とこの担任このクラスになれて良かった。っと思った。最後まで楽しくて、団結力のあるクラスになった、そしてついに卒業になった、とても悲しかった、でも、みんな一緒の中学だったため、また春にとお別れをした。それが私の小学生時代のお話だ。