一般社員でも頑張れば頑張っただけ評価される仕組みが浸透していくと、皆のモチベーションが上がり、ひとりひとりの働きが会社にとっても大事だという意識が生まれる。

 おかげで、各部署で人員配置や体制を見直すようになり、無駄をなくそうという動きが全体に広がっていった。

 会社の負のイメージを払拭させるためメディアもうまく使いながら、心血を注いで問題と向き合い続けた。そうして、俺が社長になって約二年が経つ頃には、株価も上昇して経営がV字回復したと明言できるまでになっていた。

 こんなに早く軌道に乗せられたのは、芽衣子を取り戻すためにがむしゃらにやれたというのが大きな理由かもしれない。しかし彼女がいれば、もっと心身を休めながら改革を進められただろう。

 この二年間は、彼女がくれる力の大きさがどれほどのものかを強く実感させられた、俺にとって大切な時間になったと思っている。


 ──危機的状況を完全に脱した、三月の初旬。俺は高層オフィスビルの五十五階にある会員制のバーで酒を嗜みながら、ひとりの男を待っていた。

 女性のバーメイドが華麗にシェイカーを振るのを見るともなしに眺めていると、待ち人である彼が隣のカウンター席にやってきた。