それは、本当に、たった一瞬の出来事だった。アルブレヒトの懐に、なにかもふもふしたものが飛び込んだ。アルブレヒトの心臓の上、ちょうどナイフの切っ先へ、彼女が──彼女が!

 ぱっと散った血は、まさしく深紅の花びらのようだった。美しくて、残酷なそれ。この光景を、ヴィルヘルムは一生忘れない。彼女の命が散っていく、この瞬間を、ヴィルヘルムは絶対に忘れてはならなかった。

「殿下!」

 父公爵が声を張り上げる。次いで、近衛騎士たちが男を取り押さえた。
 はっと我に返ったヴィルヘルムが、シャロへ視線を向ける──その先にあったのは、絶望以外の何ものでもなかった。

「シャロ……シャロ……いやだ……シャロ……!」

 半狂乱で叫ぶアルブレヒトは、赤い、赤い、この世で一番残酷なものにまみれた宝物を抱きしめている。

 愛らしかった毛並みは、彼女の中にあらなければならないものに濡れて、いつもきらきらとアルブレヒトを見上げていた緑の目は無機質な何かにかわっていた。
 これが、ヴィルヘルムの記憶。今も褪せない、褪せてはならない記憶。

 アルブレヒトは、ヴィルヘルムを責めなかった。
 もはやアルブレヒトは、うつろな目で心臓を動かすだけのなにかになっていた。
 それがきっと、ヴィルヘルムへの罰だった。ヴィルヘルムは、大切なものを同時にふたつ失ったのだ。

 それがかけがえのないものだと、知っていたのに。

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