『海外生活が長かったからこれは
 普通の挨拶だから気にしないで。
 じゃあ俺は仕事があるから、
 好きなだけ見ててもいいよ。
 また‥‥来月からよろしく。』


「‥‥‥」


ガチャン


最後に頬に軽く触れた唇に体が
ビクッとハネてしまうものの、
全く動けなかった‥‥


な‥‥なんなの‥‥‥?


ペタンとその場に座り込み、
触れられた唇に残る感触を自分の指で
触ってみる


キス‥‥?


挨拶とは言われたけど、初対面で
これから一緒に働く人にキスされた‥‥



デザインを見て選考してくれたことには
感謝しかないし、働きたい意思も
変わらない。家賃もタダでこんないい
条件はないと思うけど‥‥


「もしかして‥すごいとこに
 来てしまったのかも‥‥」


恋人だって今までいたし、
初めてではないけど、あんなに軽い
気持ちのこもってないキスは
初めてだった。


今更戻る職場もないし、
住む部屋さえ退去手続きしてあるから、
ここでやるしかないよね‥‥‥


何度もその場で考えては溜め息を
漏らしてしまったけど、考えてても
仕方ないので、鍵をかけて階段を
降りていった。


なんとなく顔合わせづらいから
もうこのまま帰ろう‥‥


それから月末まで、変わらず終電
帰りの日々が続き、週末はひたすら
昼まで寝て、引越しの準備に追われる
生活を送ってしまい、他のことなど
考える余裕がなかった。



「家電はキッチンに。ダンボールは
 部屋の真ん中辺りに積んで頂ければ
 大丈夫です。」


あっという間に引越しの日を迎えて
しまい、業者さんに荷物を運び入れて
貰いながら30分もたたないうちに
一人暮らし分の荷物は新しい住居へと
やってきたのだ



「ご苦労様でした。」


バタン


そんなに荷物は多くないものの、
まずは普通に生活出来る最低限の
物から片付けていくか‥‥


備え付けのウォークインクローゼットに
持ってきた衣類関係を少しずつ
並べていき、キッチンに食器や調理
器具を並べ始めた。


器を集めるのが好きで少しずつお気に入りを見つけるたびに買い足していた
ガラス皿や色ごとに集めた陶器などを
取り出していると、インターホンが鳴り
ドアモニターに山岡さんが映っていた


「はい」


『差し入れ持ってきたから開けて。』


えっ?


なんとなくあれから顔合わせるのが
気まずいままだったけど、上司を
無視するわけにもいかず仕方なく
ドアを開けた。


ガチャ


『‥‥‥おはよう。‥なんで内鍵
 外さないんだ?』


「えっ?‥あ、すみません癖で‥。」


本当は癖ではなかったけど、
なんとなく警戒した上での無意識の
行動をとってしまったのかもしれない


相変わらずの美しい容姿はそのままで、
ニコっと笑うと大きな紙袋を私に
渡してくれた。