「今日はラインの虫の居所がよくないから、取り返しのつかないことにならないよう注意しておいた方がいいよって。実際に虫の居所がよくないのは私の方だったけれど……あの日、私がラインにぶたれることも、あなたの想定内だったのね?」
「──ちがう!」

 ここで、ロッツは初めて声を荒げた。
 一瞬口を噤んだ私に少しだけばつが悪そうな顔をして、ちがうよ、と繰り返す。

「あんなことになる前に止めさせるために、わざわざ忠告したんだ。ラインに嫌がられても同席しろって言ったのに、あの侍従ときたら……。僕は誓って、君に痛い思いをさせる気なんて、なかった」
「そう、じゃあ──」

 私はロッツの手を乱暴に振り払い、静かに問うた。


「私に、上級生とキスしているところを見せたのも、わざと?」


 ロッツは一瞬きょとんとした顔をした。
 かと思ったら、にっこりと微笑んで答える。

「そのつもりであそこにいたわけじゃないけど、君に見られたことには気づいていたよ。アシェラが嫉妬してくれて、うれしかったなぁ」
「最低……私があの時、あなたを好きだったことにも気づいていたのね?」
「うん、もちろん。アシェラが僕を好きになるのは真理だよ。だって、僕がそうなるように仕向けたんだもん」
「人の心をなんだと思っているのよ……」

 腹を立てたら負けだと分かっていても、どうにもムカムカとしてしまう。
 私は余裕のない表情を見られまいと顔を背けようとしたが、ふいに伸びてきた手にそれを阻まれてしまった。
 ロッツは両の手で私の頬を包み込むと、お互いの鼻先がぶつかり合うくらいにまで顔を近づけて言う。


「言っておくけど──僕が先に、アシェラを好きになったんだからね?」
「……え?」


 思いも寄らない言葉に、私は視線を上げる。
 とたん、菫色の瞳に全てを絡め取られてしまった。