ということは、父さんが現職時代に稼いでいた給料とか退職金とか、そういうお金は住宅ローンの返済にでも宛がわれたのか。

こんな場面でも、なぜか冷静に現実的な思考を巡らせている自分自身が可笑しくて、顔と声には出さず苦笑する。


「ではこれは有難く受け取ります。父のこと、よろしくお願いします。どうかお体気を付けて」

「ええ、ありがとう」


篤子さんは、自分の思い描いた理想通りの展開に事が運んだから、やけに満足そうに頬を緩めてひらひらと私に手を振った。


個室のドアを開けようとしたところ、そこで丁度お手洗いから戻ってきたらしい父とばったり出くわす。



「なんだ?まだ食事の途中だろう。どこに行くつもりだ?」

「お父さん、私は――」


私がその問いに答えかけるのと声を被せて、


「伸司さん、娘さん、これからご用があるそうなのよ。だからもう帰らなくてはならないんですって。それと、次の滞在先の当てももうあるみたいだから、あなたが心配する必要もないそうよ」


にっこり笑顔を浮かべる背後の篤子さんをちらりと盗み見て、その満面の笑みに背中が寒くなった。


女狐だと、正直に言えば思ってしまった。

父さんのことを愛しているのは事実なのかもしれないけど、本当にこの人を選んで大丈夫なのか、ほとんど疎遠状態の仲とはいえ仮にも親子だ。心配にもなってくる。だけど――


「そうか。そういうことなら引き留めて悪かった。父さんは篤子ともう少しゆっくりしてから出るから、お前は好きにしなさい」

「……そう。それじゃあね」


呆気なく篤子さんの言葉に惑わされて私の横をするりと通り抜ける父に、私はそれ以上の言葉を発さなかった。