「あ、ああ、血、血が、ああ。僕の、手も、痛い!痛い痛い、痛い!」

 頭が痛む。切れているとわかった。しかし、破片でけがをしたクロヴィスがうろたえている今がチャンスだ。

破片で血でぬめった手を、縄から抜くのはたやすかった。縛り方が甘かったのだろう。もう片方の手も、角度が変わったせいか、ずるりとシャルロットの手を解放する。

 男がなにかわめいている。それをどこか遠くに聞きながら、シャルロットは走りだした。開いたままの扉を通り、とにかくここではないどこかへ走った。
 脳が揺れる。視界がけぶる、鉄の臭いが鼻をつく──それでも、死ぬよりずっとましだった。

「わたし、生きて──生きて帰るの、あなたの、ところに」

 ──雨が降ったら。
 ねえ、そう言ったあなたの、顔が曇って見えないの。
 四本ない足では走ることすらおぼつかなくて、毛皮のない体はひどく寒い。
牙もないから抵抗もできず、鳴き声はいつだって涙を伴う。
 どうして、わたしは、犬じゃないの。

 その時、何かにぶつかったシャルロットの華奢な体を、丸太のような男の手がつかみ上げる。
 ──よくやった、失敗作!

 後ろで何かが聞こえる。それでも、シャルロットには、もう関係などなかった。

 床にたたきつけられて、シャルロットの上に獣のような男が馬乗りになる。
 汚らしい金の毛が、シャルロットに近づいて、腐ったような息を吹きかけた。
 それでも、それでも──ああ。何のためにもう一度生まれたのか。それをもう、シャルロットは知っていたのだ。

 とっくの昔に。答えは胸の中。あたたかい感情──恋しいよりもっと抽象的で、ただひたすら、悲しいほどに透明なそれがあることを、とっくに、わかっていた。