「それでね、ロッツ。私ね、実はとっても負けず嫌いなの」
「うん、知ってる」
「あの二人に勝ったと思えるくらい──私、幸せになりたいわ」
「──なろう」

 ロッツが手綱を引いて馬車を止める。
 そうして、私を両膝の間に座らせると、高らかに言い放った。

「二人でなろうよ! ラインとナミが──ううん、世界中が羨むくらい、幸せな夫婦に!」

 馬達が、なんだどうしたと振り返ってくるが、彼はお構いなしだ。

「アシェラ、キスしていい!?」
「どうして?」
「どうしてもこうしてもないよ! 今、めちゃくちゃ君にキスしたい!!」
「そう……私、キスってまだしたことがないのよね」

 とたん、ロッツがひゅっと息を呑んだ。
 かと思ったら、バッと両手を広げて小麦畑の真ん中で叫ぶ。

「全世界のみなさん、おはようございます! 聞こえておりますでしょうか!? 僕は! 今から! アシェラの! 初めての! キスの相手に! なりますっ!!」
「うるさっ……勝手に宣言しないで。まだ、いいって言ってな……」

 キスの許可を出す前に、私の唇は塞がれてしまった。
 生まれて初めてのキスは性急で、けれども自分が選んだ相手なのだと思うと、なかなかに誇らしい気分だった。

 そうだ、私が選んだ。

 ロッツは、私が自分で選んだ、ただ一人の男。

 とはいえ……

「舌を入れていいとは、言っていないわ」
「──ふぐっ!?」

 ゴツッという鈍い音とともに、調子に乗った男が御者台に沈んだ。
 親友スピカからの贈り物は、またしても私のへなちょこパンチを百倍にしてくれたのだ。
 私は、今度は小麦畑の真ん中で拳を突き上げた。

「アシェラ……それ、没収……」
「いやよ」

 舌噛んだ、血の味がする、とロッツが文句を垂れている。
 私はそれを見下ろしにっこりと笑って言った。

「ロッツ、鼻血を垂らしてるあなた、なかなか可愛いわ」
「へ? あ……ああ、あ、ありがとうございますっ──!!」

 今までで一番無様な姿をした男から手綱を取り上げる。
 そうして、新たな人生の幕開けとなるヴィンセント王国の朝に、私は自ら馬を進めたのだった。