「え?ちょっと紫苑!?改札入らないの?」


スピードを緩めずに黙って歩き続ける彼に声をかけると、


「お前ん家にこのまま直行して、即うちに全ての荷物を運び込まれても困るんだよ」


至極真っ当な返答が来て、そりゃそうかと納得させられる。


「だから一度うちに帰る。荷物も置きたいし。あと、ついでに取りに行くモンもある」

「わかった」


そのまま紫苑の跡についていくこと凡そ5分。

事前に聞いていた通りの抜群の好立地にそびえた、首が痛くなるくらい背の高いタワーマンション。


1階のエントランスからしてもうそこには、私のような凡人以下の人間とは住む世界が全く異なる、格式高くてラグジュアリーな空間が広がっている。

中に入ってすぐのロビーには高級そうなローテーブルとソファがいくつか配置された歓談スペースがあり、さらにその先には、金色に装飾されたゴージャスなコンシェルジュデスクが設けられていた。

勤務していたスタッフたちが居住者である紫苑の帰還に気付き、ピンと伸ばした背筋をさらに引き締めて笑顔で出迎える。

ふと水の流れる涼やかな音が聞こえて振り返れば、向かいの壁がアクアウォールになっていて、その場を歩いているだけでも心地良い気分に浸れた。


そうして「おかえりなさいませ」一斉に頭を下げる3名のコンシェルジュの前を緊張気味に通り過ぎる私と違って、自然な動作でにこやかに会釈を返す紫苑からは、まざまざと格の違いを実感させられる。


「いつもご苦労様です。近々居候が増えるので、後ほど諸々の手続きお願いしますね」

「かしこまりました。カードキーの発行が必要な際は遠慮なくお申し付けくださいませ」

「ありがとうございます。でもまだ部屋に予備があるので大丈夫です。後で持ってきますね」


さっきまでの毒づいた態度とは打って変わり、営業モードで応答する紫苑に対して、向かいのコンシェルジュの女性も心なしか頬をピンクに染めてうっとりとしているような気が……しなくもない。


「……?」


そこで何やら刺さるような視線を感じて振り返れば、一番奥でこちらの様子を窺っていた別の若いコンシェルジュの女性が、その会話を聞いていたのか、“居候”の私をそれとなく観察せんとする意思が垣間見えた。

私が彼女に目を向けると咄嗟にそれを前方に戻して、何事もなかったかのように、そのタイミングでやって来た外部の来客対応に取り掛かる。


紫苑っては、自分の住まうマンションのコンシェルジュスタッフにまで一定数のファンがいるっていうの?


一体どれだけモテれば気が済むのかと、あまりの状況に私は困惑してものも言えなくなる。