「いや」
「……っ」
「って言ったら、どうする?」
「いやって言っても、このままさらっていく。僕はもう、君から離れたくないんだ」

 幼子が駄々を捏ねるような物言いながら、こちらの表情には幼さの片鱗もない。
 四年ぶりの相手の顔をまじまじと眺めてから、私は小さく肩を竦めた。

「残念ね。私、これから一人旅に出る予定なの」
「一人旅……?」

 ロッツの秀麗な眉がピクリと震える。

「まず、アーレンへ行ってスピカに会うでしょ」
「だめ」
「そのあと、ちょっと遠いけれどヴォルフにまで足を伸ばして、マチアスにたかろうかと思うの」
「だめだよ」

 さらに続けようとする私の言葉を、ロッツはきつく抱き締めて遮った。

「一人旅なんて、だめに決まっているでしょ? アシェラはこんなに可愛くて美しくて魅力的なんだよ? 君を放っておけるほど、世の野郎どもが枯れているわけないでしょ!?」
「でも、男のふりをするのよ。まずは髪を切って……」
「髪を切って男のふりをしたからなんだって言うの! 僕がモブ男だったら、君が男に見えようと、もしも実際に男であったとしても、絶対に声をかけている! 絶対! 絶対に、だっ!!」
「……そうかしら」

 耳元でキャンキャンうるさく吠えるロッツから目を逸らし、私は屋敷を見上げた。
 使用人達が持ち寄った明かりに照らされているせいで、庭を見下ろしている者達の表情もよく見える。
 ベランダの手摺りに頬杖を突いたジャックはニヤニヤとして、私ではなくおそらくロッツを眺めている。
 父は穏やかな笑みを浮かべているが、どうせ心のうちは私ごときには悟らせないだろう。
 その後ろからそっと顔を出した母とだけは目が合った。
 彼女が慈愛のこもった眼差しをして、小さく一つ頷く。
 最後に、私は自室のベランダに目をやり──

「……アシェラ? 今、誰に手を振ったの?」
「小さなお友達、かしら」

 ベランダの柵の隙間から、手を振っている野ネズミに応えた。
 野ネズミが手を振ってくる幻覚が見えるだなんて、私はいよいよ疲れ切っているのだろう。
 そんな自分も、この状況も、だんだんとおかしく思えてくる。
 私はくすくすと笑いながら、何やら面白くなさそうな顔しているロッツの頬をペチペチ叩いて告げた。
 

「行くわ──ヴィンセントに」