塾の帰り道。

ネオンの明かりが眩しい繁華街。

チューターへの質問で、いつもより帰りが遅くなってしまった私は、少しでも早い時間の電車に乗れるよう駅に向かって走っていた。

それがいけなかった。

いきなり路地裏から出てきた人を避けるには、私は全速力で走りすぎていた。

「っ、」

危ないと思った時には、相手を避けることができず、私は思い切り相手の胸元にぶつかった。

ドンッとした衝撃が走る。


頭を押さえ顔を上げると、そこにいたのはお世辞にも柄がいいとは言えない学生の集団で、体からさぁっと血の気が引くのが自分でもわかった。

「……すみません」

こういうのは関わらないに限る。

簡潔に謝ってその場から立ち去ろうとした時だった。

すれ違いざまに左手首を掴まれ、あっと思った時には遅かった。

「そっちからぶつかっといて、それはねぇんじゃねぇーの?」

(サイアク……)

恐る恐る男の顔を見上げる。

派手に染め上げて傷んだ髪と、

無数に開いたピアス。

ギラついた瞳。

同じ学生でも、私とはまるで生きている世界が違う人種がそこにいた。


「あれ、よく見たら結構かわいーじゃん。これから一緒に遊んでくれたら、ぶつかったこと許してあげでもいいゲド」

鳥肌がたった。

男のニタニタとした笑顔、


路地裏から続々と出てくる取り巻きの、囃し立てるようなヤジが気持ち悪く耳に響いた。

「はは、だんまりかよ」

にゅっともう片方の男の手が私の方へ伸びて、やばい、と目を瞑ったとき。

私の耳にパシッという乾いた音が一つ響いた。


恐る恐る目を開けると、スラっとした細身の男性が、不良学生と私の間に割って入っていた。

「……っすんだよテメェ」

不良学生の男は、顔を歪めて自身の手をさすっており、どうやら先ほどの乾いた音は、細身の男が、私に伸びてきた不良の手をはたき落とした音だったようだ。

「この子が何かしたんですか」   

「テメェには関係ねぇーだろ」

「……どうやら会話もまともにできないようですね」

「チッ、カッコつけやがって……部外者はすっこんでろ!!」

不良男はそう吐き捨て、細身の男性に被りを振り襲いかかった。

「危ない!」











しかし、その心配は全くの杞憂だった。

細身の男は、スッとパンチを避けると、逆に不良男の腕を上からがっちり抑え、背負い投げをしてみせたのだ。

「ぎゃ」
 
男は潰れたカエルのようなみっともない声を出し、次の瞬間にはコンクリートの地面の上で完璧に伸びていた。


(すごい……)

今の動作だけでも、男がただものではないことがよくわかった。

細身なのに、体格的に不利な相手を軽々と投げ飛ばすところを見ると相当な実力者のようだ。

「後ろの方々はどうします?」

細身の男性の一言に、取り巻きたちはジリッと後ずさると、仲間を担ぎ上げて一目散に退散する。

「あのコ、すご」

「警察とか呼んだほうがいいんじゃね?」


ハッとして見回すと、あたりにはギャラリーが集まっていた。


(どうしよう、なんか思ってたより大ごとに……)

「おい、お前たち何をやってる!」


騒ぎを聞きつけたのか、警官が大きな声をあげて遠くから走ってくるのが見えた。

状況に頭が追いつかず、呆けていると、

「こっち」


私は細身の男に手を取られ、逃げるようにその場を後にした。




「ここまでくれば大丈夫かな」

男はそういって立ち止まった。

偶然にもそこは私が目指していた駅前だっだ。

「あ、あの……」

「あぁ、ごめん。手、握ったままだった」

離された手を私は自身の左手で包み込んだ。

いつもは冷たい私の手が、今は嘘のように熱く、

雑踏がスッと遠のいて、自身の鼓動が大きく感じた。

あらためて男を見上げる。

男は、線が細くすらっとした佇まいをしていて、

整った顔立ちは美しさの中に危うさやをはらんだ、まるで薔薇のような人だと思った。

ふと男と視線が交わる。


走ってきたからか、体に酸素が十分に回らず足元がふらふらとするのを、私はグッとこらえて言った。

「……助けていただいてありがとうございました」

「いいよ、全然。あんな奴らに絡まれるなんて災難だったね」

「元はと言えばぶつかった私も悪かったので」

すると男は小さく笑った。

「?」

「いや、……この辺に住んでるの?」


「いえ、ここは塾で通っているだけで、」

「そう。このあたりはガラの悪い奴らが多いから気をつけてね」

私は頷いた。

そして、キュッと目を細めて笑う彼の表情に、思わず息を呑んだのだった。