無駄のない上品な身のこなしで、友香は三人の椅子を引き、グラスに水を注ぐ。

パーティーの時の華やかな装いではなく、黒のスーツを着て髪をシニヨンにまとめた今夜の友香は、若いのにベテランスタッフのように落ち着いている。

まず初めに成瀬に「食前酒はいかがなさいますか?」と尋ねた。

「私はアペリティフもノンアルコールで。二人にはアルコールメニューをお願いします」

成瀬の言葉に友香は、かしこまりました、と頷く。

美怜と卓が白ワインを、成瀬がノンアルコールのシャンパンをオーダーすると、友香がコースメニューを手渡した。

「本日のコースのポワソンは舌平目のチーズ焼き ヴァンブランソース、ヴィアンドは牛ほほ肉のフランス産赤ワイン煮でございます」
「では二人ともコースでいいかな?」
「もちろんです」

成瀬に頷きつつ、美怜は難しい言葉の並んだメニューをそっと閉じた。

格式高いフランス料理のコースは、アミューズやオードブルから始まり、スープ、魚料理、口直しのソルベ、肉料理、サラダ、チーズと、次々と手の込んだ美しく美味しい品が並ぶ。

更にはデザートも、アヴァン・デセールにジュレ、グラン・デセールにフォンダンショコラ、ミニャルディーズにクッキーやギモーヴまでいただき、美怜はもう心もお腹も大満足だった。

「失礼いたします。成瀬様、皆様。当ホテルの総支配人が、少しご挨拶させていただきたいと。よろしいでしょうか?」
「はい」

くつろいで他愛もない話をしていた三人は、途端にピシッと背筋を伸ばして立ち上がる。

「失礼いたします。これはこれは、皆様ようこそお越しくださいました」

パーティーの時と変わらない笑顔で、友香の父の総支配人がにこやかに現れた。

「高畑総支配人、お邪魔しております。美味しいフランス料理を振る舞っていただき、大変感激いたしました。どれもこれも、とても美味しくいただきました」
「それは良かった。成瀬さん、次回はぜひ私にご連絡ください。特別なコースをご用意いたしますよ。もちろん今夜も私からごちそうさせてください」
「いえ、そんな。どうぞお気遣いなく」
「そう遠慮なさらずに。その代わり、と言ってはなんですが、少し仕事の話をしてもいいかな?」
「はい。もちろんです」

成瀬が頷くと、総支配人は三人を促して座らせ、自分も空いていた席に座る。

「アネックス館のリニューアルが好評でね。新規の顧客もさることながら、昔からの馴染みのお客様も、新しく生まれ変わった部屋を楽しみに来てくださいます。そこで本館も同じように見直すことになりました。ただ、やはり古き良き面影を残した本館を、あまり大きく変えてはお客様をがっかりさせてしまう。その辺りのさじ加減が難しくてね」

三人は頷きながら耳を傾ける。

「そこでだ。今御社で担当になってくれている方とは別に、富樫さんにも本館の件について関わっていただきたい」

はっ?!と、いきなり自分の名前が出てきたことに卓は驚いた。

「今、うちの本館は御社のベッドだけの取引だ。他にも良い製品を年々新しく作り出しているのだろう?ぜひうちに合う家具や内装を考えて欲しい。場合によっては全室に取り入れて末永く御社と取引できればと思っている。どうかな?」

契約すればかなり大口の取引になるのは間違いなく、卓はゴクッと喉を鳴らす。

「君の案が良いと思えば、すぐに採用しよう。どんどん提案してきて欲しい。そして富樫さんとの連絡係は、友香、お前がやりなさい」

は?!と今度は友香が目を丸くする。

「なぜわたくしが?」
「なぜって、お前が一番適任じゃないか。大学の四年間みっちりホテルでアルバイトをし、今も全ポジションをその日その日でそつなくこなしている。お客様のことも、客室のことも、館内やレストラン、ホテルの全てのことをお前は熟知している。その上でどこをどう変えればお客様に喜ばれるか、富樫さんと一緒に考えてくれ」

友香は小さくため息をつくと、咎めるような視線を総支配人に向けた。

「公私混同されませんように、総支配人」
「おや?私がいつそんなことを?私はあくまでビジネスの話をしたまでだ。プライベートな感情を持っているのはお前の方じゃないのか?」

返す言葉が見つからない様子の友香に、総支配人はご機嫌で立ち上がる。

「それではよろしくお願いしますね、富樫さん。皆様も、またゆっくりお食事にいらしてください。いつでもお待ちしていますよ」
「はい、ありがとうございます。総支配人」

成瀬達も立ち上がり、深々とお辞儀をして見送った。