アルブレヒト・アインヴォルフがシャルロット・シャロ・ヒュントヘンに求婚したという事実を目の当たりにした、いわば証人は老若男女に大勢いた。
なぜならここが当のシャルロットの誕生日を祝う席であったからだ。
シャルロットを溺愛するヒュントヘン公爵が大勢の貴族を招いた──それを、アルブレヒトが利用した、それだけのことだった。
シャルロットは、公爵家にとっては、国の歴史に残る子犬姫の再来──ヒュントヘンの子犬姫というだけの存在ではなかった。伝説にすぎないものを、あの現実主義者の公爵は重視しない。
だから、家族として愛されていたとわかってホッとした。シャルロットが笑っていたから、アルブレヒトはシャルロットのなかのシャロに気付いたのだ。
子犬姫は、愛犬という言葉は、単なる伝説ではない。アルブレヒトの、ひいては王家の人間にとって、愛犬という存在は運命の相手にも等しいのだ。
かつてアインヴォルフ王家から枝分かれしたヒュントヘン公爵家だからこそ、わずかならぬ王家の血が流れているからこそ、誰よりもそれを理解していたはずだ。
8年前のあの日、シャロを喪い、抜け殻のようになっていたアルブレヒトを叱咤し、立ち直らせたのさヒュントヘン公爵だ。彼は誰よりアルブレヒトにとってのシャロを──王家の人間にとっての愛犬を知っていた。
だからこそ、産まれたばかりのシャルロットに、シャロ、などと名付けたのだ。
彼女こそがシャロなのだとわかったから。見た目ではない、声ではなく、魂でもない。彼の血が、シャルロットを王家の愛犬だと位置付けた。
それでも、公爵を、いいや、公爵一家を見れば、どれだけシャルロットが、末の娘として愛されているかがわかった。
その愛情は義務ではなかった。皮肉にも、アルブレヒトが親の愛を受けなかったからこそ理解できることだ。