「……え?」


“まだ足りない”


そう強く訴える女性の熱のこもった瞳を直視して、


「もう9時過ぎだよ。そろそろ帰らないと、旦那さん本気でスミレさんのこと捜しに来るかも」

「……わかったわ」


甘いマスクで優しく笑いかけるその彼に、女性は仕方なくわずかに首を縦に振る。



「また、連絡するわ。次の出張は少し先だから、しばらくは会えないかもしれないけど……」

「寂しいけど、仕方ないよ。誠心誠意、旦那さんに尽くしておいで?」

「わたしがいつも求めてるのは、あなたなのに」

「俺も、スミレさんのことを毎日想ってるよ」



吐き気をもよおすような甘ったるくて下品な会話が否応なしに耳に響いて、私は真っ暗な影の奥で思い切り眉をひそめた。


さっきから聞いていて思ったけどやはり――不倫か。

しかも、よりにもよって本気になっているのは恐らく、愛の誓いを立て伴侶を得た女性のほう。


男性が独り身かどうかはわからないけど、左手の薬指あたりに光るものはない。




気持ちが悪い。


別に不倫自体がどうこうっていう話じゃない。



ただ今は――

男女のそういう色恋みたいなもの全般が、どうしようもなく気持ちが悪かった。



それはきっと、その直前に顔を合わせて会ってきた、あの二人のせい。