「ジャックには、概ね悟られているとは思っていたよ。ただ、彼もアシェラとラインの婚約が気に入らないみたいだったから、僕のやり方を黙認してくれると高を括っていたんだけどね」
「ジャックは、自分からは何も言及してこなかったわよ。私の答え合わせに付き合ってくれたり、気まぐれにヒントをくれたりはしたけれど」
三つ下の弟ジャック。
彼は、ロッツと同じ天才だった。
王立学校時代は十二回の試験全てで満点首位を独占し、卒業した現在は国王陛下の補佐をする片手間で、王女オリビアの家庭教師まで務めている。
飄々としているように見せかけて、人の心を容易く意のままに操って支配する。
ジャックは間違いなく、ヒンメル王国の未来を背負う人間だった。
「ロッツだって、本当は全期満点首位を独占することは容易かったでしょうに。それなのに、どうして四回も私に勝たせたの?」
「だって、戦友だって思ってもらわないと、アシェラは僕を受け入れてくれなかったでしょ? 君の悔しがる顔も可愛いけど、喜ぶ顔はもっとずっと可愛いって知っていたからね」
「勝たせてもらったとも知らずに喜んでいた私を、ばかにしていたんでしょう?」
「アシェラをばかにしたことなんて、一度もないよ。いつだって一生懸命な君を尊敬していたし、君とともにあれた日々は今も僕の宝物だ」
そんなのうそだ、と吐き捨ててやりたくなった。
けれども思い止まったのは、ロッツと私の関係を、私とラインの関係に置き換えて想像したからだ。
ラインもかつて、私がよい成績を収める度に、凡庸な自分をばかにしているのかと詰った。
あの時、少しもそんなつもりはなかった私には、彼の気持ちが理解できなかったが……
「ラインも、きっとこんな気持ちだったのね」
私は、祖国のために努力をして結果を残しているだけであって、自分と彼を比べて優劣をつけたことなんて一度もなかった。
しかし、ラインはそう思わなかった。
私に嘲笑われているだろうと勝手に腹を立て……そして、ひどく傷ついていた。
私は彼と同じ立場になって、やっとそれに気づけたのだ。
「ラインに私の気持ちなんてわからないって思っていたけれど、私だって彼の気持ちをわかろうとはしなかった」
「ラインの話ばかりするの、やめてよ」
不貞腐れた顔をしたロッツが、手のひらで私の口を塞ごうとしてくる。
彼のこの嫉妬が本物なのか演技なのかは、私には判断がつかない。
けれども、もとよりロッツの気持ちなど慮るつもりもないため、その手を振り払って続けた。
「ロッツも同じよ。あなたがどれだけ天才だったとしても、私の気持ちはわからない」
「アシェラ……」
「私にも、あなたの気持ちはわからない」
「アシェラ」
ロッツから、ついに表情が消えた。
綺麗なばかりの人形のようなその顔を、私はまじまじと見つめて告げる。
「結局、人間は自分の気持ちしかわからないということね」
馬車は峠に差し掛かったらしく、勾配と揺れが激しくなった。
進行方向に向いた座席に座り直したロッツに、私はその腕の中から問う。
「ねえ、ロッツ。どうして、私とラインの婚約を解消させようとしたの?」
「そんなの、僕がアシェラと結婚したいからに決まって……」
「それも一因かもしれないけれど、一番の理由はそれじゃない」
「……」
きっぱりと言い切った私に、ロッツが口を噤む。
ガタガタと馬車が揺れた。
私を抱く腕に力が籠る。
菫色の瞳は逡巡しているように見えた。
私はそれをじっと見つめているうちに、不思議な心地を覚える。
十三歳のあの日──ロッツが五年生の公爵令嬢とキスしているのを目撃した日、私は彼に対する恋を諦めてよき友人であろうと決意した。
それなのに、ロッツの方はずっと私を手に入れる算段を立て続けていて、出会ってから十年が経った今、ついにこうしてヴィンセント王国へ連れ帰ろうとしているのだ。
すべては彼の思うがまま。
私は、彼の手のひらの上。
それなのに──
「ロッツ、はっきり言って」
私がそう急かすと、彼はひどく苦しそうな顔をした。
それでも、やがて観念したかのように口を開く。
「ヒンメル王国は、この大陸にとってなくてはならないものだ。王立学校は、各国の未来を背負う者達の出会いと交流の場となっている。国も文化も宗教も、全ての垣根を越えて学び切磋琢磨し合えるあんな場所は他にはありえない。万が一にもこれを廃れさせれば、やがて大陸中の不和に繋がるかもしれない。そんな国の王に──ラインは相応しくない」
きっぱりとそう言い切ったロッツは、それなのに、と続けた。
「アシェラが王妃となることに、ヒンメルの人々は希望を見出してしまっていた。君さえいれば、ラインが国王でもいけるんじゃないかってね」
相槌も打たない私に構わず、ロッツは畳み掛ける。
「僕に言わせれば、そんなものは幻想だよ。いくらアシェラが優秀でも、いつまでラインの泥舟で浮いていられると思う? そのうち、一緒に水底に沈むに決まってるんだ」
菫色の目がぐっと睨んだのは、ここにはいない元同級生の姿だろうか。
「幸い、ヒンメル国王にはもう一人子供が……王女がいる。オリビアはまだ幼く独善的なところはあるけれど、素直で勤勉だ。国民の受けもいい。何より──彼女の側にはジャックがいる」
弟の名が出たとたん、私の身体は無意識に震えた。
ロッツはそんな私を一度きつく抱き締めてから──私の望み通り、はっきりと引導を渡した。
「ヒンメルの未来を担うのは、ラインとアシェラではない。オリビアとジャックだ。アシェラはもう──ヒンメルに必須の存在じゃないんだよ」
私は、たまらず両目を瞑った。
本当は、うすうす気づいていたのだ。
ただそれを認めることが辛くて、悔しくて、ずっと気づかないふりをしていた。
ジャックは生まれながらの天才で、私は努力に努力を重ねてようやく秀才と呼ばれるまでに這い上がった凡人。
その違いには、天と地ほど差がある。
ジャックがいれば、私はいらない。
私の努力を、祖国はもう必要としていない。
これを認めた瞬間、私は本当の意味で自由になったが、同時に心にぽっかりと大きな穴が空いた気分になった。
生きていくためには、きっとこの穴を何かで埋めなければならないだろう。
そんなことを考えながら目を開けて──ぎょっとした。
「……どうして、ロッツが泣くの?」
「僕にこんなことを言わせるなんて……アシェラはひどい」
目の前のロッツの頬が濡れている。
綺麗な菫色の瞳からは、次から次へと雫が溢れてきた。
大の男がこんなにボロボロと泣いていることに、私は呆気に取られる。
「言いたくなかった──気づかせたくなかったんだ。アシェラを、悲しませたくなかった。君の誇りを、傷つけたくなかった!」
ロッツは膝の上の私をぎゅうぎゅうと抱き締め、グスグスと鼻を啜りつつ震える声で言った。
その背中を宥めるように撫でながらも、この涙も計算なのかしら、とどこか冷めたことを考えている自分いる。
祖国に必要とされなくなった私は、これからこんな風に、ロッツに同情されつつヴィンセントで生きるのだろうか。
(虚しい……)
一つ、大きくため息をついた時だった。
「──わっ!?」
つんのめるようにして、馬車が急停止する。
さっと険しい表情になったロッツが、車窓のカーテンの隙間から外を覗いた。
夜の闇に沈んで、私の目には何も見えなかったが……
「──盗賊団だ」
潜めた声で、ロッツがそう呟いた。
「ちょっと片付けてくるね。絶対に、扉を開けてはいけないよ」
ロッツはそう言って、馬車を降りていった。
確か、近頃国境付近で盗賊団が暗躍しているとかなんとか父が言っていたような気がするが、運悪くそれに遭遇してしまったのだろう。
キンとかカンとか剣を打ち合う音や、オリャーだのドリャーだの男達の怒号が聞こえてくる。
ロッツもウルも腕に覚えがあるようだし、あのケットとかいう凄まじい面構えの御者も只者ではなさそうだった。
しかしながら相手の数が多いのか、なかなか決着がつくそぶりがない。
私は一人馬車の中、乳母が掛けてくれたケープを握り締めて息を潜めていたが……
「私はこれから、こんな風にロッツに守られるだけの人生を送るのかしら」
ふいに、ぽつりと自分の口から溢れ出したそんな言葉に、ぞっとした。
私は、ロッツのような天才ではないし、ウルみたいに周囲を惹きつけ従わせる天賦の才能を持っていない。
ケットのような屈強な身体でもない。
今出ていったって、きっと足手まといになるだけだろう。
けれど……
「私はずっと、対等でありたかった。ロッツとも、ラインとも……」
ヒヒンと馬のいななきが聞こえる。
それに交じって、カリカリと何かを引っ掻くような音が耳に届いた。
はっとして顔を上げた私は、思わず座席から腰を浮かせる。
カーテンの隙間から、黒々としたつぶらな瞳が覗いていたからだ。
「まあ……あなた、ついてきたの?」
よっ。
などと言って、窓の向こうでちっちゃな片手を上げたのは、紛れもない。
あの、黄金色の毛並みをした野ネズミだ。
野ネズミがよっなんて言うわけも、片手を上げて挨拶するわけもないので、やっぱり私は凄まじく疲れているのだろう。
そんな中、何やら野太い悲鳴がいくつも上がり、居ても立っても居られなくなる。
私は自分の荷物から取り出したあるものを握り締め、ついに馬車の扉を開いた。
「これは……」
暗闇の中、盗賊達が持ち寄ったであろう松明でもって、驚くべき光景が浮かび上がっていた。
ロッツとウルとケット以外──つまり、盗賊達だけが何かの大群に襲われているのだ。
それは、茶色い毛並みの野ネズミだった。
「すごい……あの子達、もしかしてあなたのお友達?」
げぼくじゃ。
とかなんとか聞こえたような気がしたが、ともあれ味方ならばネズミでも何でも構わない。
私はとたんに、わくわくとした心地になった。
そのわくわくに背中を押され、馬車から御者台へと飛び移る。
ところが……
「お、女!? おい、すげぇ上玉、乗せてやがるじゃねぇかっ!!」
たまたま近くにいた盗賊に見つかってしまった。
しかも、彼が頭領なのだろうか。
図体の大きさも品の無さも悪意も、救いようのない方向にずば抜けている。
「荷も男もどうでもいい! この女だけもらってずらかるぞ!!」
男は爛々と目を輝かせ、身体中に張り付いていたネズミ達を振り払った。
そうして、その薄汚れた巨大な手を伸ばしてくる。
「アシェラ!!」
ロッツが鋭く私の名を呼んでこちらに駆け出したのと、
「──触らないでくださいな」
私の右の拳が唸るのは同時だった。
ゴツッという鈍い音とともに、私の拳──ではなく、そこに装着した鉄の武器が、男の顔面にめり込む。
相手の鼻の骨が、そして前歯の折れる音が、拳の骨を伝って私の脳髄にまで響いた。
ぞくぞくとした心地がして、心臓が激しく脈打つ。
私は、自分の口角が上がっていくのを感じていた。
ドターン! と男が仰向けに倒れ、そこにすかさずネズミ達が群がる。
バリバリと齧られる音と断末魔の叫びが響く中……
「私……人を殴ったのって、初めて!」
満面の笑みを浮かべ、私は夜空に向かって拳を突き上げた。
私の拳を守ってくれた鉄の武器は、横並びに空いた四つの穴に指を通し、握り込んで使用する。
ラインに叩かれ、頬を腫らして登校した十三歳のあの日、次はやられる前にやるんだよ、と言ってスピカがくれたものだ。
あれから今日まで使う機会がなかったが、七年を経てようやく活躍の場を得た。
スピカ曰く、アシェラのへなちょこパンチの威力を百倍にしてくれるよ、とのことだったが眉唾物ではなかったらしい。
とにかく、爽快な気分だった。
わーっと歓声を上げたのは、もしかしてあの野ネズミだろうか。
人間達は呆気にとられて固まっていたから、きっとそうだろう。
ヒンメルの野ネズミはしゃべるのだ。
もうそれでいい。
「ア、アシェラ……!?」
「うれしそうな顔しやがって。あいつ、何かヤバいものに目覚めたんじゃないのか?」
「姐さん……すてき……」
ぽかんとするロッツと、顔を引き攣らせるウル、そして何やらうっとりとしているケット。
三者三様の男達ににっこりと微笑んで、私は馬車を発進させる。
「ロッツ、ウル、ケットちゃん──乗って!」
「「──ケットちゃん!?」」
「はいっ、姐さんっ!!」
ぎょっとした貴人達を差し置いて、よいお返事をしたケットが真っ先に馬車に乗り込んだ。
我に返ったロッツとウルも、それぞれ御者台と馬車に飛び乗る。
手綱を握る私の手を、ロッツのそれが慌てて掴んだ。
「アシェラ? ねえ、君! 馬車の操作なんてできたっけ!?」
「私だってこの四年ただ遊んでいたわけじゃないのよ。──第三十一回ヒンメルばんえい競走で優勝しました」
「なにそれ、すごい! ますます好きになっちゃうぅうう!!」
「はいはい、口を閉じていないと舌を噛むわよ」
はわ、かっこいい……しゅき……と、うっとりして見つめてくるロッツを無視し、私はひたすら馬車を走らせた。
ネズミに齧られる盗賊達の間をすり抜け速度を上げた馬車は峠を越え──ついに、国境へと到着する。
あの野ネズミの姿を見ることは、もうなかった。
盗賊団の捕獲は国境に配備されていたヒンメル側の騎士達に任せ、私達はヴィンセント王国へと入った。
御者台には、そのまま私とロッツが座っている。
ウルとケットが、酒を飲んでしまったからだ。
「うう……申し訳ございません、姐さん。殿下が、嫌がる私に無理やり酒を……」
「まあ、ケットちゃん、かわいそうに。悪い王子様にはお仕置きが必要ね。──ウル、お尻を出しなさい。ぶってあげます」
「いやお前、絶対殴りたいだけだろ? おい、ロッツ! アシェラのそのヤバい武器、取り上げとけよ!」
「ねえ、アシェラ……それ、アーレン製の武器だよね? スピカがどうして次期皇帝に抜擢されたか知ってる? 七人の兄上達を全員ボッコボコにして勝ち抜いたからだよ?」
やがて箱の中の主従が酔い潰れて静かになった頃、空が白み始めた。
手綱を譲ったロッツのブロンドが、黎明の光を受けてきらきらと輝いている。
そのえも言われぬ美しさに感慨を覚えていると、いつの間にかこちらを見返していた彼が、ため息交じりに言った。
「アシェラは、きれいだね……やっと君を、ヴィンセントに連れて帰れた。これは、夢じゃないよね?」
しかし、私はそんな彼をじとりと見上げて言い返す。
「都合のいいこと言うわね──私以外の子と、お付き合いもキスもしたくせに」
「えーと、それはさぁ……」
とたんにばつが悪そうな顔をする相手に肩を竦め、私は前を向き直してから改めて口を開いた。
「王立学校を卒業した後、私は大陸中の国々の歴史を研究して、王立学校は今後どう各国と関わっていくべきか、それに付随するヒンメル王国のこれからを模索してきたの」
「うんうん」
「その過程で、各国の王侯貴族の動向も詳しく調べたわ。それで一つ、気づいたことがある」
「へえ、何だろう」
こちらも前を向き直し、微笑みを浮かべて相槌を打っていたロッツが、次の言葉を聞いた瞬間、表情を消した。
「ロッツが王立学校時代にお付き合いした相手の家が──ことごとく失脚していた」
最初は、ロッツが何かしたのかと思った。
しかし、詳しく調べていくうちにそうではないことがわかってくる。
どの相手の家も、大なり小なり、元々きな臭い噂のあるものばかりだったのだ。
そのため、私はこう仮説を立てた。
「あなた──ウルに近づけないために、先に彼女達と付き合ったのかしら?」
十三歳の私が、ロッツとキスをしている現場を目撃してしまったあの二つ年上の公爵令嬢もそうだ。
かの公爵家も汚職で断罪され、彼女は卒業を待たずに王立学校を去っている。
「……」
私の問いに、ロッツは答えなかった。
この沈黙を肯定ととればいいのか、私が勝手にそうすることを期待しているだけなのかは、判断がつかない。
凡人の私に、天才の思いは理解できない。
だから、私は彼の答えを必要としなかった。
「そう思ったら……ロッツは、彼女達を本心から好きだったわけじゃないんだって思ったら、少しは気持ちが楽になった。私はそうやって、自分を慰めたわ」
「ア、アシェラ……」
今度は、私の言葉にロッツが動揺するそぶりを見せる。
それも、彼の本心なのか演技なのかを見破る力は私にはない。
しばし、私達の間に沈黙が流れた。
太陽がついに山際から顔を出し、ヴィンセントの朝を照らし出す。
一面に広がる小麦畑は、ヒンメルのそれと少しも変わらず、祖国を出てきた私を不安にさせることはなかった。
「……ウルはね、僕の王なんだ」
やがて、ロッツがぽつりと口を開く。
「初めて出会った時は二人とも赤子だったけれど、僕はその瞬間を覚えている。この人のために、僕は生まれてきたんだって、そう思ったんだ」
「そう……」
「昨夜ダールグレン公爵邸で告げた通り、僕の忠誠はウルに捧げてしまった。でも、それ以外は全部アシェラに捧げるという言葉にも嘘はないよ」
「……」
ここで、ロッツは私を見た。
私も、彼を見る。
朝日に照らされたその顔を、やはり素直に美しいと思った。
そして、そこにゆっくりと滲んだ微笑みを、私はこの時、どうあっても愛おしいと感じたのだ。
「アシェラは──僕の、女神だから」
私は、そんな自分に対して苦笑いを浮かべ、意地悪く言う。
「その言葉も、私を絆すための嘘かしらね?」
「ちがう」
「どうやって、それを信じろと?」
「僕の一生をかけて証明する」
ロッツの考えていることなど、今も昔もこれからも、きっとわからない。
それを苦しいと感じる私の思いを、ロッツもきっと一生理解できないだろう。
でも……
「それを証明するために、私は一生、あなたに付き合わないといけないわけ?」
「うん、そうだよ。アシェラはこれから一生を僕と一緒に過ごすんだ。言ったでしょ、もう離れたくないって」
この男と過ごす一生は、きっと楽しそうだ。
私は今、自分がこれまで感じたことのないくらい、わくわくしていることに気づいた。
ぽっかり空いていたはずの心の穴なんて、塞がるどころか内側から湧き出したものが溢れてしまいそう。
私は、ロッツの肩に頭を預けて笑った。
「ロッツとこうしているなんて、不思議。ほんの三日くらい前までは、私はまだラインと結婚するつもりだったのに」
「……アシェラの口から、もうその名前は聞きたくないんだけどな」
ラインの名前を出すと、ロッツはとたんに拗ねた顔をする。
これが演技だとしても面白いと思っていた私に、彼は唸るように言った。
「アシェラは信じないと思うけどね。ラインは、ちゃんと君のことが好きだったんだよ」
「……何を言い出すの?」
突拍子もない話に、私も眉を寄せる。
ロッツも拗ねた顔のまま、そんな私の頬を撫でた。