最初にその違和感に気づいたのは、シャルロットが7歳になったばかりの頃だった。
 そのころから、シャルロットは社交の練習と称した同年代の子女とのお茶会などを主催するようになっていて、まさしく目の回るような、と言っていいほどの忙しさの中で暮らしていた。


 だから──最初は、気のせいだと思った。
 けれど、気のせいではないのだと知ったのは、それからまもなく。
 優しい人によって隠されていた、シャルロットが知らぬようにと離されていた、どろどろの悪意。

 7歳の秋、髪が引っかかったと偽って、ぶちぶちと毛を抜かれたとき、そんなものがあるのだと、シャルロットは知った。

 それが一過性のものであればよかった。けれど、ヒュントヘン公爵がシャルロットを城にやったことを、公爵がシャルロットをないがしろにしているせいだと噂を広めたものがいたらしい。

 気づけばシャルロットは、公爵一家に溺愛された子犬姫から、実は庶子かもしれぬ子供、などと侮られるようになっていた。
 王妃は激怒した。

 アルブレヒトは噂の出所を探させた。
 父や母、留学から帰ってきた姉たちや兄は、あらゆる場所でそれが嘘だと断言した。
 それでも、一度広がった噂は、固定観念として残り続ける。