「なんでですか?どうして俺が後ろなんですかー?」

地下駐車場に停めてある成瀬のスポーツカーに乗り込むと、後部座席から卓が身を乗り出してきた。

成瀬はグイッと手のひらで卓の頭を押し戻すと、脱いだジャケットを助手席の美怜に手渡す。

「ごめん、持っててくれる?」
「はい」

両手で受け取った美怜はジャケットを軽く畳んで膝に載せた。

「せっかく久しぶりに乗せてもらったのに、後ろなんてー」

まだ騒いでいる卓に、成瀬はじろりと冷たい視線を向ける。

「お前が隣にいると気が散って運転できん!それに結城さんはお前のせいで今までずっと後ろだったんだぞ?」
「美怜は後ろの方がいいんですよ」
「なんでお前が決めつける?!」

あ、あの…と美怜は両手を伸ばして控えめに二人をいさめた。

「ランチの時間がなくなっちゃいますから、そろそろ…」
「ああ、そうだな。じゃあ行こう」

成瀬はゆっくりと車を走らせ始める。

リモコンでガレージのシャッターを開けると、眩しい陽射しの下に真っ白な車のボディが輝いた。

「わあ、かっこ良くてわくわくします」

美怜が目を輝かせると、成瀬は「そう?」と嬉しそうにハンドルを切る。

だが「後ろから眺めるのも、これはこれでかっこいいっす!」と卓が身を乗り出すと、途端にげんなりした。

「富樫、五分でいいから黙ってくれ」
「黙ってるつもりなんですけど、心の声が漏れちゃって」
「漏らすな!」

二人のやり取りに苦笑いしていた美怜は、ふと横目で成瀬を見る。

(本部長、なんだかかっこいいな)

まくった袖から男らしいがっしりした腕が見え、真っ直ぐ前を見据えながら真剣にハンドルを握る横顔は精悍で凛々しい。

普段はあまりじっと見ることはできないが、運転中の横顔ならと、美怜は成瀬の切れ長の涼しい目元や整った目鼻立ちに見とれた。

それにスポーツカーだというのにスピードは控えめで、ブレーキも丁寧にゆっくりと踏み込んでくれる。

助手性に座っていても全く身体が揺さぶられずに、快適だった。

「結城さん、何の音楽がいい?」

信号待ちの間に、成瀬はオーディオのパネルに手を伸ばす。
どうやら気を遣ってくれているらしい。

「スポーツカーで聴くならって俺の理想があってですね、まずはガンガンでノリのいい…」
「富樫、降ろされたくなかったら黙ってろ。それで?結城さんは何がいい?って言っても、流行の曲は全く知らないんだ。ごめん」

いえ!と美怜は手を振って恐縮する。

「私も今どきの歌には疎くて。本部長がいつもかけていらっしゃる曲を聴いてみたいです」
「ほんとに?多分若い子は知らないと思うよ?」
「知らなくてもいいので、聴かせてください」
「そう?分かった」

ピッとパネルを操作してから、成瀬はまたハンドルを握る。

流れてきた曲は、ミディアムテンポの洋楽だった。

(あ、この曲…)

ふっと笑みを浮かべる美怜に、「ね?知らないでしょ?」と成瀬が声をかける。

「いえ、知ってます。なんなら歌えるくらい歌詞も覚えてます」

うつむいたまま小さく答えると、ええ?と驚かれた。

「八〇年代の曲なのに、若い子の間でも流行ってるの?リバイバルとか?」

俺は知りませーん!

「富樫には聞いてない」

成瀬は声色を変えて返事をする。

「誰かがカバーして歌ってるとか?」
「いえ、違います。私、古い洋楽が好きで。周りの友達は知らないので、流行ってはいないと思いますけど」
「そうなんだ。あ、そう言えば君はあの曲も知ってたもんね」

どの曲ですか?

「いい加減つまみ出すぞ、富樫。確か歌詞も覚えてたよね」
「はい。あの曲は本当に大好きで。落ち込んだ時に寝る前に何度も聞いてボロボロ泣きました。歌詞のひと言ひと言がもう、心に刺さります。特に二番の歌詞が」

すると成瀬は黙ったまま、ピッと再びパネルをタッチする。

一瞬の静けさのあと、流れてきた曲は…
『The Rose』

美怜は思わず息を呑んでじっと聴き入った。

静かにまるで語りかけるように始まった歌は、徐々に力強い歌声となり、歌詞に込められた想いに魂を揺さぶられる。

最後は包み込むような優しい歌詞と曲調に、美怜の瞳からほろほろと涙がこぼれ落ちた。

余韻を残して曲が終わると、美怜は涙を指先で拭って照れ笑いを浮かべる。

「すみません、この曲を聴くと条件反射で…」

そんな美怜に、成瀬は優しく笑って小さく頷いてみせた。