「そんなに警戒しなくても。私はティーゼ侯爵家のクロヴィスと申します」

 その名前は知っている。顔だって見たことがある。
 ──マルティナ・ティーゼ。シャルロットにとって一つの契機ともなった侯爵令嬢。
 今も忘れえぬ彼女の、ただ一人の兄。騎士団長の嫡子。

「……なにか、ご用がおありですか」
「無邪気な姫君と聞いていましたが、なんとも慎重ですね。「愛犬」はあなたにとっての讃辞だと思っていましたが。……殿下の「愛犬」が嫌になりましたか」
 
 図星をさされて、シャルロットは押し黙った。
 それをどう思ったのだろう。ねばついた視線がシャルロットをはい回っているような心地がして、シャルロットは踵を返した。

「用がないのでしたら、これで」

 声は震えてはいやしなかったか。一刻も早くここから離れたくて、シャルロットはうまく呼吸ができないまま、元来た道を行こうとして──ぱし、と、その手を後ろから引かれた。