馬車は峠に差し掛かったらしく、勾配と揺れが激しくなった。
 進行方向に向いた座席に座り直したロッツに、私はその腕の中から問う。

「ねえ、ロッツ。どうして、私とラインの婚約を解消させようとしたの?」
「そんなの、僕がアシェラと結婚したいからに決まって……」
「それも一因かもしれないけれど、一番の理由はそれじゃない」
「……」

 きっぱりと言い切った私に、ロッツが口を噤む。
 ガタガタと馬車が揺れた。
 私を抱く腕に力が籠る。
 菫色の瞳は逡巡しているように見えた。
 私はそれをじっと見つめているうちに、不思議な心地を覚える。
 十三歳のあの日──ロッツが五年生の公爵令嬢とキスしているのを目撃した日、私は彼に対する恋を諦めてよき友人であろうと決意した。
 それなのに、ロッツの方はずっと私を手に入れる算段を立て続けていて、出会ってから十年が経った今、ついにこうしてヴィンセント王国へ連れ帰ろうとしているのだ。
 すべては彼の思うがまま。
 私は、彼の手のひらの上。
 それなのに──
 
「ロッツ、はっきり言って」

 私がそう急かすと、彼はひどく苦しそうな顔をした。
 それでも、やがて観念したかのように口を開く。

「ヒンメル王国は、この大陸にとってなくてはならないものだ。王立学校は、各国の未来を背負う者達の出会いと交流の場となっている。国も文化も宗教も、全ての垣根を越えて学び切磋琢磨し合えるあんな場所は他にはありえない。万が一にもこれを廃れさせれば、やがて大陸中の不和に繋がるかもしれない。そんな国の王に──ラインは相応しくない」

 きっぱりとそう言い切ったロッツは、それなのに、と続けた。

「アシェラが王妃となることに、ヒンメルの人々は希望を見出してしまっていた。君さえいれば、ラインが国王でもいけるんじゃないかってね」

 相槌も打たない私に構わず、ロッツは畳み掛ける。

「僕に言わせれば、そんなものは幻想だよ。いくらアシェラが優秀でも、いつまでラインの泥舟で浮いていられると思う? そのうち、一緒に水底に沈むに決まってるんだ」

 菫色の目がぐっと睨んだのは、ここにはいない元同級生の姿だろうか。

「幸い、ヒンメル国王にはもう一人子供が……王女がいる。オリビアはまだ幼く独善的なところはあるけれど、素直で勤勉だ。国民の受けもいい。何より──彼女の側にはジャックがいる」

 弟の名が出たとたん、私の身体は無意識に震えた。
 ロッツはそんな私を一度きつく抱き締めてから──私の望み通り、はっきりと引導を渡した。