ヒンメル王国は、大国に囲まれた小さな国だ。
 嘘か誠か、王家の始祖は野ネズミの姿をした悪魔と知恵比べをして、この地を勝ち取ったという。

 台地の中心部にあり、その丘の上に王城を守るように町が築かれている。
 郊外には麦畑の他にも野菜や果物の畑が広がっており、特にブドウの栽培に秀で、上質のワインの産地としても知られている。
 また、初代国王が学者であったことから、早くから教育制度が整えられ、国民の識字率は大陸随一を誇る。
 そんなヒンメル王国にあって最も高度な教育が受けられるのが、双頭のごとく王城に並び立つ王立学校だ。
 広く門戸を開き、周辺諸国より王侯貴族の子女の留学を積極的に受け入れてきた。
 私とジャックの父であるダールグレン公爵は長年その学長を務めており、多くの教え子達からも父のように慕われている。
 しかし、そんな人徳者に対し、ヒンメル大聖堂はここ数年不満を抱いていた。
 彼が、かつては必修科目であったヒンメル聖教の授業を、選択自由科目に変更したためである。
 大陸の国の大半は多神教を信仰しており、それぞれに土着の神がいる。
 にもかかわらず、多くの留学生を受け入れる王立学校においてヒンメルの神を崇めるよう強制することは、あまりにも多様性に欠けると判断したからだ。
 私と婚約していたライン王子は現ヒンメル国王の第一子。
 大聖堂は、私が将来王妃となってダールグレン公爵家の発言力がさらに強まることを恐れていた。
 そのため、摩訶不思議な現れ方をしたナミを聖女に仕立て上げることによって、大聖堂の権威を高めようと考えたのだ。

「聖女、ねえ……。異世界から来たのかどうだか知りませんが、あのナミって女、四年経った今でもまだヒンメル聖教の経典さえ読めないそうですよ。僕や姉上なんて、三歳で全暗記させられましたのにね?」
「きっと興味がないのでしょうね。こちらに来た当初、知識がなければ不便だろうと王立学校で学ぶよう父様が勧めたというのに、勉強が嫌いだからと言って断ったそうよ」
「それで王子の妻になろうなんて、片腹痛いですね。殿下が不出来な分、姉上がヒンメルの面子を保とうと常に首位の成績を収めていたのも知らないで」
「私、負けず嫌いですもの。けれど、全て首位を取れていたわけではないのよ?」

 ジャックの言葉に肩を竦めつつ、私は過去に思いを馳せた。