「いってらっしゃーい!」

と2人で言ってはみたが、もうほとんど聞こえない位置にいるだろう。あんなに慌てて出ていったのだから。


「まったく、あわただしい父さんだな~」


そういう海の顔は優しげだ。少し口角が上がっている。青島家は昔から喧嘩も聞いたことがないほど仲良しで、うらやましい。

私とは違って愛されているんだな、といつも思う。
私は「ひだまり」に居場所を求めている。承認欲求が満たされる、この場所から離れられない。


海が「食べよっか」と言ってきたので食べ始めることにした。


「「いただきます」」


ぱんっと両手をあわせてから、食べ始めるのはいつものことだ。海のお母さんが生きていた時からこの習慣は定着している。

ひと口食べるとパスタのちょうどよい歯ごたえと温かさが体に染みる。味は濃くもなく薄くもなく、ひだまりでしか食べられないこの味に舌鼓を打つ。


「どうかな?」


海が不安げに味の感想を聞いてきた。


「とってもおいしい!!味の濃さもちょうどいいし」

「本当?よかった。けど、父さんの料理にはまだ近づけないな」

「そうかなぁ。お父さんと変わらないくらいとっても美味しい。でも、海はすごいなぁ。どんどん上手くなってる。」

「ほのか、ありがとう。もっと上手くなれるように頑張るよ」


やっぱり海はすごいなぁと思いながら、雑談しているうちにあっというまに食べ終わった。コーヒーも少なくなったので、おかわり淹れようかと聞こうとした時、海が誰に言うともなく静かにこう言った。


「俺、上手くやれてるのかな。母さんの代わりになれてるのかな。毎日料理を勉強して、父さんを手伝って。ほのかみたいに上手くコーヒーを淹れることもできなくて、頼らないと俺にはできない」

「…私は料理は全然だめだし、コーヒーくらいしか上手くできないから。料理上手な海を尊敬してるよ」

「ありがと。でも、もっと頑張らないと父さんみたいになれないし、頼られるくらいの存在になりたい。母さんの分まで頑張らないといけないんだ」


そういう海の横顔は寂しそうで思わず抱きしめてしまっていた。海のお母さんが亡くなってからは、ときどき発作のようにこうなる。
それを私はなぐさめる、いつものことだ。優しい彼は怒りを他人にぶつけられない。

迷うように、海の手は空を彷徨っている。


「海は海なんだよ。別にお母さんと同じじゃなくてもいいの。」


そう私が言うと海はぎこちなく、抱きつき返してきた。


「ありがとう。でも、俺、どうしたらいいんだろう」


幼い子供みたいな声でポツリと彼は言葉を溢した。答えをあげられない、そんな無力感が全身をめぐる。


「ねぇ、ほのか。助けて」


彼の言葉は少し嗚咽混じりで、私の肩に埋めた頬に水滴が落ちる。私に顔を見られないようにするためか、抱きつく力が少し強くなる。強すぎず、安心するくらいの心地よい強さで。

依存そんな言葉が一瞬脳をよぎる。けれど、私達は離れられない。いままでもこれからも、ずっと。


海の背中をなでていると、海は少し抱きつく力を弱めて、おもむろに私の体から手を離した。少しの逡巡の後、私が拒否できるほどの間を空けて、彼の唇が私の口に落ちた。触れるだけのキス、それでも私の心は砂糖のような甘さに包まれた。

耳を赤くしながら恥ずかしそうににへっと笑う彼。


苦いコーヒーのような味で…私たちの関係のようだった。
けれど私達にとってはシロップのように甘い時間…