「じゃあな、美怜。今日はありがとう」

会議室を片づけてから、卓は美怜をエレベーターホールまで見送った。

「こちらこそ。打ち合わせ当日もよろしくね」
「ああ。気をつけて帰れよ」
「うん。ありがとう」

手を振って別れると、美怜はエレベーターで一階まで下りる。

(えーっと、今から帰るとミュージアムに着くのは十二時半頃か。お昼ご飯買って行こうかな)

そんなことを考えながらエントランスに向かって歩いていると、ふと忘れ物に気がついた。

(あ、大変!タブレットを会議室に置いてきちゃったかも)

急いでエレベーターホールに戻ったが、ちょうど昼休みに入ったせいか、エレベーターは各階ごとに止まってなかなか下りてこない。

(あーもう、急いでるのに)

会社の機密事項が入ったタブレットを紛失すれば、大変なことになる。

美怜はエレベーターを待つのは諦めて、五階まで階段を使うことにした。

脇目も振らずにひたすら駆け上がっていると、三階までたどり着いたところで足がもつれて段差につまずく。

「わっ!」

転ぶのを覚悟して思わず目をつぶった時、危ない!と声がして誰かの大きな腕に抱き留められた。

え…?と、美怜は恐る恐る目を開ける。

「大丈夫か?」
「あ、はい!大丈夫です。ありがとうございました」

我に返って慌てて身体を起こすと、あれ?と怪訝そうな声がした。

相手の顔を見上げた美怜は、あっ!と目を見開く。

「ほ、本部長!」
「やっぱり君か。いつもと格好が違うから、誰だか分からなかった」
「あ、すみません。本社に用事があったので、制服じゃなくて。髪も、お団子を下ろしっぱなしで…」
「いや、別に謝ることじゃない」
「はい、すみません」

身を固くして謝る美怜に、成瀬はため息をつく。

「だから謝らないでいいって」
「はい、すみま…。あ、その、はい」

どうしていいか分からず、泣きべそをかいた子どものようになる美怜に、成瀬はふっと笑みをこぼす。

「君、階段を下りる時だけじゃなくて、上がる時にも転ぶんだね」
「はい、すみま…、いえ、その」
「そんなに怯えられると困るんだけど」
「はい、すみま…す」
「すみます?ははは!」

思わず笑っても、美怜はうつむいたままだ。

成瀬は笑いを収めてから声のトーンを落とした。

「困らせてごめん。もう行くから。気をつけてね」
「はい、ありがとうございました」

お辞儀をする美怜に背を向けて、成瀬は階段を下り始める。

ふと足を止めて振り返ると、再びタタッと階段を駆け上がっていく美怜の後ろ姿が見えた。

ゆるくウェーブした肩下まである髪をふわりと揺らし、スカートを翻して軽やかに階段を上がっていく美怜を、成瀬は何とも言えない表情で見送っていた。