「えっ、この車、本部長の車ですか?かっこいい!男の憧れのプレミアムスポーツカーじゃないですか」

卓は目を輝かせてなめるように車を眺める。

車に詳しくない美怜も、流線形が美しい真っ白なボディに思わず感嘆のため息をついた。

どうぞ、と促されて、二人は後部シートに座る。

成瀬はジャケットを脱いで助手席に置くと、軽くシャツの袖をまくってからエンジンをかけた。

ブオンというエンジン音に、卓はわくわくしたように身を乗り出す。

「ちょっと、卓。そんな前のめりになったら運転の邪魔になっちゃうよ?」

小声で美怜が止めても、卓は聞く耳を持たない。

「本部長、この車いつから乗ってらっしゃるんですか?」
「ん?それが海外に転勤になる前に買ったやつなんだ。買ってすぐ転勤になったから、実家に置きっぱなしでずっと乗ってなくて。この歳でスポーツカーっていうのも厳しいから、買い換えようか迷ってる」
「ええ?!もったいない!歳なんて本部長には関係ないですよ。めちゃくちゃ似合ってます」
「ははは、ありがとう。富樫、良かったら助手席に乗るか?」
「いいんですか?」
「そう言いつつ、既にシートベルト外して移動する気満々だな」
「あ、分かっちゃいました?」

卓はいそいそと助手席に移り、成瀬は置いてあったジャケットを掴んで美怜を振り返った。

「すまない。そっちに置かせてくれる?」
「はい、もちろんです」

美怜はジャケットを受け取ると、しわにならないように軽く畳んで膝の上に置いた。

(わあ、なんだか良い香りがする。香水じゃなさそうだけど、なんだろう?)

さりげなくジャケットを持ち上げて顔を寄せると、ふわっと爽やかでウッディな香りに包まれた。

(車も同じ香りがする。なんだか落ち着くなあ)

思わずスーハーと香りを確かめてしまい、そんな自分が恥ずかしくなる。

一方で卓は美怜の存在など忘れたように、走り始めた車に興奮し、はしゃいだ声を上げた。

「うわー、吸いつくようなコーナーの曲がり、ギアでグンッてスピードが上がる感覚、最高です!かっこいい!成瀬さん」
「はは、ありがとう。なんか彼女みたいだな、富樫」
「はい!俺、成瀬さんの彼女になって、毎日この車に乗せてもらいたいです」
「冗談に聞こえなくて怖いんだけど」
「俺、本気です!」
「富樫、丁重にお断りする」

ええー?!と卓は、傷ついたように眉毛を下げる。

「おいおい、富樫だって営業成績いいんだから、欲しい車買えるだろう?彼女を乗せて自分で運転すればいいじゃないか」
「本部長。今うちのトップの人でさえ、かつてのあなたの営業成績の半分くらいなんですよ?営業部のレジェンドのあなたと同じ車が、俺に買える訳ないですよ」
「そうなのか?まあ、今は営業の歩合制も以前ほど好条件ではなくなったからな。俺はたまたま時期が良かっただけだよ。それに今回のルミエールの件が上手くまとまれば、俺からもボーナスを弾む」
「本当ですか?うわー、俺、俄然やる気が湧いてきました!絶対にこの案件、モノにしてみせます!」
「ははは、今日富樫を車に乗せて良かった。頼もしいよ」

男二人で盛り上がっているうちにホテルに到着し、成瀬はバックで駐車スペースに入れる。

目視で後ろを確かめた成瀬と目が合い、油断していた美怜はドキッとして思わず身体ごと横に避けた。

「すみません!後ろ見にくいですよね」
「いや、大丈夫」

スルスルといとも簡単に一発で駐車すると、かっこいいー!とまた卓が騒ぎ出した。

「惚れるわー。どこまでいい男なんですか?成瀬さん」
「富樫、いい加減恥ずかしいからやめてくれ。俺、こんなにモテたの初めてだわ」

苦笑いする成瀬に、「またまたー」と卓はしたり顔になる。

「この車に乗せて落ちなかった女性なんていないでしょ?」
「乗せたことないよ」
「え!?彼女も?」
「うん。いなかったし」
「ええー?!成瀬さんにも彼女がいない時期なんてあったんですか?」
「なんだよ、微妙にディスってるな。ちなみに今もいないよ。悪かったな」
「し、信じられない!そんなの、俺は信じませんよ!」

はいはいと軽く流すと、成瀬は車を降りて運転席のシートを前に倒し、美怜に声をかける。

「どうぞ。足元気をつけて」
「あ、はい。ありがとうございます」

すっかり蚊帳の外だと思っていたのに、気遣うように声をかけられ、美怜は居住まいを正した。

車を降りると、手にしていたジャケットを差し出す。

「どうぞ」
「ありがとう」

受け取った成瀬は、ジャケットをスッと背中に回して腕を通した。

「じゃあ行こうか」
「はい」

歩き始めた二人の後ろで、またもや卓の「かっけー!」という興奮した声が響いた。